東京の台所

<123>離婚。味覚をなくした先にあったもの

〈住人プロフィール〉
会社員・38歳(女性)
賃貸マンション・1K・総武線 西荻窪駅(杉並区)
築年数22年・入居半年・ひとり暮らし
    ◇

震災離婚!?

 3.11からまる2日間、東京の自宅にいたはずの新聞記者の夫と連絡が取れなくなった。なんとか帰宅すると、家具は倒れ、器が散乱。夫はどこに行ったのか。誰に聞いてもわからない。彼の身になにかあったかと、生きた心地がしなかった。
 2日後。電話が来た。
「被災地に入っていて、いつ帰れるかはわからない。現場はね、」
 現場のすさまじさを興奮気味に話し、一方的に電話は切れた。
 彼女が聞きたかった言葉はない。
「仕事柄、その行動も気持ちもとても良くわかる。でも、大丈夫か?はひと言もなかった。私は彼の心配する対象じゃなかった。それまでもずっとそうでしたが、私に関心がないんだとはっきり悟りました。そのときですね、もうこの人とは無理だと思ったのは」
 彼女は静かに振り返る。

 交際している時から、なにかあると「じゃあ別れよう」と簡単にリセットしたがる人だった。「私はもっと向き合いたかったんです」と言う。二人の時間をどんなに一生懸命積み重ねても、その一言でなにもかもがゼロになる。その繰り返しの先に震災のできごとがあった。

 息が詰まるような話し合いの末、結婚生活の解消が決まった。彼は彼女の主張を受けいれた。もっと向き合ってほしかったという声が届いたかどうかは今もわからない。
「共働きで平日は食事もバラバラだったのですが、私は料理が好きで、土日は作っていました。それだけが唯一妻らしい仕事だったかもしれません。彼はなにを作ってもおいしいおいしいと言って食べてくれる人で。よく料理をほめてくれていましたね」
 まだ好きなんですか?と尋ねると笑い飛ばされた。「それはないです。もう会いたくはない」。
 初対面の人間には軽々とは言えない重い記憶があるのだろう。
「別れる最後の日まで食事はちゃんと作るから」と宣言した。彼女なりに、妻らしい最後の時間を全うしたかったのかもしれない。

「最後の夕食は何を食べたい?」
「うーん、カレーかシチューかなー」
 よく、「煮込み料理の香りがする家に帰れるのがうれしい」と言っていた。カレーは外で食べられるが、シチューは家でしか食べない。とりわけシチューは彼の好きな家庭料理のひとつだった。
 彼女は、蕪やきのこなどその時の旬の食材をたっぷり入れて、ていねいにシチューを作った。
「いつもなら二人で食べきれる量しか作らないのですが、彼がひとりでも食べられるようにいっぱい作って小分けして冷凍して。別れる男のために私何やってんだ?と思いながら保存容器に詰めてました」

 離婚後、選んだ物件は阿佐ヶ谷の2DKで、1Kの今の家ではない。一人には広すぎるようなぜいたくなマンションだった。
「ひとり暮らしに戻るけれど、部屋も冷蔵庫も洗濯機もなにもかもサイズダウンしたくなかったんです。なにがなんでも2DKを探そうと躍起でした」
 しばらくして彼女はある変化に気づいた。味覚がない。何を食べても味がわからなくなっていた。

ショック療法

 あんなに好きだった料理をする気にならない。何を作ってもおいしくない。どうせ一人しかいないのに一生懸命作ってもしょうがないと思った。
 コンビニに毎日通うようになった。
「ひととおり、コンビニのものを食べ尽くすと、飽きてしまって。空腹なのに、なにひとつ食べたいものがないんです。あとは友だちを誘っては飲み歩いていました」

 地方で生まれ育ち、一人娘で両親から存分に愛情をあびて育った。離婚で、その両親を悲しませたことも苦い記憶になった。
「元夫は複雑な家庭に育ったせいか、難しいところがあったけれど、もう少し私が努力してどうにかできなかったかな、こんな年になって田舎の両親を悲しませることしかできなかった自分、当たり前のように幸せな家庭を作ろうと思っていたのにそうできなかった自分を責めていました。インターネットの離婚の掲示板を見ると、うつ病になったとか、心療内科に通院したという体験談が載っていて、よけい滅入るばかりで。泣けない私は心が壊れているのか?と自問自答していました」

 しかし、もともと自分で作ったものがおいしいと思うごくあたりまえの生活をしていた人だ。コンビニと外食の生活が半年続いたある日突然、限界がきた。
「食べたいものがひとつもないのにコンビニに寄る生活がもう嫌だと思ったのです。出来合いのものを食べるのはもう嫌だと。だったら味噌汁1杯でもいいから自分で作ったほうがマシじゃないか?と」
 通勤路にスーパーがあったので、おそるおそる寄ってみた。半年ぶりに食材を買って作った5年前のメニューを今も覚えている。ご飯と味噌汁と焼き魚。
「つくるというほどの料理じゃないです。焼くだけ、炊くだけ。でもなんておいしんだろう!と。こんなに簡単でおいしいものをなんで作らなかったんだろうって思いましたね」

