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<53>“客の価値観”を本棚に編み込む新刊書店

<53>“客の価値観”を本棚に編み込む新刊書店

 東京・神楽坂上にある、ガラス張りのモダンな建物。カフェだと思って上った階段の先には書店があった。ここはカフェでもあり、新刊書店でもある空間だ。

「本屋と知らずに入る人も多いみたいですね」

 そう話すのは、「本のにほひのしない本屋 神楽坂モノガタリ」の運営に携わる、児童書の出版社・えほんの杜代表取締役の永松武志さん(42)。同社は製本業を核として出版やウェブ制作などを行うフォーネット社の一部門で、2015年9月にこの店をオープンした。

「製本業を中心とした事業をずっとやってこられたのは出版社や書店、本のおかげ。本がなかなか売れない時代にその価値を高め、本を媒介にして人とのつながりを作れる場としての店をやってみたいと思っていたんです」

 製本や出版に精通している同社だが、書店運営は未経験の領域。そこで知人を通じて知り合いになった、久禮(くれ)書店の久禮亮太さん(40)に選書と書籍の販売実務全般を委託した。久禮さんは、18年間新刊書店で働き、その後、“フリーランス書店員”として独立。今年2月まで東京・昭島の「マルベリー・フィールド」の選書を担当し、現在はアドバイザーとして携わっている。

 久禮さんは、新刊書店の面白さは“同時代性”にあると考えている。

「書き手や編集者、出版社それぞれに、いま世に問いたいものがあって本を出す。新刊書店には“同時代のメディア”としての良さがあると思うんです。いろんな価値観が交錯してまぜこぜになった多様性にこそ、本棚の面白さがあります」

 久禮さんは、新刊書店員として客の声を拾い上げることを大切にしている。

「僕の価値観が全面的に出るのではなく、1冊1冊が棚のそこかしこにおのずと光っているようなあり方が好きなんです」

 オープン前、本の発注期限ギリギリまで粘って品ぞろえを考えた。いったん営業が始まると、客が棚から本を取り出して、買っていく。当然のことながらよく売れる本もあれば、久禮さんがよかれと思って仕入れたのに、売れなかった本もある。

「こうしたことが積み重なり、棚自体にお客さんの価値観がだんだん編み込まれていきます。お客さんによってこなれていく様子が、コミュニケーションが流れているような感じで好きなんです」

 客がどんな価値観を持ち、本を選ぶのか? カフェがあるという店の特性上、久禮さんがかつて勤めていた新刊書店よりも、客と直接会話する機会が増えたという。しかし、久禮さんが客と言葉を交わさなくても、スリップという手がかりがある。スリップとは、新刊書に挟まれた短冊状の紙で、会計時に取り外され、売り上げ管理などに使われるものだ。久禮さんはこのスリップを、客の好みの参考にするために活用している。

「僕がスリップを見てるって言いすぎると、『下手なものを買いづらくなる』とお客さんに言われてしまうこともあるのですが(笑)、本が売れてスリップが集まってくること自体うれしいことですし、この本を買ったのはどういう人で、次はどんな本を買われるのだろうか、などと考えるのは本当に面白いんです」

 久禮さんはスリップの束から、客の価値観の痕跡を見つけ、棚に反映させる作業を続けている。そして、客は棚を見るたびに、前回訪れた時とは違う品ぞろえに刺激され、新たな本に自然と手が伸びる。そこには確かにコミュニケーションが存在している。

「スリップからコミュニケーションの種を探しているんです。僕が無理くり読み取っているようなところもあるのですが」

 本屋らしからぬ空間にしたいという思いから、「本のにほひのしない本屋」と名付けられた同店。しかし、書棚に目を向けると、さまざまな本がしっかりと息づいており、輝きを放っている。

 逆を言えば客にもまた、久禮さんの試行錯誤や仕掛けを棚から読み取り、本を選ぶ楽しみがある。そんな密やかな“にほひ”やコミュニケーションを見つけに、神楽坂に足を運びたくなってしまいそうだ。

おすすめの3冊

おすすめの3冊

『夢見る家具 森谷延雄の世界 (INAX BOOKLET)』(著/本橋浩介、小泉和子、森谷延周、敷田弘子)
大正時代のプロダクトデザイナー森谷延雄の人間像を、彼が遺(のこ)した数々の言葉と、現存する希少な作品群から浮かび上がらせた1冊。「森谷延雄は、家具で詩を紡ぐ芸術家でした。オスカー・ワイルドやアルチュール・ランボーと並ぶ仕事を家具において遺し、彼もまた33歳で夭折(ようせつ)しました。たんにロマンチックな意匠の家具という域にとどまらず、家具と暮らす日常そのものを詩の情景にするような、想像力と生活の思想を兼ね備えた作品群は、素朴、優美、悪魔的、多面的な魅力を持っています」

『人類の星の時間(みすずライブラリー)』(著/シュテファン・ツヴァイク、翻訳/片山敏彦)
ゲーテやナポレオンなどの天才が輝きを放った12の世界史の運命的な瞬間を描いた、ツヴァイク晩年の傑作。「ヘンデルが大曲『メサイア』を不眠不休で突き動かされるように書き上げたとき。スコット大佐が南極点を踏破しながら遭難し果てたとき。トルコに攻められビザンティン帝国の都コンスタンティノープルが陥落したとき。ひとりの芸術家に舞い降りる天啓から無数の人々に降りかかる運命まで、そんな『星の時間』の光点をつないで読み進めるとき、歴史が流れ出すようなダイナミズムを感じ、興奮する傑作です」

『緊張をとる』(著/伊藤丈恭、イラスト/村田善子、出口藍)
なぜ俳優は舞台で緊張しないのか? “元大物女優”のスナックママが緊張をとるための演劇的アプローチを大公開! 「うさん臭い関西弁の“元大物女優”のスナックママが生真面目な会社員の客のちっぽけな自意識をバッサバッサ切りながらも、体と心の実践的な知恵を授けて救っていく対話がやたらと面白いです。演劇の世界で培われた身体技法と心の観察眼、人間そのものを全身で描写する表現技術といった著者の経験を惜しみなく注ぎ込んだ、ものすごく役に立つ“生きる知恵”本です」

(写真 石野明子)

   ◇

本のにほひのしない本屋 神楽坂モノガタリ
東京都新宿区神楽坂6-43 K’s Place
http://www.honnonihohi.jp/

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PROFILE

吉川明子

兵庫県生まれ。コンピューター・デザイン系出版社や編集プロダクション等を経て2008年からフリーランスのライター・編集者として活動。旅と食べることと本、雑誌、漫画が好き。ライフスタイル全般、人物インタビュー、カルチャー、トレンドなどを中心に取材、撮影、執筆。主な媒体に週刊朝日、アサヒカメラ(「写真好きのための法律&マナー」シリーズ)、婦人公論、BRUTUS、mi-molletなど。
https://www.instagram.com/a_yoshikawa0227/
https://note.mu/akikoyoshikawa

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