このパンがすごい!

酵母が奏でる変幻自在のハーモニー/ラトリエ・ドゥ・プレジール

このパンがすごい!

クグロフ

■ラトリエ・ドゥ・プレジール(東京)

 ラトリエ・ドゥ・プレジールの田中祐治さんは30種類もの発酵種を自家培養し、それらを組み合わせてパンを作る。画家がパレットの絵具を使って絵を描くように、音楽家が五線譜に音を並べていくように、さまざまな酵母や乳酸菌が発するフレーバーでハーモニーを作り出す。彼のパンを食べることはまるでオーケストラの演奏を聞くことだ。フレーバーが現れては消えていき、共鳴したり、争いあったりする。その移ろうさまを、まるで万華鏡でも眺めるかのように楽しむのだ。

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パン・ド・メテイユ

 パン・ド・メテイユという、小麦とライ麦を半々ずつ混ぜた丸い大型のパン。食べたとき「これが本当にプレーンなパンの香りなのか?」と思った。桃かぶどうか、あるいは白ワインにあるようなフルーティさ。香ばしい、なのにフルーツの甘さがふくらんでくる不思議、そして後味に酸味。中身を食べるといよいよ果物らしさがはっきりする。麦の甘さはおだやかに、そしてキンカンのような野趣も含んだ甘酸っぱさが静かに炸裂している。ぶどうの甘酸っぱさもぴちぴちと弾けて鼻孔の細胞に飛んでくる。

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バゲットカンパーニュ

 バゲットカンパーニュのカリカリとした皮を噛むと、目の前にピンク色の花が咲いた。まるで薔薇のような香りがするのだ。そして焼き芋の甘さ。少しずつ酸味が滲み出てきて、ぴりぴりと舌に残る。中身を食べると小麦と思えないほど甘く、もう一輪ラベンダーの花を咲かせた。甘さとフレーバーは交わりつつ、なぜか酸をだんだん強くさせ、バルサミコのサラダを食べているような心地いい甘さと酸味の後味へと高まって、消えていく。

 発酵でこんな風味を作れるのか? まるで錬金術のような、この世界の秘密のドアを開けているような、ぞくぞくとする神秘的な気持ちに誘われる。

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ハード系のパンが中心

 ブリオッシュのようなリッチな生地に、さまざまなドライフルーツやナッツが入ったクグロフ。マリー・アントワネットが食べていたと言われるこのパンを、当時さながらにパン酵母(イースト)ではなく自家培養の発酵種で作り出す。そのフレーバーも豪華絢爛(けんらん)で、まるで食べるベルサイユ宮殿。

 皮の食感はくしゃっとして、中身はまるで層が折り重なったようになっていて、ぷしゅっと一瞬にして溶け去る。その瞬間、小麦の複雑味を発するのだ(まるでろうそくが消えるときの最後の輝きのように)。バターの甘さと発酵のフレーバーが絶妙に合わさっていることにも感動。そこに絢爛たる具材が合わさる。栗の甘さ、レーズンの酸味、くるみの香ばしさ。それらを吸い込み、パン生地自体の味わいまでどんどん成長していく。

 別添えのスポイトに入れられたメイプルシロップ。これをかけると、甘さに塗りこめられるのではなくすべてがまとまり、まるでパンから発した汁のようにとてもジューシーになる。そして、気づく。そういえばはじめから発酵のフレーバーがほのかにメープルの香りを発していたではないかと。すべては田中さんの狙い通り。魔術師の手のひらの上で踊らされていたわけだ。

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窯入れの前の生地。とろとろなほど水分が多く、ふわふわと気持ちよさそうで、思わず触ってみたくなった

 田中さんは命をかけてパンを作る。比喩として言っているだけならいいのだが、それは文字通りなのである。彼は眠らない。家にほとんど帰らず、ぶっつづけで仕事をする。30種類の酵母を管理し、それらを組み合わせてパンを作るということは極めて時間のかかる、複雑な工程なのだ。次から次にやるべきことが襲ってきて、寝ることを許さない。なにが田中さんをそんなにも駆り立てているのか。

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田中祐治シェフ

 「駄目なんですよね。前よりもどんどん深いもの、どんどんおいしいもの、どんどんいいものじゃないと、俺が店をやってる意味あい、存在意味がまるで見つからないんですよね。だから、捨て身の覚悟でできるところまでやってやろうと」

 こんな話を聞くと、ラトリエ・ドゥ・プレジールという奇跡に立ち会えていることが身に余る幸せだと再確認できる。でも、もうひとつだけわがままを言わせてほしい。私は10年後、20年後、30年後の田中さんのパンが食べたい。この巨匠は未来に、必ずもっともっと「すごいパン」を作る。

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粒で仕入れた稀少な小麦を石臼で自家製粉する。パンの狙いによって、さまざなま粒の大きさで挽き分ける

■ラトリエ・ドゥ・プレジール
東京都世田谷区砧8-13-8 ジベ成城 1F
03-3416-3341
12:00~19:00(月木休)

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PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)
http://panlabo.jugem.jp/

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