トリコロールの台所(「東京の台所」番外編)

番外編<6>渡仏15年、3人で囲むイケアの食卓

〈住人プロフィール〉
 主婦(日本人・女性)・53歳
 分譲マンション・4LDK+2バスルーム サン・ジェルマン・アン・レー市
 入居12年・築40年
 夫(フランス人・55歳・ 会社員)、次男(16歳)との3人暮らし

 シェイカー家具が好きだという彼女のリビングには、8人掛けのシンプルなサクラの無垢のテーブルがある。キャビネットもシェイカー風の質実剛健でナチュラルな風合いだ。
 ただ、ここを使うのは家族の誕生日か来客時だけ。ふだんは、リビングから一段上がったキッチンダイニングで食べる。イケアの丸テーブルは新婚時、フランス人の夫が彼女に相談なしで選んだものだ。「そのうちもっといいものを買おうと思いながら今日に至ってしまいました」と彼女は笑う。
 長男はイギリスに留学しているので、今は次男と夫と3人でこじんまりとしたテーブルを囲む。広いリビングと比べて狭い分だけ逆に、なんだかあたたかそうな食卓だ。ガラス扉を開け放つと、バルコニーと地続きになっていて気持ちがいい。

 外食は少なく、毎日料理をする。「必要に迫られてやっているだけで、それほどのこだわりはありません」と言いながら、キッチンカウンターの隅には『NHKきょうの料理』が20冊ほど並んでいた。リビングのキャビネットにも同誌がずらり。27年前に結婚したときから定期購読しているという。

 家族の誕生日にはケーキを手作りし、旬の果物はジャムにして保存をする。先週は、イギリスの長男のアパートで、12人の腹ペコ男子学生らに手料理を食べさせてきたとのこと。こういう人が正しいお母さんなのだ、と私は思った。そしてそんな人ほど、本気で自分のことを「たいしたことがない」と言うものだ。
「料理をしながら洗濯をしたり、ケーキを焼いている間に買い物を済ませたり、二つのことをいっぺんにやるのが好きです。達成感があります」
 オーガニックを求めて特別な店に行ったり、添加物に神経をとがらせたりもしない。
「少しくらいは大丈夫かなってアバウトなんです。それより食事は美味しくて楽しければ良いと思うので」
 サン・ジェルマン・アン・レーの中央広場にマルシェが立つ火曜と金曜は必ず、新鮮な魚を買い求める。だからマルシェのある日の夕食は、魚と決まっているのである。果物はなにかしら季節のものを絶やさないようにしている。
「フランスはフルーツや野菜の味が強い気がします。土と太陽で育った味。日本も恵まれていますが、フルーツや野菜はこちらのほうがいいですね」
 デザートはパウンドケーキやブラマンジェなど、手軽にできるものを作る。デザートのとりわけは次男の担当で、器用にホイップクリームも添えてもりつける。夫が配膳をするので、その習慣が息子にも自然に身についたらしい。ちなみに、週末の朝食は夫がつくる。

 友達に頼まれて、たまたまフランス人を鎌倉に案内したのが縁で結婚した彼女は、渡仏歴15年になる。一緒に行かせてもらったマルシェでも、スーパーのレジでも流ちょうにフランス語を操っているように見えたが、将来のことを尋ねるとこんな言葉を漏らした。
「死ぬ間際にフランス語を話すのはちょっときついですね。こんな言い方、ヘンですけど、最後は日本語を話して死にたいです。今でも、本当に疲れているときはフランス語を話したくなくなるんですよ」
 異国で、母国語とは違う言語で生きている人の本音がのぞいた。きっと、母国で暮らす者にはわかりえない苦労や機微があるにちがいない。
 私が見たのは、フランスでの生活のほんの一片である、と当たり前のことを痛感する。ただ、そんなわずかな時間であっても、その人がどれだけ全力でお母さんをやっているかは、台所を見ればわかる。すっきり整理整頓されているが、じつに雄弁な台所であった。

>>台所の写真はこちら

トリコロールの台所バックナンバー

東京の台所バックナンバー

PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/
http://www.kurashi-no-gara.com/

番外編<5>「禅とモダン」を融合した白い台所

トップへ戻る

番外編<7>第2の人生は音楽家たちとひとつ屋根の下

RECOMMENDおすすめの記事