東京の台所

<90>アメリカで学んだ「添い遂げる」流儀

〈住人プロフィール〉
 主婦・75歳
 分譲マンション・5LDK・東急線 二子玉川駅(世田谷区)
 入居16年・築16年
 夫(会社員・77歳)とふたり暮らし

 22歳で結婚、2児に恵まれる。幼い子の手を引き、開発の仕事に携わる夫についてアメリカに2回駐在した。大学は英文科だったが、生きた英語に触れるのはほぼ初めてだった。クリスマスに家庭で作るジンジャーブレッドハウスのレシピがわからず、近所の人に聞いて歩いた。季節や子どもの行事に誘われると、流儀を教わりながら手探りで暮らしをつむいだ。

 現在75歳の住人は、そのアメリカ暮らしが人生の転機であり、原点でもある、と振り返る。

「お隣もお向かいさんも、70代のおばあちゃんが住んでいらっしゃいました。どちらもお子さんが巣立ってご夫婦だけのふたり暮らし。でもね、朝、ご主人を送り出すときはブラウス、料理や庭の手入れなど仕事ごとに洋服を替え、夕方ご主人を迎えるときが一番ドレスアップするんですよ。私にはカルチャーショックでした」

 子育てが終わろうと、結婚何十年であろうと、夫のために身ぎれいにする努力を怠らない。その女性としてのありかたが素敵だと思った。

 背筋をぴんと伸ばし、ニットにスカート姿の彼女は、70歳になっても下着にこだわっていたと笑う。おしゃれだけでなく、インテリアもつねにくふうし、家の中をリフレッシュさせた。

 今は紅茶、山登り、寺巡りと趣味も多い。夫が会社を引退したとき一緒に楽しめるよう、少しずつ自分の趣味に引き込んでいる。

「夫婦は何度でも仕切り直しが必要よ。若いうちは子育て、会社、親の介護、夫婦それぞれに忙しいもの。でもいずれふたりの生活になる。状況が変わるごとに関係を仕切り直して、よりよいものにするための工夫をするのです」

 外にお茶を飲みに行きましょうか、と誘ったのは55歳のとき。忙しい夫にそんなことを言うのは恥ずかしかったが、勇気を出した。

「子育てを終えたアメリカの女性たちをみて、そういうことも大事だと学びました。夫婦は添い遂げて初めて夫婦といえると思うのです。私にはこの先まで、添い遂げるという大事業がありますから」

 朝は必ず、ていねいに紅茶を淹(い)れ、「今日は何の茶葉かわかる?」とクイズを出しながら楽しむ。

 ふたりから、いずれひとりになる。そのとき互いに夢中になれるものを持っておきたい。そのためには外とつながっていることが大事と考える。

「そうでないと孤立してしまいます。孤独は大事で豊かなことですが、孤立はだめ。夢中になれることが家の中だけというのは、よくない。年を取るほど、ちょっとした出会いを幾倍にもふくらませながら過ごしていきたいです」

 外に出ることで、人のいい面、悪い面が見えることもある。

「裏が見えても許せるようになってくる。それが年を重ねるということかもしれません」

 主婦のプロである人生の先輩の言葉には、彼女の淹れるダージリンのように、文字では伝えきれない深みがある。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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