ファッショニスタの逸品

「心地よい街づくり」を起点に建物を考える 西田司さん

西田司さん(撮影 石塚定人)


西田司さん(撮影 石塚定人)

東日本大震災から5年が経過しようとしている。東北地方でもっとも大きなダメージを被った宮城県の石巻には、震災のあと国内外から多くのボランティアが訪れ、さまざまな復興支援が行われた。人的支援の中には医師や通訳など自身の職能を生かす人もいたが、建築家もまた、仮設住宅の建設や地域再生事業などに関わり復興に貢献をしてきた。西田司さんもいち早く、現地を訪れた建築家のひとりだ。

「心地よい街づくり」を起点に建物を考える 西田司さん

西田さんは、地元住民と対話を重ねるうちに、石巻の中心や商店街がじつは震災の前から「シャッター街」が深刻だったことを知った。復興の名のもと、このまま街を元通りにしても、「残念な商店街」が再生されるだけではないか。それよりも、新たな街へとバージョンアップさせてはどうか。地元の有志と協力し、「石巻2.0」を立ち上げたのは、震災からわずか3カ月後の2011年6月のことだった。賛同メンバーは、建築家、広告ディレクター、プロダクトデザイナー、研究者、地元商店街の人々、NPO職員とさまざま。その中に、西田さんも理事として、また主要メンバーのひとりとして名を連ねている。

  

これまで、「石巻2.0」のメンバーが展開しているプロジェクトは20を超える。例えば、IT技術者1千人を育成するために作られた「イトナブ」は、デジタルクリエーター集団のライゾマティクスと石巻の高校生がコラボし、プロジェクションマッピングを製作。また、「石巻工房」が作ったオリジナル家具は、世界的家具見本市ミラノサローネにも出展され、すでにブランド化が進められているそうだ。

  

「過去の状態に戻すことよりも、新しい街を作り出そうということを草の根的にやっています。地域と一緒に、石巻で『未来』を作っている感覚です」と話す西田さん。
1999年に大学を卒業した彼は、同級生だった友人の保坂猛さんと建築設計事務所「スピードスタジオ」を設立。デビュー作は、実家の「西田邸」(2001年)。20代の若手建築家ユニットが試行錯誤を重ねながら練り上げた斬新な空間構成が注目され、その後、彼らが手掛ける作品は、雑誌などでもたびたび取り上げられた。04年には次なるステージを目指してスピードスタジオは解散し、西田さんは、「オンデザインパートナーズ」を設立。現在の仕事場は、横浜の古いビルのワンフロアを建築家やクリエイターらとシェアしている。住宅から街づくりまで建築という枠を越えて活躍する西田さん。その仕事には「人と人、人と街とが心地よく過ごせる“場”」という世界観が、一貫して宿っているように見える。

  

「家のことも、街のことも、商店街のことも、そして生き方についても、建築家ってさまざまな人々と垣根なく関わることができる仕事です。僕らの『職能』が必要とされる場面は、これからもっと増えていくと思う」

西田さんの思考はつねにポジティブだ。

  

依頼があった仕事は、けっして「できない」と考えない

――花柄のシャツが印象的です。
学生時代からずっと長髪でしたが、30代前半の頃、「クライアントの手前、さすがにこのままではマズい」と思って、今くらいの長さまで切りました。その時、首まわりの襟元が少し寂しく感じて、白シャツから花柄のシャツにしてみたのがきっかけです。今日着ているのはポール・スミスのシャツ。リバティ社の生地を使ったシャツなどが好きです。クローゼットにはつねに7、8着あって、春夏の半袖と秋冬の長袖をシーズンおきに衣替えしています。毎シーズン2、3着は買いますが、最近は妻も理解してくれて、ネットのオンラインショップでいい柄があると買っておいてくれます。

――時計もすてきですね。

時計はふたつ持っています。ひとつは〈パティック フィリップ〉のカラトバラ。もうひとつは〈ルイ ヴィトン〉のダブルオートマティックGMTブルー。いずれも30歳になった頃に購入しました。映画監督や企業の社長から設計の依頼が舞い込むようになり、まだ若造だった僕は、後ろ盾がなさ過ぎるように感じて、自分を鼓舞する意味でも思い切って買ったんです。当時は、設計するうえでクライアントの人たちの見ている目線、彼らの生活感覚を自分の中に養いたくて、話にでた旅館やホテルに積極的に泊まったりしながら、なりきり勉強をしていました。その一環として、時計好きなクライアントから影響され時計を買ったというのもあります。あの頃は、投資してでも学ぶべきかなと思っていたんです。今はどちらかといえば、モノというより、豊かさや生き方などの価値観を多く学んでいます。

――ここ数年は、石巻での活動が注目を集めています。

いわゆる中心街の「中心」ってなんだろうと考えた時、そこは単に物販など商売をする場だけではないと思ったんです。人が集まるカタチにはいろいろあるはずです。そこで、「ものづくりにしてもITにしても、食やファッションにしても、人が集まるための居場所や活動する舞台として一つひとつカタチにしていきたい」。そう考えている人たちと一緒に、「石巻2.0」を立ち上げることになりました。

――ライゾマティクスも参加するなど、話題のイベントがありました。

「学校の成績」や「スポーツ」といった評価基準からちょっとはみ出た、内向きな性格の高校生たちが主体となってプロジェクションマッピングを製作しました。ライゾマティクスの代表・齋藤精一さんがサポート役というぜいたくなイベントを経験できたことは、今後彼らの人生にとっても誇りになるし、これがきっかけで東北芸術工科大学に入り、自分の将来に前向きになった学生がいます。

