ファッショニスタの逸品

実物大の模型から生まれる理想のカタチ 藤城成貴さん

藤城成貴さん(撮影 石塚定人)

藤城成貴さん(撮影 石塚定人)

エルメスをはじめ、アディダス、HAYなど、海外のトップブランドからのオファーが相次ぎ、有田焼400年の記念事業「2016/project」では、国内外のそうそうたるデザイナーとともに名を連ねる。
ここ数年の藤城成貴の仕事ぶりはとにかく精力的だ。素材を吟味し、実物大の模型を作りながら、理想のカタチを生む。こうしたデザイナーとしての真摯(しんし)な姿勢は、彼なりの「ものづくり」への敬意であり愛情表現なのだろう。

  

大学は美大ではなく、経済学部という異色の経歴。在学中に留学したアメリカのバークレーで、人生の転機は訪れた。
「街に塀がないし、図書館はまるで自分の部屋、カフェはリビングのような都市でした。家だけでなく街の中でも自分の立ち位置がはっきりしているから心地いい。そこで芽生えたのが建築の仕事をしたいという夢でした」

  

長年、心の奥底にあった「ものづくり」へのもやもやした気持ちが留学を機に一気に吹き出したのだろうか。藤城は帰国すると、さっそく桑沢デザイン研究所の門を叩く。大学生活をあと1年残しながら夜間部へと通う、ダブルスクールの日々がはじまった。学業のかたわらで、空いた時間は建築事務所でアルバイトもした。

だが卒業間近になって現実にぶち当たる。建築事務所や内装関係の会社への内定先が見つからないのだ。行き場のない状況の中、当時IDEEのカフェでアルバイトをしていた彼は、そこのギャラリーに飾られているひとつの家具に目が止まった。

  

「当時、テヨレミというオランダのデザイナーが、古着や布を椅子に巻き付けたRug Chairを『ドローグデザイン』から発表し、それを見て衝撃を受けました。僕は服が好きでしたが、こういうユニークな発想もあるんだと共感したんですね。それがきっかけで、家具のほうに気持ちが傾倒していきました」

  

都市計画から建築、そして家具へと、興味の焦点はより実用的なプロダクトに絞られていった。
ここ数年は、前述したように国内外のさまざまなジャンルのデザインワークに果敢に挑み続けている。「まだまだわからないことだらけですから」と謙遜しながらも、少し照れたような笑みを浮かべる。

  

アトリエは、小学校の校舎をリノベーションした三宿の「世田谷ものづくり学校」にある。隣接する校庭からは窓越しに子どもたちの声が響き渡る。のどかでピースフルな、この環境が好きだという。インタビューは子どもたちの声をBGMにしながらはじまった。

  

ものづくりの原体験は幼稚園に

――藤城さんは、有田焼400年事業の「2016/project」に参加されていますね。

 国内外の16人のデザイナーと有田にある窯元とが組んで、2016年のミラノサローネで発表するのが目的です。世界にも発信されるので、僕にとってこのプロジェクトは、今後の活動にも影響する、大きなチャンスだと思っています。

――器のデザインをされたのは初めてですか。

 そうですね。いまサンプルがあがってきた段階です。他のデザイナーさんの作品も気になりますね。

――参加されたのは、どういういきさつでしたか。

 去年の春に僕が個展をしていた会場に、「2016/project」のクリエイティブディレクターでデザイナーの柳原照弘さんから参加を打診されました。

――有田の窯元へも何度か行かれたそうですね。

 昨年と今年、視察してきました。焼き物についての知識があればだいたいの要領もつかめますが、僕にとって分からないことだらけです。職人たちがどんな道具を使い、どういう作業をしているのかを、現地でつぶさに観察できたことは、いい経験になりました。

