このパンがすごい!

30歳の若武者シェフが操る豊かな旨味 / メゾン・ムラタ

メゾン・ムラタ(兵庫)

 神戸に和田岬という街がある。三宮から地下鉄で十数分。地上に出ると、時の経ち方が神戸より少しゆっくりな気がした。いい感じに古びた、ひなびた商店街。そこにある、一軒だけおしゃれな、内装も手作りのブーランジュリーがメゾン・ムラタだ。
 パンにオーラを感じた。中でも、ひときわ目を引いたのが、アルビオレ。自家培養の発酵種を使って、わりと平たく、大きく焼いたパン。その焼き色のうつくしい濃厚さに私は心を持っていかれてしまった。ただ強く焼いただけではなく、旨味(うまみ)をそのまま焼き切ったような色。私はそれを買い求め、どきどきするような気持ちで近くの公園へ急いだ。
 パンの袋を開けて、唸(うな)った。漂ってきたのは心地よい酸味。刺すのではなく、ふんわりとやさしい甘酸っぱさが鼻腔(びこう)を撫(な)でた。
 食べてみる。その皮には、香ばしさを超えた香ばしさがあった。奥行きのある渋み、コク。この皮がチップスになっていたらえんえんと食べつづけてしまうだろう。中身には、梅干しにも似た、フルーティでまろやかな香りがあって、うっすらと酸味が後を引く。湿ったやわらかい生地はちゅるちゅると溶け、麦の甘さがひたひたと押し寄せる。食感もすばらしい。皮は硬度と歯切れよさを兼ね備え、がりがりに近いぱりぱり、なのに中身はモイストなテクスチャー。舌にもやわらかく触れ、ぽろぽろとほどける感じで口溶けがいい。
 なんといっても目覚ましいのは、旨味だ。それは香りというファーストコンタクトにもあったし、パンを飲み込んだあとはそれが舌のあたりに唾液(だえき)と混じって液体となって溜(たま)っている。この豊かな旨味こそ、アルビオレを他のパンから分けるものだ。
 村田圭吾シェフにこのことを訊(たず)ねてみたとき、こんな言葉が返ってきた。
 「自分のパン作りは旨味のコントロールだと思っています。生地をどこまでつなげるのか、どこまで溶かすのか」
 彼は何種類も発酵中の種を取りだし、硬さを確認するように促す。この種が溶けていれば生地全体もアミノ酸が多い方向へ傾き、硬ければ(グルテンが形成され)パンの骨格となる部分が多くなる。ぎりぎりパンをふくらませつつ、アミノ酸を豊かに生成する。その舵(かじ)取りに村田シェフの意識は向けられていたのだ。
 それに、あの皮の色。濃褐色は「メイラード反応」が充分に行われた証拠だ。生地の表面が焼かれ、香りの成分を作りだすこの反応が起きるには、アミノ酸が含まれることが条件となるからだ。
 バゲットも然(しか)り。尖(とが)ったクープの先端のかりかりしたところに惚(ほ)れた。なんて甘い皮だろう。それだけではなく、麦のニュアンスをほとばしらせつつ溶ける。中身はぶりぶりともふさふさともして、まるで麦のパワーがふつふつと静かに燃え上がるような微妙なゆらぎを持っていた。
 もうひとつ、私を狂喜乱舞させたのは、角食パンだ。このパンにも心を躍らせる濃褐色の焼き色とつややかさがある。すーっときれいに広がる発酵の香り、そこに立ち混じるやさしい甘さ。真に驚異的なのは、そのあまりにソフトなテクスチャーだろう。実にエアリーな中身が舌の上にのると、噛(か)まなくても、ダリの時計みたいにだらりととろけて、溶解し、液体に変わる。小麦のミネラル感をほんのりにじませ、ミルキーに甘く。
 不思議なのは、こんなにやわらかい生地がどうしてうつくしい正方形の形を保っていられるかだ。村田シェフは型を示す。そう、正方形ということ自体に秘密はある。3斤型で焼いて1斤ずつに切り分ける普通の方法ではなく、1斤型で焼くので周囲の4つの面すべてが硬い皮となって形が保たれるという。そして、たくさんうがたれた孔(あな)。蒸気が閉じこもらないので皮がやわらかくならないのだ。
 「いやー、1日中錐(きり)通しで孔を開けてましたよ」と。
 どこまでもどこまでもイメージを追究していく本当の職人。まだ30歳のこの若武者がパンのシーンを変えていくはずだ。

メゾン・ムラタ
兵庫県神戸市兵庫区小松通2-3-14
078・384・0234
7:15~17:30(水・日曜休み)

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PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)

http://panlabo.jugem.jp/

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