――西田さんが「人」と「街」に着目したきっかけは何ですか。

機はふたつあって、ひとつは10年くらい前。都会の路地を楽しく使うためにどうすればいいかというテーマで、千代田区神田の住人とディスカッションをしたことがありました。その時、僕ら建築家は、床を変えたらどうか、ベンチを作ったらどうかというところからアプローチをしたのに対して、街に暮らす住民の考えは、もっと違ったものでした。例えば、おそば屋さんを誘致しようとか、ここに飴玉をくれるような親切なおばあちゃんがいるといいな、とか。結果的に建築家の考えって、街という環境体の中では、一側面でしかないことに気づいて、ちょっと衝撃を受けました。

――それは見た目のデザインだけではないということですか。
そうです。少し前の時代の建築教育は、端的に言えば、「建物が素晴らしければ人は自然と集まる」というもの。でも、そこに暮らしている人たちからしてみれば、そんなことよりも飴玉をくれるおばあちゃんがいるほうが潜在的な価値があるわけです。建築家が、そうした部分を理解したうえで街のことを考えてデザインするのと、最初から自分の職能はハードから街をデザインすることだと言うのとでは、生まれる結果はまったく違うんだということが分かりました。

もうひとつは、建築家としての意識変化です。ある日、お施主さんとの打ち合わせ中に模型を見ながら、「外の視線が気になる」と言われた時、「こういうルーバー(格子)を取り付けてみては」と僕は何気なく答えたんです。そして、ハッと思いました。「少し前に、違う場所で同じ話をしていた。これでは自己模倣だ」と。人の視線をかわす方法なんて本当はたくさんあるのに、キャリアがあることで、無意識に過去の話をコピーしてしまった自分に気づきました。

――それは経験値があがったということではなくて?

僕にとってそれは、過去の再現に思えたんです。そこから日常を見直すと、同様の状況が散見されました。設計の仕事はよくトップダウンと言われます。ボスがファーストアイデアを出し、スタッフがそれをどうやれば実現できるかと考えるわけです。ひらめく瞬間がいちばんピュアな状態なので、そこから図面をひいて構築していくと、例えば一年かかってできたものは、最初にひらめいた0日目の再現でしかない。この時間がもったいないと思いました。もっと様々な角度から価値を積み重ねる時間に使えるのではないかと。そう考えるようになってからは、自分一人で考え決定することが過去の自分の模倣に見えてきて、それ以来、トップダウン形式の設計をやめ、共同設計に移行しました。スタッフとフラットに意見を出し合い、お施主さんや街の人たちを巻き込んで一緒に考えるようになりました。最近の言葉でいうと「集合知」ですが、自分でも思いつかない予期せぬ発見が毎回あって、とてもクリエーティブだと思います。

――今後、控えているプロジェクトを教えてください。
じつは今、横浜スタジアムで面白い試みをしています。コミュニティボールパーク構想という、コアな野球ファン以外にもスタジアムや横浜公園に来てもらう取り組みです。例えば、ふつう一般の方は、試合観戦以外にグラウンドの中を見ることができないのですが、昨年、スタジアムの公園側にある大きな搬入用扉を開放したんです。そこから選手が練習している様子が見えるのが、地域の人たちにすごく好評でした。今年は少しエスカレートさせて、その搬入用扉から一般の人がグラウンドに入り、出勤前に早朝キャッチボールをできないかと企画しています。キャッチボールをして出社するって、よくサーファーが波に乗ってから出社する感覚と同じです。グラウンドから見ると客席がすり鉢状になっていて、圧倒的な高揚感があります。ファンでなくても開放的で気持ちのいい場所だと思います。そこで、体を動かしてから出社すれば、横浜に住んでいる価値や、働いている価値につながると思います。それは「街」と「自分」とをつなげるという経験でもあるんです。

――仕事の内容もますます広がっているように見えます。

住宅設計の依頼はここ数年変わらずに毎年6、7棟ほどいただいています。だいたい完成までに1年強~1年半程かかるので、10軒くらいを並行している感じです。僕は、「学ぶ準備ができたら師が現れる(When the student is ready, the teacher will appear.)」という以前海外のクライアントに聞いたことわざが好きで、よく頭の中で反芻(はんすう)しています。簡単に言うと、いろいろな困難が介在していても、結局、仕事や出会いはそれを活かせる人のところにしか来ないってことです。間違っても、いまの僕のところにいきなりアラブの宮殿を設計してくれって来ませんよね。もし来たとしたら、それはこちらに受入れる状態が出来ているってことだと考えます。
建築業界にいると、雑誌などをみて「これ設計したいなあ」と思ったり、いい建築物を訪れた時は、「こういう空間を造りたいなあ」と素直に思うことがあります。でも、今の自分にそういう仕事が来ないのは、こちらの器がまだそこに到達していないから。もちろん、大きな仕事だけじゃありません。そもそもこれは仕事なのかどうか?という案件もよく依頼があります。僕は、それも同じだと思っていて、来るからにはこちらに活かせる力があると考え、決して断ることはしません。とはいえ、一緒になって柔軟に受けとめ恊働してくれているスタッフの大変さは増す方向で、いつも申しわけないと思っています……。

(文 宮下 哲)

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西田 司(にしだ・おさむ)

建築家。1976年神奈川県生まれ。99年横浜国立大学卒業後、スピードスタジオ設立。2004年、オンデザインパートナーズ設立。住宅作品を中心に、新たな公共空間を提案する活動を継続的に行っている。おもな仕事に、農家と都市をつなぐ拠点「六本木農園」、共用広場付き住宅「ヨコハマアパートメント」、復興を超えたまちづくりプラットフォーム「石巻2.0」など。2013年から東京大学、東京理科大学、京都造形芸術大学などで非常勤講師をつとめている。
http://www.ondesign.co.jp/

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