鎌倉から、ものがたり。

旅の終わりの虚脱から生まれたパン屋/パラダイス・アレイ

野菜たっぷりのスープとサラダに、パラダイス・アレイのパンがつくランチ

>>「パラダイス・アレイ」前編から続きます

 2階建てのロンドンバスを改造し、男性ばかり12人のチームでスタートした日本縦断の旅は、しょっぱなからバス横転のアクシデントに見舞われた。道路の脇の木に寄りかかって止まった車体を起こす作業には、クレーン車2台の出動と8時間が必要だった。いかにもロードムービー的、いかにも無茶な若者の旅だ。

 それでもアクシデントから立ち直った後は、北海道から沖縄まで2カ月のツアーが、カラフルに展開していった。毎日が合宿のような賑やかさ。立ち寄る先々で仲間が待っていて、週末は音楽のイベントを自分たちで催したり、各地のイベントに参加したり。終着地の沖縄では3日間連続のファイナルイベントも計画していて、盛り上がりもまたひとしおのはずだった……。が、到着2日目に、沖縄の本土復帰後、最大といわれた台風が来て、計画は木端微塵(こっぱみじん)に。勝見淳平さん(40)は振り返る。

 「壮絶な雨と風でした。みんな、てんでにゲストハウスや友達の家に逃げ込んで、台風が過ぎるのを待って、イベントの仕切り直しをして、沖縄には結局、2週間くらいいました」

 虚脱は、波瀾万丈の旅が終わった後に訪れる。

 「夢から覚めたようで、まだ夢の中にいるようで……」

 鎌倉に帰って、一人になり、どうしようかと思案している時に、かねてから関係者に頼んでいた、鎌倉中央食品市場(レンバイ)の中のスペースを借りられることになった。

 もともと母方の祖父母は鎌倉で農業をしており、レンバイを運営する鎌倉市農協連とは縁があった。実家は今も畑と養鶏スペースを持ち、野菜や玉子を自家生産している。

 「自分が何かをするなら、レンバイの中で農家の人たちと一緒に、という思いは強かったんです。市場の中の休憩所みたいな感じで、野菜のスープと焼き立てパンを出せたらいいなって」

 パン職人の修業では一度、挫折しているが、母親が自宅でパン作りの教室を開いていたこともあって、家庭で食べるおいしいパンには馴染みがあった。

 おおげさに構えず、もう一度パン作りに取り組んでみたら、あらためて奥深い世界の虜になった。当初は市販の天然酵母を使っていたが、「大本がオリジナルじゃないのは、なんか腑に落ちない」と、酵母の自家培養に取り組んだ。すると、ぶどう、りんご、にんじん、と何からでも酵母はできることを知った。

 「息子が生まれた時に炊いた赤飯からも酵母が培養できたんです。決めつけないでやってみると、いろいろできるもんなんだな、と感心しました。自分が酵母を育てることと、子どもが育つことを、どこかで重ね合わせるようにもなりましたし」

 「パラダイス・アレイ」は、今年でオープン9年目。市場に集う人々の「休憩所」と同時に、鎌倉と葉山・逗子をベースにする地元仲間が行き交う場所にもなった。2年前には、逗子で地ビール「ヨロッコビール」を醸造する吉瀬明生さんと組み、ベーカリーとブリュワリー双方の工場「B&B」を開設した。

 当初は「パン屋を名乗るのは、おこがましい」と引く気持ちがあったが、自分が焼くパンを媒介に地元のつながりが広がっていく中で、今では素直に「パン屋です」といえる。菌の世界はミクロで、普段は見えないけれど、培養した酵母が発酵してパンになるプロセスは人間の生命活動そのもの。そのつながりは宇宙全体というマクロな世界にも広がる、という。

 「僕の周囲のできごとでいうと、バスツアーは妄想が現実になったものだし、レンバイの中の店も、想像していたことが実際に形になったもの。何かのタネを培養すると、やがて発酵がはじまって、思わぬものが生まれ、育ち、ある文化が根付いていく。そんな循環を感じながら暮らしていきたい」

 勝見さんにとって、「培養と発酵」はイマジネーションを喚起する暗喩(あんゆ)であるとともに、現実を支える仕組みでもある。その思いが、パラダイス・アレイの食べ応えのあるパンには込められている。

「培養と発酵」が宇宙を造ることは、勝見さんが掲げるテーマ

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名物の一つ、キャラメルとオレンジピールとクリームチーズのパンは300円

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パラダイス・アレイのパンは、一目でわかる模様も特徴

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パンの模様付けに使う手製のステンシル

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人気の鎌倉野菜のピザは500円

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実家の裏手にある山には、仲間と共有する野性的な畑がある


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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

駅前のバザール内で天然酵母パンづくり/パラダイス・アレイ

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昭和の魚屋だった古い店舗で夢を/オイチイチ

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