鎌倉から、ものがたり。

志が同じ仲間と一緒に、ゆったりと、ゆっくりと/亀時間

志が同じ仲間と一緒に、ゆったりと、ゆっくりと/亀時間

>>「亀時間」前編から続きます

 鎌倉は全国的にみても有数の観光地だが、宿泊する人の数は全観光客の1%以下と、意外なほど少ない。首都圏に位置し、交通の便がいいことが逆に作用しているのだろう。レストラン、カフェの数とは裏腹に、「泊まって楽しむ」場所はまだ少数派だ。

 そんな鎌倉で、櫻井雅之さん(43)がゲストハウス「亀時間」を開業したのは2011年。東日本大震災からすぐ後の4月のことだった。

 29歳の時に3年を費やして、アジア、中東、アフリカを旅した櫻井さんは、帰国後に逗子で暮らしながら、「持続可能で、やりがいのある仕事」「質素でも時間に余裕のある充実したライフスタイル」を模索していた。

 アフリカ・ジンバブエでは、民族楽器「ムビラ」の音色に魅せられ、師匠について奏法をマスターしていた。ムビラ奏者として立っていくことも夢見たが、現実はそんなに甘くない。悶々とする中である日、バックパッカー仲間が言っていた「ゲストハウスをやってみたい」という言葉が、脳裏に甦ってきた。

 聞いた当時は、自分が旅人でいたい気持ちが強かったから、さして気に留めなかったが、その言葉を思い出した時は、「自分のいる場所で、旅人を迎えてみたい」と、心境が変わっていた。

 そんな時、地域グループ「トランジション葉山」の新規メンバーから、メーリングリスト経由で、「ゲストハウスに興味があります」という知らせが飛び込んできた。メールの主は、大学院で文化人類学を勉強していた「すずまゆ」さん。彼女は、青年海外協力隊でボリビアに滞在した経験もあった。

 「旅で体感したことなのですが、勇気を持って一歩を踏み出すと、ジェットコースターに乗ったように、新しい世界が開けて、いろいろな計画が一気に進んでいくことがあるんです。そのメールを見た時に『これだ!』と直感しました」

 もともとゲストハウスは、志を同じにする仲間と一緒に立ち上げたいと願っていた。その願い通り、プロジェクトが始動すると、地域つながりの仲間たちから、さまざまに救いの手がさしのべられた。

 鎌倉を象徴する材木座海岸に歩いて3分、大正時代建造の由緒ある木造家屋、という物件を紹介してくれたのは、界隈で歴史的建造物の再生に取り組むNPO法人「葉山環境文化デザイン集団」の高田明子さんだ。内装は、逗子の「ビーチマフィン」など、古民家を得意とする大工の「インチャリ」さんが力を貸してくれた。トランジション葉山の仲間たちは、建物や庭の整備を手伝ってくれただけでなく、ゲストハウスに必要な器具や備品を格安で譲ってくれた。

 「はじめは不動産屋さんから門前払いを受け続けたんです。仲間のつながりで物件を借りることがようやく決まった後も、家の軒下から不発弾が出てきて避難命令が出たり、竜巻(!)で屋根が飛んだりと、激動に次ぐ激動……」

 その極め付きが開業直前に起きた東日本大震災だった。周囲がざわつき、知り合いが次々と避難していく中で、ギリギリまで自問自答を繰り返した。結論は、「僕はゲストハウスを開く」。覚悟を新たにできたのは、ひとえに地域の仲間がいたからだという。

 時計なし、テレビなし、浴槽なしの館内。開業から5年がたった今でも、便利に、豪華に、という方向は考えていない。お風呂を求めるゲストには、界隈に唯一残った銭湯「清水湯」さんをすすめ、補修は手作業でこつこつと行う。大きな宣伝もしていないのに、宿には、日本人をはじめ、フランス、アメリカ、ドイツ、そして台湾、中国と、各国からゲストがやってくる。

 「ゲストハウスって、要するに『安宿』ってこと(笑)。あまり気張らずに、これからもゆったりと、ゆっくりとやっていければいいな、って」

 ゆったりと生きることは、実は勇気がいる。そのことをかみしめた上で、櫻井さんは誰もが自分のペースで生きていける社会を願い続ける。「亀時間」という屋号は、何とも絶妙だ。

亀時間
神奈川県鎌倉市材木座3-17-2

>>写真特集はこちら

<鎌倉から、ものがたり。>バックナンバー

PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、92年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、『観光亡国論』(アレックス・カーと共著・中公新書ラクレ)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

ケープタウンから戻って見つけたローカルな自立/亀時間

一覧へ戻る

鎌倉駅前の、由緒正しい素泊まり宿「ホテルニューカマクラ」

RECOMMENDおすすめの記事