このパンがすごい!

時間とともに香り高く、成長するカンパーニュ/ブレッド&サーカス

世界美食紀行

全粒粉カンパーニュ。大きなパンがごろごろと置かれる風景はパンラヴァーの心を掻き立てる

■ブレッド&サーカス(神奈川)

 パンとは焼きたてがもっともおいしく、時間が立てば立つほど風味が悪くなっていくものだ、と思われている。私もほぼ同意するけれど、それが当てはまらないパンがある。

 ブレッド&サーカスの全粒粉カンパーニュ。むくむくとふくらんだその頂点は、渦を巻きながら上昇してパンから飛び出そうとする魂のようだ。焼きこんだ皮から舌に押し込んでくる濃厚な風味、ほどよい酸味。中身も実に味が詰まっていて、発酵の香りと全粒粉の香りが入り混じってもつれあうように変化する様は息もつかせない。しっかりとした熟成のフレーバーがあり、それはあまりに甘くてカステラみたいに感じられるほど。甘さは溶けるごとに強まり、それとともに穀物的な香りも繊細に発揮されるようになる。

このパンがすごい!

全粒粉カンパーニュの断面

 この大きなパンを初日では食べきれず、2日目、3日目と食べていった。水分が蒸発してパンは枯れ、みずみずしさが失われていく。なのに、味わいはむしろ凝縮し、成長を遂げるのだ。あらゆるパンは、時間が経てば経つほど老化する運命から逃れられないけれど、その速度を、熟成の速度が凌駕しているのだろう。きちんと発酵させたパンだけに許された不思議。

 サワーブレッドにおいて、シンプルなパンなのになぜかチーズのような香りが鼻を突くのは摩訶不思議である。皮を口に含むとすごく甘い。たっぷりと水分を含んだ中身を歯が押し潰すときぴちぴち鳴るのは、極めて快楽的だ。その甘さはバニラに似て、そこに酸味をともなった発酵のフレーバーが香水のようにふりまかれている。飲みこむ頃には、もちを噛んでいったとき漂うのに似たでんぷん的な味わいがずきずきと口の中でしている。

このパンがすごい!

パンチするところ

 これらのパンを作るところを見た。今年75になる寺本五郎さんはいまでも厨房に立っている。作り方はまったく型にはまっていない。たとえば、パンチという工程。発酵の途中で生地を折り畳んで空気をリフレッシュしたり生地を伸ばすためにあるのだが、寺本さんのやり方は特殊である。生地をつかんで厨房のはじっこまで後ずさっていく。びよーんと1メートルも生地は伸びたであろうか。衝撃的な場面だった。

 「ここでグルテンを伸ばしとくから、窯の中でわーっとふくらむんですよ」と寺本さん。

 グルテンとは小麦に含まれゴムのような性質で空気を保持するタンパク質のことである。自家培養した発酵種を用いながら、のびのびふくらんでいることは、口溶けの面でも窯の火が中心までしっかりと入って小麦のポテンシャルを引きだすことにも寄与しているだろう。

このパンがすごい!

店主の寺本五郎さん

 こうしたユニークなアイデアはどこからやってくるのか。建築家として大成したあと、60を過ぎてパンの道に入った寺本さんが行ったのは、アメリカに渡って図書館に籠って数百年に遡ってレシピを狩猟することだという。パン屋で修行するという一般的なコースを経ない寺本さんのパン作りに、日本の製パン常識はまるで当てはまらない。

 レシピもまた古今東西からよりすぐり、血肉としたもの。全粒粉カンパーニュは耳かきの先ほどしかパン酵母(イースト)は入れず、24時間にわたって発酵をとる(取材時の製法。現在パン酵母はまったく入れていない)。サワーブレッドはパン酵母を使わず自家培養した発酵種。どちらも水をたっぷりと入れていて、それが口溶けのよさ、風味のよさ、何日たっても老化しないことにつながっている。

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窯から出た直後のパン

 神奈川県の湯河原という都会から少し離れたところにありながら、店の前には行列が尽きない。カレーパンやクロワッサンといった砂糖と脂にみちたやみつき度の高いパンではなく、シンプルな大きなパンで人びとを狂奔させているのは実に驚異だ。

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ポテトクラウン。じゃがいもと、じゃがいものゆで汁でこねたパン。豊潤な甘さ

このパンがすごい!

店の外観

■ブレッド&サーカス
神奈川県湯河原町土肥4-2-16
0465-62-6789
11:00~17:00(水木日休)
 
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PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)
http://panlabo.jugem.jp/

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