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<46>境界を超えて「世界」とつながる カリスマシェフの本棚

<46>境界を超えて「世界」とつながる カリスマシェフの本棚

 東京・代々木八幡駅にある人気ベーカリー「365日」が、一本隔てた通りにカフェ「15℃」をオープンさせたのは今年3月のこと。

 入り口の右手には壁一面の本棚と、パンやスイーツ類が並ぶショーケース。カウンターとテーブル席では、朝7時からは朝食、昼はサンドイッチやハンバーガー、夕方からは自然派ワインなどのお酒に合いそうな単品料理が味わえる。カウンターの中に設置されているのは、コーヒーの焙煎(ばいせん)機。午前中に店を訪れると、両店のオーナーで、気鋭のシェフ・杉窪章匡さん(43)がエチオピア産のオーガニック豆を選別している姿に遭遇することもある。

 「料理やパン作りっていろんな食材を使った団体競技みたいなものだけど、それに対してコーヒーは個人競技。豆の選別からコーヒーを入れるまで、最初から最後まで自分一人でできるものに挑戦してみたかったんです」

 そんな杉窪さんは、パン業界の常識を軽々と打ち破る活動で、天才肌とみられることも多い。だが、本人曰(いわ)く「完全な積み上げ型」。商売という不確かなものに携わっている以上、精度を高めるために理論武装するしかないと考えているからだ。

 石川県出身で、両祖父が輪島塗の職人。高校中退後、料理の道を選んだという。フランスのレストランで修行し、2002年に帰国後はパティシエやパン職人として活躍。2013年に独立してパン屋をはじめた。

 「やりたいことは20年先まで考えています。パン屋を選んだのは、無添加のものやオーガニックの食材にこだわりたいと考えた時にパンがマッチしていたからです。でも、パンだけと決めたわけではありません」

 「365日」の厨房(ちゅうぼう)が手狭になったことから、大きな厨房を持つ2店舗目を作ることに決めた。新しい店について考えた時、真っ先に挙がったのは、杉窪さんが“個人競技”として挑戦したいと考えていたコーヒーの焙煎。そして2番目は本を扱うこと。「365日」でも本や雑誌を扱っていたが、数冊を棚に並べる程度だった。

 「僕、小学校の時に図書委員長だったんです(笑)。それに勉強はしなかったけど、本を読むことは好きだった。だから、もっと本を置けるスペースが欲しかったんです。とにかく本をよく買っているので、本を選ぶ自信はあります」

 店内の棚に並ぶのは、杉窪さんが「自分が勉強するのに役立って、若手の料理人や料理好きな人に読んでもらいたい」という観点から選んだ料理関係の本と、世界各国の文化や旅、環境などにまつわる本。後者は下北沢の書店「B&B」がセレクトしている。

  「店名の『15℃』は、世界の平均気温のこと。これで世界は一つということを表しているのですが、世界にはさまざまなグラデーションがあり、その全てが調和している状態だと思っています。また、他者や異なる価値観への恐れというのは、相手のことを知らないから生じるのであって、多様性や違いがあることを理解できれば平和でいられるはず。だから世界のさまざまなことにまつわる本を揃(そろ)えたいと思ったんです」

 確かに、この店は多様性に満ちている。パン、コーヒー、スイーツ、和菓子、ハンバーガー、ワイン、新鮮な野菜、本、中古のCD……。

 「今、世界のグローバル化が進み、さまざまなことが混ざり合う流れにあると思うんです。職業や職種も同じで、10年後にパン屋やスイーツの店がなくなってしまってもおかしくない。となると、ジャンルではなく、食材のクオリティーとか、別の視点が重要になってくるはずです」

 杉窪さんが今、思い描いているのは、自分の目で厳選したものだけを揃えたスーパーマーケットのような店。安全でおいしい食材を使った食べ物を作り、お客さんが安心して買える野菜などの食材を並べ、そこに本や雑貨、服があってもおかしくはないと考えている。

 どうすれば世界を平和にできるのか。杉窪さんは、料理人という立ち位置からこの大問題を常に真剣に模索している。食材にこだわりぬき、その持ち味を引き出すために全力を尽くすこともその一環。武器は自由な発想力。パン屋やカフェといった既存の枠組みに収まることなく、実践を重ねるパワーが、多くの人たちを惹(ひ)きつけるのだ。

■おすすめの3冊

ブックカフェ

「アジア未知動物紀行 ベトナム・奄美・アフガニスタン」(高野秀行)
まだ科学的に存在が確認されていない未知の動物をアジアの辺境で探すという珍紀行。「ベトナムの猿人『フイハイ』とか、当然見つかるわけないのに、地元の人に聞き込みしてみると、『俺も見た』なんて言葉が返ってくる(笑)。未知生物というジャンルに特化して突き詰めることで、その国の文化が見えてきます」

「イスラム世界の人生相談―ニュースの裏側がよくわかる」(西野正巳)
イスラム法学者のもとに寄せられた市井のムスリムからの相談を紹介した一冊。「違う国や文化、宗教の人を理解するのは難しいことなのに、イスラム教は、イスラム教徒でさえ法学者に質問するくらい理解が難しいもの。争いごとはそれぞれが“常識”を振り回すから起きるもの。だから、相手を理解することが戦争から遠ざかる一つの方法だと思うんです」

「ベッカライ・ビオブロートのパン」(松崎太)
兵庫・芦屋市にあるパン屋「ベッカライ・ビオブロート」。会社を辞めて調理師学校を受けるもまさかの不合格。その後、ドイツに渡ってマイスターの資格を取り、パン職人となった著者の自伝的エッセイ。「実は著者の松崎さんは友人。松崎さんを通してドイツの文化やパンへの考え方、人生とは何かを疑似体験できる一冊です」

(写真 石野明子)

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15℃
東京都渋谷区富ヶ谷1-2-8

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PROFILE

吉川明子

兵庫県生まれ。コンピューター・デザイン系出版社や編集プロダクション等を経て2008年からフリーランスのライター・編集者として活動。旅と食べることと本、雑誌、漫画が好き。ライフスタイル全般、人物インタビュー、カルチャー、トレンドなどを中心に取材、撮影、執筆。主な媒体に週刊朝日、アサヒカメラ(「写真好きのための法律&マナー」シリーズ)、婦人公論、BRUTUS、mi-molletなど。
https://www.instagram.com/a_yoshikawa0227/
https://note.mu/akikoyoshikawa

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