――デザインする過程でこだわっていることはありますか。

 パソコンの画面や紙面による3面図と実物大の模型とでは、得られる情報は全然違うと思います。手に触れてみて、初めて納得することがある。最近は模型ばかり作っています。

――クライアントも模型を見せられたほうが分かりやすいのでは。

 たしかに模型には説得力があります。以前、アディダスで「PREZ」というスニーカーをデザインした時も、イラストではなく、素材もサイズも実物と同じ模型を作ってプレゼンしました。クライアントも喜んでくれましたね。

――スニーカーは昔から好きでしたか。

 そうですね。もともと僕は10代の頃から靴とか古着に興味があって、とくにアディダスとコンバースが大好きでした。僕がデザインした「PREZ」もそうですが、スタンスミスやスーパースターは、ひもを強めに縛って、細くして履くのがすごくかっこいいと思います。
 2007年に、ここ「世田谷ものつくり学校」の建物が一棟丸々、スタンススミスの新作発表会に使われたことがありました。コラボ作品を発表するイベントも行われ、僕が提案したのが、「アディダス スタンススミス プレイ」モデル。スタンスミスはすでにプロダクトとしても完成された美しいフォルムです。そこで、僕としてはできるだけ手を施さずデザインしてみました。履いているうちに原型のデザインがやっぱりいいとなれば、糸を切っていつでも元の状態にして履けるようにという発想から生まれたもので、まさか製品化されるなどと思いもしませんでしたね。

――服はよく買われますか。

 独立してから服にかける余裕もないんですけどね。ちなみに今日来ているセーターなんて、学生の頃に買ったもので、15年近く着ています。僕は物持ちがいいんです。

――今の自分に影響を与えたような原体験はありますか。

 僕が通っていた幼稚園がそうだったのかもしれないですね。60年代に丹下健三さんが設計した、ちょっと変わった幼稚園なんです。建物の壁に穴がたくさん空いていて、そこから自然光が差していたのが印象的で、ガラスのショーケースには民芸品がたくさん飾られていました。椅子は天童木工の特注品。紙で作る、絵を描く、歌を歌う。それ以外のことはしない幼稚園でしたね。

――当時の記憶は鮮明ですか。

 そうですね。いま思えば幼稚園の影響って大きいかなと思います。楽しいからここから出て行きたくないと、卒園式に大泣きしたのを覚えています。

――藤城さんの作品に流れている共通項は何ですか。

 僕自身はあまり分からないのですが、よく言われるのは、「この素材、藤城さん、好きそうだよね」という反応です。マットっぽい感じとか、革だとスエードとか。ようするに鈍い色のものですね。

――革と言えば、エルメスのイベントも間もなく始まりますね。

 4月29日からエルメス銀座店で「petit h(プティ アッシュ)」という、さまざまなアーティストやデザイナーが職人の技による作品を披露する、期間限定イベントです。僕は、化粧品ボトルみたいな形状の革のオブジェを作りました。最初、エルメスのアトリエに持って行ったら職人さんたちが集まってきて、「なんだこれは」となりましたね。ひとつの作品を縫いきるのに80メートルもの糸を使いました。

――今後の活動についても教えてください。

 やはり家具をやりたい。夢は長く売られる椅子を作ること。以前は「50年売り続ける椅子を作りたい」という言い方をしていたのですが、今の時代、同じ商品を10年以上売り続けるのってなかなか難しい。僕がこれまでIDEEで提案した椅子など、もう全部ありません。それが現実です。だから、この仕事やっている以上は、それが夢ですね。もちろん販売する側にも長く売り続けるだけの体力が必要なんですけどね。
(文 宮下 哲)

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藤城成貴(ふじしろ・しげき)

デザイナー。1974年東京生まれ。和光大学経済学部卒業後、桑沢デザイン研究所夜間部を卒業。1998年から株式会社イデーに入社。定番商品、特注家具のデザインを担当。2005年に退社し、shigeki fujishiro designとして独立。 2011年現在、スペインのプロダクトメーカーRS Barcelonaと契約。プライウッドメーカーSAITO WOOD のディレクターを務める。第21回桑沢賞 受賞。

http://shigekifujishiro.com/

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