鎌倉から、ものがたり。

昭和の魚屋だった古い店舗で夢を/オイチイチ

瀬木暁さんと、いくよさん

 若宮大路にはじまり、小町通り、御成通り、長谷、七里ケ浜……と、鎌倉にはいくつもの人気エリアがあるが、地元通の人がいうには「今、大町が面白い!」。

 JR鎌倉駅前から若宮大路を渡って、北東方向へ歩いて10分ほど。本覚寺、妙本寺などのお寺が集まる一画に、時の流れが止まったような通りがある。そこが大町だ。

 昔ながらの布団屋さんやお肉屋さんが残る通りには、この2、3年、雑貨店、漫画カフェ、デリカテッセンなど、若い世代による個性的なショップが増えて、絶妙なミックス感がある。瀬木暁さん(33)といくよさん夫妻が、惣菜屋「オイチイチ」を開いたのは2012年のことだ。

 古びた木の間口にガラスの引き戸、という建物は、もともと魚屋さんの店舗兼住まいだった。「オイチイチ」のカウンター席の奥にある個室は、かつての住居部分。建てられた年ははっきりしていないが、改装の時に壁をはがしたら、昭和3年の新聞が張られていたという。

 鎌倉の住宅地で生まれ育った暁さんは、同じ鎌倉でも、大町エリアには行く機会があまりなかった。しかも、「飲食店の主になる」という意思を持っていたわけでもなかった。それが、なぜ。

 「僕、物件好きなんです。不動産探しが趣味で、不動産屋のおじさんたちと仲がよくて、で、ある日、『ボロボロだけど、きみが好きそうな物件があるよ』と声をかけてもらったんですね」

 暁さんの基準に「古い」「新しい」はない。決め手はただ一つ、「面白いかどうか」。大町の物件は家賃も安く、一目で気に入った。「あそこ、決めたから」と、事後報告でいくよさんに伝え、店づくりがはじまった。

 暁さんの決心は、決してむちゃなものではなかった。いくよさんは、ずっと料理を仕事にしてきていたからだ。

 いくよさんは、服飾専門学校を卒業し、アパレルメーカーで販売員を務めていた時に、食の世界に惹かれるようになった。

 「お客さまに服を売りながら、食べ物だったらもっと喜びが近くなるのでは、と思ったことがきっかけです」

 料理は基本が大事。包丁の持ち方から学ぼうと、調理師の専門学校に通い、和洋中の基礎を身につけて、調理師免許を取得。家具店のイデーや、アパレルブランドのズッカが経営する飲食店で調理に携わった。

 その後、イデー時代に知り合った勝見淳平さんが2006年、鎌倉に開いた「パラダイス・アレイ」にオープニングスタッフとして参加。そこで暁さんと知り合い、08年に結婚。翌年に息子の智一くんが生まれた後は、逗子で長島源さんらが運営する「シネマ・アミーゴ」の厨房(ちゅうぼう)チーム「アミーゴ・キッチン」の一員にもなった。その間、個人でずっと続けていたのが、ケータリングの仕事だ。

 「顔の見える人に自分の料理を食べてもらいたい。そういう思いが、いちばんの底にあるんですね」

 暁さんが発掘した物件は、いくよさんにとっては願ってもない「食の基地」となった。

 ちなみに「オイチイチ」の店舗名は、息子の「智一くん」と「おいしい」をかけて、暁さんが名付けたもの。「家でも、『おい、チイチ』なーんて呼んでいて。はい、ダジャレです」。暁さんの明るい笑顔そのまま、リラックスした雰囲気が店には流れている。(→後編に続きます

店内に入ってすぐの土間がバーカウンターになっている

店内に入ってすぐの土間がバーカウンターになっている

カウンターには、吉瀬明生さんが逗子で醸造している地場のクラフトビール、「ヨロッコビール」のサーバーが

カウンターには、吉瀬明生さんが逗子で醸造している地場のクラフトビール、「ヨロッコビール」のサーバーが

大町通りに大きく開かれた入り口

大町通りに大きく開かれた入り口

キッチンは、ケータリングも手がけるいくよさんの「基地」でもある

キッチンは、ケータリングも手がけるいくよさんの「基地」でもある

縦長の店の奥には隠し部屋のようなリビングが

縦長の店の奥には隠し部屋のようなリビングが

なつかしいような、前衛的なような店構え

なつかしいような、前衛的なような店構え

<鎌倉から、ものがたり。>バックナンバー

PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

旅の終わりの虚脱から生まれたパン屋/パラダイス・アレイ

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惣菜屋であり食堂でありカフェでもある/オイチイチ

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