東京の台所

<80>2度目の結婚。呑兵衛たちの台所

〈住人プロフィール〉
 会社員(女性)・36歳
 分譲マンション・2LDK・東横線 学芸大学駅(目黒区)
 入居8年・築8年
 夫(39歳、会社員)との二人暮らし

 結婚は2度め。こだわって建てた郊外の庭付き一軒家を手放すときは、この先にこんな楽しくて穏やかな生活が待っているとは夢にも思っていなかった。
「庭いじりが好きでテラスがあって、台所もほぼ理想通りに建ててもらったのです。それなのに夫婦仲がうまくいかなくなって……。売るときは寂しかったですね。でも落ち込んでばかりいてもしょうがないから、その時決めたんです。会社と家しか知らない人生はやめようって」
 彼女は、当時を振り返る。会社で研究職についている。仕事は楽しかったが、もっといろんな人と知り合おう、違う世界のことも学ぼうと行動を始めた。スキルアップのための勉強会や料理教室に通い、人間関係がどんどん広がるなかで、現在の夫とも出会った。
「交際している時、彼の学芸大学駅のマンションに行ったら水回りは汚れているし、白とダークブラウンのモダンなインテリアは、無垢材やカントリーが好きな私の趣味とぜんぜん違う。そのうえ、料理を一切しない人なので、台所も、本来は食洗機があるべきところが引き出しになっていました。なまじ、理想通りの家を建てているので、どうしてもそれと比較してしまい、ずいぶんとまどいました」
 趣味もライフスタイルも違う2人の心をぎゅっと近づけたのは手料理とお酒だ。
「彼も私もお酒が大好き。山登りやハイキングに行く目的は、健康や自然や達成感以上に、頂上でビールを飲むこと。それから、高いワインより、せいぜい2千円くらいで呑めるおいしいワインを探すのが好き」
 お酒に合うつまみを作ると、翌日になっても「きのうはおいしかったよ、ありがとう」とほめてくれる。疲れていると、「いいよ~、僕がやるから~」と片付けを一手に引き受けてくれる。そんなときには、素直に甘える。
 離婚して、いろんなことを手放した、と彼女はいう。
 かつては、料理も家事も全部自分で完璧にやらないと気が済まなかった。そのくせ、相手が手伝ってくれないと、なんで私だけ?とイライラした。同じように離婚歴のある今の彼と出会って変わった。
「完璧にすることや、がんばりすぎること、自分ひとりで抱え込むことをやめたら、すごく楽になったんです。洗い物はできる人がやればいいし、疲れているときは外食でもいい。彼は何でも『いーよ、いーよ』という人なので、せっかちの私にはかえって居心地がいいのです」
 いつか家をリフォームしたいし、理想の家をもう1度建ててみたいとも思う。でも今は、少し前まで想像もしていなかった都会のマンション暮らしを存分に満喫している。
 一見モダンでクールに見えるが、あちこちの引き出しから缶ビールやら缶チューハイやらワインが出てくる。そんな呑兵衛の台所を見て思った。きっと、互いに前の生活には、こんな楽しい引き出しはなかったのでは……。離婚したのがよかったのではなく、彼女自身が変わったことがよかったんだろうな、と。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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