このパンがすごい!

「自分の時間」に戻れるベーグル / 森の生活者

このパンがすごい!

白あん×クリームチーズベーグル。ケシを練りこんだ生地に

■森の生活者(鳥取)

 過ぎ去る時間はすべて同じではない。ばたばたと仕事をして、ごがーと寝て、あたふた休日を過ごす。そんな日々を送るうちどこかに消し飛んでいたものがある。自分の時間というやつだ。それを守り抜くのにうってつけの場所がある。

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店内。川を見下ろすカウンターが最高の席

 鳥取駅から商店街を抜けると現れる川のほとり。そこに立つ古めかしいビルの階段を昇ると「森の生活者」がある。本があり、コーヒーの匂いがして、客たちが思い思いの時間をすごして……というたたずまいはまさしく喫茶店的だけれど、ひとつだけちがうところがある。ベーグルの置かれた木製のガラスケース。

世界美食紀行

ガラスケースの中に並んだベーグルから選ぶ

 はやる気持ちをおさえ、まずは喫茶店の客となる。逆光の中浮び上がる川沿いの並木の緑におびきよせられるように、川を見下ろす窓際のカウンターにつく。

 森木陽子さんはベーグルを焼く人であり、コーヒーを淹れる人だ。一杯一杯ハンドドリップする時間が、こちらの気持ちを沈静化させていく。窓の外を見るのもいいし、本棚から本を一冊とってきてもいい。橋を渡って通り過ぎる人を眺める。『妖怪クイズ百科じてん』なる本に目を落とす。忙しい毎日でならしてみることもなかったことをすると、時間の流れはゆっくりとなり、いつのまにか「自分の時間」がそこにあるではないか。コーヒーとベーグルの香りも精神安定剤になっているはずだ。

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トーストして、クリームチーズと季節のジャムをはさんで。このときはすもも

 ここのベーグルの魅力を一言でいうなら、軽やかという言葉に尽きる。表面の薄い皮だけがぱりぱり割れ、一瞬あとに中身の甘さがじんわりとしてくる。口の中に満ちるその甘さをコーヒーの苦みですすぐ快感。喫茶店の定番である食パントーストの魅力をベーグルで創造的に再構成したといえる。

 ベーグルといえば弾力があってなかなか噛み切れないものだ。このベーグルももちもちではあるけれどそれがほどよい。パンに近いような発酵をとっていると思われ、ふわっとして食べやすい。ベーグルが苦手という人でもおいしく食べられるだろう。

 そんなふうなので、本に目を落としたまま齧(かじ)って邪魔にならない。その行いはまるで、パンと真剣に向き合わない半端な態度のようだが、喫茶店においてはそうではない。時と場所がちがえばお行儀が悪いと指弾されそうな行為をあえてする自由。それが「自分の時間」であることを確認させてくれているのだ。

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自家製ジャムと店主の森木陽子さん

 自家製のジャムがおいしい。季節季節の果物を使って作られる。私が行った日(9月)にはすももだった。甘さと酸味に心地いいバランスがあって、果実の香りもふくよかなのだった。

 加えて、画期的フィリングも発明されていた。ジャムにクリームチーズというのがベーグルの定番だが、ジャムに変えて白あん。あんこの陰にチーズの酸味が潜んで、あんこの絶妙な相方となっている。おいしい白あんにはフルーティなフレーバーが含まれているのだから、合うはずである。甘さはまた、コーヒーの相手としても絶妙なのである。あんぱんのトッピングとしてポピュラーなケシは生地の中に練りこまれている。NYベーグルで定番の「ポピーシード」のさりげない引用として。

 名著『森の生活』で、ヘンリー・ソローは文明の進歩に流されるままの当時の人びとから距離を置く足場を得ようと、森へ隠遁する。「森の生活者」で、私たちもまたそんなふうなのだ。川を見下ろしつつ、ガラス一枚隔てて下界と隔絶された場所に、ベーグルとともに立て籠(こも)る。

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川沿いに店はある

■森の生活者
鳥取市弥生町103-2F
0857-50-1170
9:00〜18:00ごろ(月火休)

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PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)
http://panlabo.jugem.jp/

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