このパンがすごい!

空気さえ食べ物にする宇宙人のパン/365日

365日(東京)

 365日オーナー、杉窪章匡という宇宙人。あるいは、パンの世界のストレンジャー(異邦人)。彼はみんなが共有しているパン常識を、故意なのか、眼中にないのか、簡単にひっくり返してしまう。

 パンといえば発酵の匂いが濃厚にあるという常識。彼のパンからそれは丹念にはぎ取られている。すると、素材たちは活き活きと個性を発揮し、歌を歌いだす。雨上がり、空気中のチリが洗い流され、思いもかけずクリアな景色が現れるように。見慣れた景色が(素材が)こんなにうつくしいものだったと感動を覚える。

 カレーパンとは香りを楽しむものだった。噛み切った瞬間に香りのブーケが軽やかに散乱する。肉の香り(高級フレンチででもなければ嗅げない種類の)。スパイスの香り(辛くするためでなく、香りの魔法をかけるためのもの)。ダシの味わい(濃いのではなく奥深い)。赤ワインのぶどうの香り(とともにアルコールが味わいを滲ませる)。パンの甘さとかぼちゃペーストの甘さ(ただ甘いのではなく光り輝くように甘い)。かりかりした衣から滲みだすオリーブオイル(どこまでもヘルシーでクリーン)。

 書き並べたこれらの風味たちはどこまでもソフトタッチ。羽根で肌を撫でられるかのように。じわじわ広がって、なかなかやむことなく、飲み込んだあともずっといい感覚を口の中に残す。このとき私は、かって杉窪章匡が呟いた名言を思いださずにいられない。

 「食べ物とは、おいしければおいしいほどエロティックになってくる」

 パンの中にぎっしりあんこが詰まっていれば詰まっているほどおいしい。これが私たち地球人のあんぱん概念だが、宇宙人はあんぱんの意味さえ簡単に錯誤してしまう。365日の「白こしあん×あんぱん」。ぷりんというなんとも艶かしい食感とともにパンの薄皮を噛み切ると、中が空洞である(テニスの軟式球か?)。噛み切った瞬間、中に溜まっていたあんこガスが風船を破裂させたみたいに飛びだしてくる。あんこの香りが口から鼻へ駆け抜ける。宇宙人は形のない空気さえ、食べ物にした。

 さて、生地を噛みきったあとの歯は中空をさまよい、あんこの甘さの沼に着水する。あんこ+下の薄皮という、くにゃっとしてぷりんぷりんの快楽にまみれる。そのとき、また「?」が頭の中に渦巻く。あまりにもフルーティな白あん。いま自分が食べているのが、あんこなのか、アプリコットジャムなのかわからなくなるほどに。素材をピュアに磨き込めば込むほど、フルーツのように甘く、清らかになっていくと、宇宙人は教えてくれる。

 ハタケは杉窪章匡が訪れた畑の記憶から生まれたパンであるらしい。彼は「風景」をパンにしてしまった。まるで一塊の土の上に種を蒔いて作った箱庭かジオラマのような見た目。芝生のように表面にまぶされているのは、大葉など季節の葉野菜の千切り。噛みちぎると、草のすがすがしさがすーっと広がる。パンはふるふる震えるほどやわらかく、野菜から滲みだしたジュースを吸ってじゅんとして、小麦がとろける。葉っぱたちが楽園の香りを奏でる。そして、パンと野菜をつなぐソースに潜んだこの香りは…みそだ! みその発酵フレーバーが野菜と相まって田舎の風景へ食べ手をつれていく。注意深くはぎ取られたはずの発酵フレーバーはここで極上の体験として回帰する。

 ハタケにそっくりなものをかつてどこかで読んだ気がしていたのだが、それがなにか思いだした。サンテグジュペリ「星の王子さま」に出てくる小惑星である。王子さまがそこから墜落してきたところの故郷。ひょっとして杉窪章匡もハタケみたいな星から代々木八幡に墜落したのではないか、そう思える節はある。彼は常々、自分のパンによってこの地球を平和な星にしたいと高言している。宇宙の彼方にある故郷を取り戻そうとするかのように。

365日
東京都渋谷区富ヶ谷1-6-12
03・6804・7357
7:00〜19:00
店舗マップはこちら

<よく読まれている記事>

 

<バックナンバー>
このパンがすごい!

PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)
http://panlabo.jugem.jp/

ごくごくと飲み干したくなる明太フランス/パンストック

一覧へ戻る

「自分の時間」に戻れるベーグル / 森の生活者

RECOMMENDおすすめの記事