東京の台所

<75>戦争のような日々すり抜ける2児の母

〈住人プロフィール〉
 会社員(女性)・38歳
 分譲マンション・3LDK・京急本線 新馬場駅(品川区)
 入居3年・築3年
 長女(4歳)、次女(1歳)との3人暮らし

 思いきってマンションを買ったらまもなく、夫が地方へ転勤になった。その後生まれた次女はまだ1歳。単身赴任のため、母子3人で暮らしている。育休を終え、この春に職場復帰してからは「笑っちゃうほど自分の時間がないのです」とのこと。
 次女にはアレルギーがあり、長女の食べるものを欲しがってはまずいので、食事は2人のテーブルを分けて同時進行に。自分の朝食は、子どもが起きる前に簡単に済ませる。
「今は下の子に手を取られて、お姉ちゃんをかまってあげられないのが悩みです」
 小さな子が2人いる戦争のようなあわただしさは我が身にも経験がある。化粧をする間もないまま、家を飛び出すような日々だった。それをひとりでこなしているのだから、どれほど大変なことか。

 大きな頼りが、近所に住む母だ。保育園の帰りに立ち寄ることもある。料理上手な祖母には、残念ながら料理を教わることできなかったため、母からはできるだけレシピを教えてもらうようにしているという。
「唐揚げや煮魚、春巻きなど、母が作る横でメモをとっています。油の温度や粉の量など見逃したくないので。前は途中でけんかになることが多かったのですが、最近は私の方が少し謙虚になったかな。まだまだ母の味にはほど遠いのですけれど」
 
 3月まで1年間、育休をとっている間は充実していたらしい。料理記事をスクラップしたり、町を散策したりしてゆっくり過ごした。思いがけず、近所に知り合いも増えた。
「おにぎりやさんやお茶屋さんに買い物に行くうちに顔見知りになって。お店のおばちゃんと座っておしゃべりするのが楽しいんですよね。マンションを買うまで町になじみがなかったので、ありがたい経験でした。おにぎりを買うと、娘にかならず自分で折った折り紙や工作の作品を下さるんですよ。それがほら、こんなに!」
 大事そうにとりだしたのは、鯉のぼりの折り紙が貼られた手作りカードや節分の鬼を模した工作など。どれも手がこんでいる。きっと母子が来るのを楽しみに、折って待ってくれていたにちがいない。品川・新馬場の下町ならではの心の距離感は、彼女にとっても心地よく新鮮だったのだろう。
「仕事に復帰するときに、あのおばちゃんたちとゆっくりお話する機会が減っちゃうなあと、それがとても残念でした」
 余韻に浸る間もなく、フルタイムで子育てと仕事をこなす日々では、「自分の時間は通勤電車の中だけ」と笑う。
 最後に、台所まわりで今いちばんやりたいことは何かと問いかけると、彼女は即答した。
「工程のある料理をしたいです! 肉まんみたいに、生地からこねて具を作って蒸すとか。今はひとつの工程でできる料理ばかりですから」
 無我夢中の間に、新米ママは少しずつベテランママになっていく。肉まんを作れる日はいつ、くるだろうか――。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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<74>鳥、星、猫。そして夫と並ぶ青空テラス

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<76>西荻窪の築30年 男と女が暮らし始めるとき

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