このパンがすごい!

まるで天国の果実 季節の酵母が香るパン/タロー屋

タロー屋(埼玉)

 最初の衝撃はローズマリー酵母のパンを食べたことだった。そこはかとないローズマリーの香りがして、口の中で花が開くかのような錯覚に陥った。香るけれど、姿を見せない。ローズマリーは練りこまれているのでなく、ルヴァンリキッド(発酵液)の形で、香りのエッセンスとしてだけ存在していたからだ。直接ではないので過度の強さも苦みもなく、ひたすらうつくしく香る。それを手がかりに、肉料理などと合わせたらきっと素敵にちがいない。

 タロー屋の星野太郎さんは、季節折々に咲く草花や、野菜や果物から発酵液を起こす。それらを水に浸けておくと、付着している酵母が目覚め、泡を吹きはじめる。彼らの息がパンをふくらませ、同時に香りは生地を彩ることになる。春には桜の酵母が出るし、秋にはキンモクセイ酵母でパンを作る。季節をパンにし、目や鼻だけでなく、味覚でも感じさせるのがタロー屋の仕事なのである。

 タロー屋のメニューは季節ごとに変わる。去年の冬に食べたものは、「バラ酵母のフリュイ」だった。バラの香りがなにかの香水のようにたちのぼるさなかで、レーズンやラズベリーやレモンピールからなるフレーバーの花束を味わう。天国に実る果物を夢想したら、こんなかぐわしい組み合わせになるのかもしれないと思わせるほどに。

 「りんご酵母と畑の春菊、黒ゴマのブール」は、自家菜園でとれた春菊に、季節の果物であるりんごを合わせたものだ。春菊の鮮烈な香りをまるでハーブでもあるかのように嗅ぐ。つづいて襲うりんごの酸味。黒ゴマははじめ香りとして訪れ、やがて噛むうち油となって、春菊の苦味を甘さへと変えていく。パンの食感は、薄い皮が破れる快さと中身のみずみずしさが相まって、しゃきしゃきとしている。

 発酵種を自家培養したパン(いわゆる天然酵母)というと、熟成感のある重たいパンをイメージするが、タロー屋のパンは風味に軽やかさがある。種をつないで発酵のフレーバーをうなぎのタレみたいに重ねていくのではなく、発酵液は毎回使いきる。だから、季節の刹那が表現されるし、発酵のフレーバーに透明感があって、小麦の味わいや具材をハーモニーのように透かして見せる。

 レモン酵母のノアレザンがそうだ。しゅわっとした口溶けから染みだしてくる小麦感が生々しい。レモンの香りとレーズンの甘さが重なって作りだされる風味は、かわいらしく、実に好ましいものだ。甘さとフレッシュさがあって、そして後味に柑橘系の香りとわずかな苦みを残す。私はこれをみかんのドライフルーツのパンだと錯覚して食べた。無論、その誤解は、目隠し鬼をしているみたいに楽しいものだけれど。

 星野さんは自家菜園でできる作物のみならず、散歩のときに出会う花々や庭の木からも酵母を起こす。酵母にすることは星野さんが季節を感じる感じ方そのものなのである。実はこの店は私の家から近い。私は自分が自然も少ない住宅密集地に住んでいるように思いこんでいたのだが、そんなことはなかった。身近にさえ季節はこんなに転がっていたのだと、タロー屋のパンを食べるといつも気づかされる。いまは寒くなっていく季節だ。私はそれを憂鬱なことだと思っていたけれど、いたずらに見過ごすのはもったいない。りんごのさわやかな酸味や春菊の青い香りという宝物を、季節は私たちに与えてくれているのだから。

タロー屋
埼玉県さいたま市浦和区大東2-15-1
048・886・0910
10:00~売り切れまで(木土営業)
※通信販売あり

PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)

http://panlabo.jugem.jp/

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