鎌倉から、ものがたり。

<30>真剣でストイックな100種類

(「MANNA」前編はこちら

 鎌倉の長谷にあるイタリア料理店「Manna(マンナ)」。店名はギリシャ語で「糧」を表す。旧約聖書の出エジプト記には、飢えた人々の上に、天からこの「糧」が降ってきた話が書かれているそうだ。
 人が生きる上で欠くことのできない「糧」は、オーナーシェフの原優子さん(43)の手で、さらに別の次元へと飛躍する。前菜からドルチェまで、100種類以上が手書きで記されたメニューは、素材からはじまり、料理、食器、盛り付けまで、手を抜くところが一つもない。中でも、原さんがもっとも大切にしていることは、「素材と向き合う姿勢」だという。
「素材にこだわらない人は、店をやらない方がいいですね」
 その口から、スパンと切れ味鋭い言葉が飛び出してくる。
 鎌倉は素材に関して地の利がある。イワシ、アジ、サバ、カツオ、スズキなど、旬の魚は佐島港にあがったもの。味の濃い野菜は、毎朝、鎌倉のレンバイに足を運んで選んでいる。
「かといって、『〇〇産の魚介』とか『〇〇さんが作った野菜』を打ち出すつもりは、まったくないんです。手間がかけられた素材は、やっぱりおいしい。そういうものを見つけて、向き合うことを大切にしたいのです」
 そう語りながら、原さんは手と動作を止めることがない。魚の小骨を取り除いたり、オーブンで焼き菓子をチェックしたり。
「若いころはインスピレーションで走っていたところがあったのですが、40歳を過ぎて、丁寧な仕事を身に付けられるようになってきたかな。この1年、それを実感するようになりました」
 インスピレーションと丁寧さは、原さんの料理を支える両輪だ。インスピレーションの素は、音楽、文学、映画。少女時代にバイオリンを習っていたことがベースにあり、「本当に問われるのは、技術ではなく精神性」という、料理との共通点も意識する。
 しかし、原さんに余分な感傷はない。
「料理人をやっているのは、私と娘が生きていくため。そこにロマンティックなものはありません」
 と、言い切る。
 15年前、鎌倉に最初の店「Nadia(ナディア)」開いた時は、結婚と出産のため、1年後に店を閉めることになった。尊敬する料理界の先輩でもあったパートナーから「きみには余裕がない。1回、仕切り直しをするべきだ」と言われて、その通りだと思ったからだ。
 だが、店を閉めた後は、自分の居場所をなくした思いで、ずっと不安だった。そこで半年後に心機一転、初代のマンナを由比ヶ浜に開店する。場所を変えたにもかかわらず、お客さんたちは、すぐに「原優子の店」に戻ってきてくれた。現在の場所に店を移したのは、結婚を解消し、娘との二人暮らしを決めたことがきっかけだ。住まい兼用の一軒家にしたのは、娘といつでも一緒にいられるようにしたかったから。その時、目の前にはあったのは不安ではなく、自分が選んだ道だった。
「料理しかできない。いえ、料理すらできない、と言った方が正しい。でも、そのおかげで、たった一つだけの、自分の進む道を見つけることができたのだと思っています」
 そんな原さんの真剣な生き方と、マンナの料理はつながっている。それこそが、舌の肥えた鎌倉の人たちを長くひきつける理由だろう。
「でも、あまり上手にならないように。キャッチィにならないように……」
 ストイックでありながら、豪快、自由自在。原優子の料理は、今も進化の途中だ。

(次回は9月11日に掲載する予定です)

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

猪俣

<29>由比ヶ浜の、特別な場所/マンナ

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<31>ガジュマルの木の下の家/バーンロムサイ

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