このパンがすごい!

果実の官能性を引き出す「焼き」の魔法 / クピド!

クピド!(東京)
 ざくざくざくっ。クピド!のデニッシュを食べるときの大音響。褐色の焼き色が証明する、ぎりぎりの一種を狙って攻めた焼き加減。しかも、焦げてもいないしムラにもなっておらず、あくまでうつくしい。一層一層が描く曲線は、火に炙(あぶ)られてじりじりと乾いたことを示し、歯に少し触れただけでばりっと弾けるばかりになっているのだ。食感だけではない。同時に、風のように吹き抜けてくる香ばしさと、旨味(うまみ)。これも焼き切ることによって生まれてくる。
 クピド!のデニッシュの場合、そこに極上のカスタードが合わさる。バニラの香り、卵のフレーバー、ミルキーさ。すべてが、濃厚で、濃密なのである。そこにばりばりと割れ、小片に分かれたデニッシュ生地が混ざりあって、香ばしさや旨味を放つ。正反対の属性を持った両者の邂逅(かいこう)は、感覚の針が振り切れるほどの快楽を生じさせる。
 これでもまだ、クピド!のデニッシュを食べたとき押し寄せる体験の半分にすぎない。この土台の上に、果物の官能性を引き出したコンポートがのるのだから。
 たとえば、「洋梨とゴルゴンゾーラのデニッシュ」の場合。ざくっと果肉を噛(か)みちぎるよろこびとともに洋梨の果汁がほとばしり、カスタードの上に、まるで甘い香りの香水をまき散らすように飛び散る。さらに、ゴルゴンゾーラの塩気が甘さと旨味を強め、駄目を押す。ゴルゴンゾーラの香りは鼻腔(びこう)をつかみかかってくるかのように激しい。それは感性に食い込み、この快楽をしっかりと刻印して忘れさせないようにする。
 あるいは、「シナノゴールドの焼きりんご」においても、フルーツを丸かじりするような感覚はさらに研ぎ澄まされている。焼きりんごをそのままデニッシュの上にのせてしまったかのような大きさ。ざくっと噛み切る瞬間、肉を断つときの快楽とその裏側の背徳感がぞくぞくっと背筋を走り抜ける。そして、閉じこめられたりんごの果汁がシャワーのように噴出する。
 それぞれ調理した生地とフィリングを最終段階で組み立てるお菓子とちがい、クピド!のデニッシュはすべてを焼いて、オーブンの中で調理していく。オーブンから出た瞬間にすべてが100%の状態でゴールする。それをイメージして計算し尽くさなければ、このクオリティにはならない。東川司シェフはいう。
 「フレッシュなままのせるのはお菓子屋の仕事。パン屋は焼くところで勝負する。かつ鮮烈さを出す。生地とフィリングが合わさったときの相乗効果、シナジーが『表現』。でも、インパクトを出そうとしてばらばらなのは嫌なんです」
 他の甘いパンはどうか。東川シェフはデニッシュの強さとはまったく逆の感性を繰り出す。こちらはふにっとして、かよわくちぎれていくのだ。
 濃厚なカスタードを使ったクリームパン。はじめは、パンがあまり甘くないことにおやっと思う。そこからの大逆襲。あっというまにカスタードの甘さが予期を凌駕(りょうが)してパン生地をのみ込んでいく。生地のつながりに硬さが感じられず、ほどけるようにやわらかい。その結果、テクスチャーの快さだけでなく、口溶けもよくなって、カスタードのとろけとシンクロするからこそ、この快感がある。
 ベニエ・オ・シトロンというドーナツも同じく。もちもちのやわらかい食感からちゅるりという口溶けフェーズへすんなりと移行。そこに憩っている暇もなく、中からフランス製オーガニックレモンのコンフィチュールがどろり。レモンのつんざく酸味、ほろ苦さ、柑橘(かんきつ)感の強烈さの一方、生地の口溶けのまろやかさ。ここにもデニッシュ同様の現象がある。非対称性の対称。激しいアンバランスのバランスは、人を狂わせるのだ。

クピド!
東京都世田谷区奥沢3-45-2 1F
03・5499・1839
10:00~売切れ終了(不定休)

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PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)

http://panlabo.jugem.jp/

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