東京の台所

<120>19歳、ホームシックひとりパーティー

〈住人プロフィール〉
会社員・24歳(女性)
賃貸アパート・1K・有楽町線 小竹向原駅(練馬区)
築年数約30年・入居3年・ひとり暮らし
    ◇
 本当は芸術の勉強がしたかった。だが、両親は「就職につぶしがきかない」と反対。ならば二番目に好きなことをしようと、料理が好きな彼女は地元、北九州の栄養大学に進む道を選んだ。
 入学式当日。キャンパスに立った彼女は、いいようのない不安に襲われた。
「ここで4年間、本当にがんばれるだろうか?」
 自分の居場所ではないと本能的に悟ったのかもしれない。その半年後から受験勉強を始めた。
「やっぱり人生、一番好きなことをしなきゃ意味がない。絵や写真や映像の勉強をしたい。行くなら東京しかない!と思って親に内緒で勉強を始めたのです」
 ところが受験日が近づいたある日、あっさり受験票が母に見つかってしまう。
「母は、うすうす気づいていたようでしたね。私は、一度言いだしたら聞かない性格だし。受験料と交通費をパパには内緒だよ、とこっそり貸してくれました」
 折しも通っている大学は試験期間まっただなか。一番安い片道5千円のスカイマークで試験を受けに上京し、とんぼ返りで後期試験を受け、また上京という1週間を過ごした。後期試験は白紙で出し、自ら退路を断った後、日大芸術学部の合格通知を手にした。
 父は、栄養士という安定した将来がありながら、東京の大学に入り直すという娘を最後までひきとめた。ちょうど東北の震災があった年で、母も、やはり地元にいたほうがいいのではと心配しだした。「お金のことは心配するな、好きなことをしろ」と背中を押したのが、近所に住む祖母だった。
「私はおばあちゃん子で。相談に行くとその場で、お金のことは大丈夫だからと。祖母の後押しがなかったら今の私はないですね」
 つまり、家族の愛情を一身に浴びて育った人なのだ。
 こうして19歳で上京。初めてのひとり暮らしが始まった。念願の総合芸術の勉強ができて、毎日が充実していたのではないかと聞くと──。
「いえ、それが、ものすごく淋しくなっちゃって。料理が好きなので自炊をしていたのですが、帰宅後、部屋にも入らず3時間台所でぼーっとしていたこともありますし、ただただ人が恋しくて、買うものもないのにスーパーに何度も通ったり。食費は週に2千円と決めていたのに、ある日なにもかもが全部嫌になって2千円分お菓子を買って、泣きながら帰ったこともあります」
 ホームシックという簡単な言葉ではくくりきれない、都会の中の孤独感、10代の迷いや不安が伝わってくる。
 そんなときはどうしたんですか。
「私、淋しいと器を買う癖があるんです。だからグラスやマグカップがどんどん増えちゃって。八つとか九つ並べて、全部にお茶を煎れて、深夜、ひとり台所パーティーをしてた。すると不思議とちょっと落ち着くんです」
 苦労して九州から出てきた女の子が、深夜、たくさんのマグにお茶を注ぐ。立ち上る湯気を見ながら、ひとりじゃないと自分に言い聞かせている姿が目に浮かび、こちらまでせつなくなった。
 人がたくさんいるからこそ、そばにだれもいない淋しさが重たい雪のようにずしりと心にのしかかる。ひとり暮らしの東京の夜の冷たい重さを思った。
 上京6年目。現在は念願のCM制作会社で忙しく立ち働く彼女は、もうすぐこの台所とお別れをする。11月に結婚するのだ。今、彼女はしみじみと振り返る。
「淋しさを噛みしめたのも台所ですが、嫌なことがあると夢中で料理をして、それがストレス発散にもなっていた。ひとりでも台所にいると楽しいし、落ち着く。部屋にいるよりここにいるほうがずっと長かったし、大好きな場所でした」
 たくさんの料理を教えてくれたのは祖母。婚約者も大好物だという手作り高菜を教えてくれたのは母。
 そうか、彼女は、故郷の家族と、台所で料理をしながら会話をしていたんだな。北九州の実家仕込み。24歳の花嫁の次の食卓はきっと賑やかに違いない。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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<119>熊本へ移住。3年を経て再びの東京暮らしに

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<121>試行錯誤もまた楽し。新婚建築家夫婦のお勝手

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