 だからといっていきなり料理に復帰したわけではない。人の心はそう簡単にリセットできないのだ。いわば、その日が料理回復第一段階。第二段階はその週末である。
「休日によし、台所に立ってみよう、もうちょっとちゃんとした料理を作ってみようと思い立ちました。でもできるかどうかは半信半疑でしたね」
 味覚も微妙。先日の味噌汁のように、おいしいと素直に感じることができるかはわからない。
 選んだのはシチューである。
「ある種のショック療法です」と彼女は笑った。
 なぜ味覚がわからなくなり、料理から遠ざかったのか。それは台所に立つと、あの最後の日、やるせないどん底の気持ちでシチューを小分けした、もうどうにもならない煮詰まった気持ちをリアルに思い出してしまうからだ。つまり、シチューを作ることで、彼女は自分自身を試したかったのだろう。さて出来栄えは──。

「なにこれ、おいしいじゃん!って。作るときも何もかも忘れてめっちゃ集中できて楽しかった。それですごく楽になれました。私、考えすぎだったんだなあって。思い出にまつわるものを作ったら苦しくなるものと思い込んでいただけ。ああ、私は作るのが好きなんだ、台所仕事そのものが好きで、身に沁みついた切り離せない習慣のようなものだったのだとあらためて気づきました」

 次は、飲み屋で食べて美味しかったメニューを再現した。さつまいものオレンジジュース煮だ。これもすこぶるおいしかったらしい。
「そうやって1個1個、地道に日々のことをちゃんとやっていくことが、自分を取り戻すプロセスだったんですね。頭で考えるほど大変なことじゃない。毎日のことをちゃんとやっていけば私は元気になれる。私って意外に強いかもしれないって思えました」

 ささやかな日々の暮らしをきちんとする。米を炊き、だしをとり、味噌汁を作る。病院に行って特別な治療を受けたり、お金をかけて心を開放しに旅に出たり、難しい本を読まなくても、人は自分の力で自分を、心を取り戻すことができる。台所に立ちながら、彼女は初めて自分と向き合い、失った時間と対峙した。そして過ぎ去った日よりこれから生きる時間を大事にしようと気づいた。
 台所は彼女にとって、傷ついた心を繕う治療室でもあったようだ。

小さな部屋へ

「猫を見に来ない?」
 転職した仕事場で、いつも美味しそうな弁当を持ってくる同僚女子が声をかけてきた。猫好きの住人は「行く行くー」と即答した。
 訪ねると、ロフト付きの小さなコーポだった。コンロはIHがひとつ。この小さなコンロで、毎日あんな美味しそうな弁当を作っているのかと驚いた。パンを焼いて同僚に配ることさえあった。
 部屋は狭いながらもこざっぱりとし、趣味の良いアジア系雑貨でインテリアがまとめられていて、居心地がいい。
 ワインと手作りのツマミをさっと作ってもてなされた。マリネ、野菜のあえもの、焼きチーズ。
「少ない道具、シンプルな住まいでこんなにていねいに暮らせるのかと目からうろこでした。広くなくてもちゃんと料理は作れるんだなあと。同時に、意地になって広いところに住んでいる自分がなんだかばからしくなっちゃいました……」
 同僚の影響で弁当を持参するようになり、台所に立つことが生活のリズムに自然にくみこまれていった。この訪問が、彼女に心を取り戻す第3段階になった。

 マンションの更新時期が来た。彼女は迷わず転居を選んだ。ものを残すものと捨てるものと区別し、荷物を減らした。越した先は台所一つ、部屋一つの古いマンションの1K。だが、角部屋で窓が2面あり明るい。冷蔵庫だけは大きなのをそのまま持ってきたが、本棚やキッチンカウンター、コーヒーテーブルなどほとんどの家具は思い切って処分した。
 台所は狭いが、シンクとコンロがL字型に配置された独立空間で使いやすい。もちろん、弁当作りも料理も日課になっている。

 ところで、料理とは何か。彼女はそれを「立ち位置確認」という簡潔な言葉で表現した。
「もう1回ひとり暮らしに戻って、地に足をつけて現実を生きていく。今後どんなことがあっても生活の最低限のところはしっかりしたい。元気にやれているかどうか。その立ち位置確認が私にとって料理です」
 暮らしの根っこを支える料理が、自分が自分らしく健やかに生きることを確認する術でもある。
 料理は極論すれば、命を育む行為だ。彼女は同時に心も育んでいる。なくした自分は台所にあった。

 外でおいしいものに出会うとレシピを家で試す。タイとベトナム料理をマスターしたいので、その手の新レシピの探求にはとくに余念がない。料理番組もメモをしながら見て、すぐにトライする。
「もう1回いいことがあったら、料理は役に立ちますしネ」
 最後に少女のような笑顔で首をすくめた。こういう聡明な人にはきっといいことがもう1回あると、私はこっそり信じている。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/
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