東京の台所

<77>3度目の団地 決め手は駅までの緑道

〈住人プロフィール〉
 主婦(女性)・48歳
 分譲団地・2LDK・都営地下鉄 大江戸線 光が丘駅(練馬区)
 入居3年・築29年
 夫(会社員・54歳)、長女(13歳)と3人暮らし

 結婚以来、団地住まいはこれが3度目である。「会社から遠くてもいいから緑が近くにあって、ほっとできるような場所」を望む夫にとって、郊外の公団はベストな選択だった。彼女はその魅力をこう語る。
「賃貸の団地に住んでいたとき、メンテナンスの良さを実感しました。民間のマンションと比べると作りもゆったりしています。大規模に開発された団地は、周辺の公園なども含めて整備されますよね。その環境が魅力で、買うなら団地と決めていました」
 建築家の兄にリフォームしてもらうことを前提に、いくつかの団地のオープンルームを見て歩いた。間取りや窓から見える風景もさまざまで、似ているようでみんな違った。
 今の住まいを買う決め手となったのは、窓から眼下に広がるゆたかな緑と駅から団地までの道のりだった。
「家まで、公園の木立の中を通る気持ちのいい風景が続いていて、いいなって思ったんです。駅からの道だけは自分で変えられないですものね」
 通勤路や通学路の風景を家購入の条件にするとは珍しいが、毎日通る場所でもあり、理にかなっている。確かに、この家までの道には欅(けやき)や桜の木々が並び、すがすがしい空気に満ちていた。
 間取りは3LDKだったが、リビングと和室の壁を取り払って2LDKにした。台所は一面、壁収納に。細かいタイル張りの壁や可動式の照明もふくめ、隅々まで大工や家具職人たちがていねいに仕上げてくれたおかげで、一切の不満がない。兄が設計したこともあり、多くを要求しなかったにもかかわらず、使いやすい空間になっている。
 毎日の掃除は、右手に掃除機、左手に雑巾を持って、吸い取りとふき取りを同時に済ませる。台所の布巾は、1日の終わりにたらいにつける。
 真っ白な壁に真っ白な布巾、塵(ちり)ひとつ落ちていない床。モダンでシンプルなその空間にいると、ここが築30年近い団地であることを忘れてしまいそうになる。

 大きな鉢植えは育てる自信がないので、小さなグリーンを楽しむようにしているという。ベランダにはねぎや桑の実やにらのプランターがあった。去年から、夫が桑の実を収穫してジャムにしている。毎朝、自家製ヨーグルトにかけて食べるらしい。瓶の中の真っ赤なジャムはみずみずしい艶(つや)を放っていた。味もきっと格別にちがいない。
 窓の外に、これだけこんもりと公園の緑が広がっていたら、大きな鉢植えもいらないだろう。
 都心か、郊外か。戸建てか、集合住宅か。古いか、新しいか。マンションか、団地か。私たちはつい紋切り型に判断しがちだが、工夫次第で住まいの価値はいくらでも逆転できる。さらに、美しい風景の通勤路があれば、幸福は倍増するのだと知った。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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