東京ではたらく

渋谷区のレストランマネジャー:小木戸 寛さん(32歳)

  

 いま、東京で働く人たちを取材し、仕事に対する思いや、そこに暮らす意味を聞くことで、「東京」という街について考え、魅力を再発見しようという新連載、「東京で、はたらく」。
 仕事とは? 東京で働くとは? その意義を問い直しながら、これからの東京と、時代を担っていく若者たちの声をお届けしていきます。第1回は、渋谷区のレストランマネジャー、小木戸寛さんのお話から――。
    ◇    
職業:レストランマネジャー(店長)
勤務地:渋谷区のイタリアンレストラン「Life son」 勤続:3年
勤務時間:お店の営業時間は10時~23時 休日:月曜日(定休日)
この仕事の面白いところ:日々発見
この仕事の大変なところ:体力勝負 
 
 出身は福岡県の北九州市です。自然もたくさんあって、田んぼを見ながら通学するような町でした。家族は両親と兄の4人。父は新聞社勤務、母は小学校の教師という、いわゆる“ちゃんとした”家庭で、子供時代に何かに困ったという経験はなかったですね。
 バンド活動をしていた4つ上の兄の影響で、中学から楽器を触るようになりました。当時はブルーハーツやハイスタンダードとかロックバンドがはやってて、なんかカッコイイな~っていう感じで。高校ではバンドを組んでました。

 福岡の大学に進学したのは純粋に都会暮らしへのあこがれと、一人暮らしがしたいっていう気持ちから。だから何を勉強したかと聞かれたら正直答えられません(笑)。飲食店に興味があったので、イタリアンレストランでアルバイトしてました。若いシェフと店長が切り盛りする店で、いろいろなことをいちから教えてもらいました。接客の仕方もそうですが、「トリッパって何だ?」「アクアパッツァってこんな料理なんだ!」とか(笑)。純粋に面白かったですね。
 大学4年の頃、そのシェフと店長が独立してレストランを出したんです。20席くらいの小さな店でしたけど、僕にとっては「30代で自分の店を持つ」というのは驚きだったし、憧れでもありました。「自分でお店を持って、音楽の活動もできたらすてきだろうな」って、そのときは漠然と思っていただけなんですけど、それが今の仕事につながる原点だったような気がしています。

 大学時代も音楽活動は続けていて、「東京に行ってミュージシャンになりたい」という思いはずっと持っていました。でも周囲が就職活動を始めると、やっぱりどうしようかな~という思いも少しは出てきて……。そんなとき、東京で役者をやっている兄から「一緒に音楽をやろう」という誘いを受けたんです。それで僕も上京を決めました。親は大反対でしたが、説得というより「とにかく行く」と、それだけ。父が東京の大学出身ということもあって、「若いうちはいいか」と、最後は折れる形で送り出してくれました。

東京でミュージシャンになりたい。

 上京して最初に住んだのは深大寺にあるアパートです。アルバイト代の半分が家賃にいくので、ギリギリの生活でした。2年間は月1、2回のペースでライブをやって、スタジオにこもって自主音源を作ってレコード会社に売り込むという修行みたいな感じです。

 いくつか大手レコード会社から声をかけてもらったこともあったんです。本社の個室みたいなところに呼ばれて、「もっとポップな曲を作れると売り込みやすいんだけどなあ」とか言われるわけです。言ってることはすごくわかるし、僕らも音楽を仕事にしたいと思ってるんですけど、やっぱり全然ときめかないんですよね。商品として作りこまれて、実力もないのに売り出されて、旬が過ぎたら終わり、みたいな。それでレコード会社に属さず、自主レーベルを立ち上げてCDをリリースしていこうということになったわけです。もちろん売れないと赤字になるんですが、その代わり誰にも口出しされず、自分たちの好きな音楽が作れる。自分たちにはそっちのほうが合ってるなと。

 最初のアルバムをリリースしたのが2011年です。タワーレコードに自分たちのCDが置いてあるのを見たときは本当にうれしかった。でも相変わらずバイト生活だし、あれ、もしかしてCD出してもごはん食べられないのか?って(笑)。それまでは漠然とCDを出したらごはんを食べていけると思っていたので、その時初めて現実を思い知りましたね。

 その後は徐々に全国ツアーを回ったり、憧れていたミュージシャンと同じステージに立てることも増えたのですが、そのなかで驚いたのは、一線で活躍するミュージシャンの中に、別の仕事を持っている人がけっこうな割合でいるということ。空間デザインとか、アパレルとか。平日は会社員で週末にレコーディングするという感じで。みんなスタートはアルバイトだったそうですが、週6日も働いてると、当然音楽より仕事のほうの腕が上がってくるわけです。バンドはその後に売れ始めたものだから、だったら別に音楽は仕事にしなくていいよねって。自分たちが作りたい音楽を作って、出したいときに自主レーベルからCDを出すみたいな感じです。

 で、ある日言われたんです、「寛くんもそうしたらいいよ」って。「飲食店が好きなら、それやりながら音楽やればって」。「え!? そんなのありなんだ!」って感じでしたね。でもそのとき、大学生の頃、自分のレストランで音楽ができたらいいなって思っていたことを思い出した。いいなあ、それはすごく理想だなって。自分たちはメジャーな会社で話を聞いてもピンとこなかったわけだから、そういうやり方のほうがきっと合ってるだろうなって。そんなことを考えていたとき偶然、イベントの演奏を頼まれたのが、今働いているレストランでした。

レストランと音楽、ふたつの夢が共存する場所

勤務先は参宮橋駅すぐのイタリアンレストラン「Life son(ライフ・サン)」


勤務先は参宮橋駅すぐのイタリアンレストラン「Life son(ライフ・サン)」

 初めてこの店で演奏したとき、空気感がすごくいいなと思いました。ほとんど直感ですけど。大学時代に働いていたのと同じ、カジュアルなイタリアンレストランというのもひかれた理由のひとつかもしれません、お店の雰囲気もオーナーシェフの人柄、考え方も含め、いいレストランだなって。

 学生時代から持っていたレストランで働きたいという気持ちと、音楽への思い、両方がちょうど熟して、整理がついた時期だったので、ここでレストランの仕事をメインに音楽をどれだけできるかっていう挑戦をしてみようと思いました。店は朝から晩までだし、相当キツイぞってことは聞いていたので、とにかくここでちゃんと3年は働こうと、それは覚悟を決めて入りました。 

 で、働きはじめると忙しくって、もちろん音楽活動なんてできないんですよ。でも不思議なもので、腹を決めて仕事に打ち込んでいると、お客さんとか、そのつながりの方から、「音楽やってるの? じゃあ……」と、映像作品、コマーシャルフィルム、展示音楽の仕事を依頼されることが増えてきたんです。ライブ活動は以前ほどできなくなりましたが、仕事としての音楽活動ができるようになったのは、また別の楽しさがありますし、すごくいい経験をさせてもらってます。

 1年でマネジャーに抜擢(ばってき)してもらったことで、仕事に対する姿勢は明らかに変わりました。純粋にこのお店をもっとよくしたい、平日も満席になったら最高だなという気持ちが自然と強くなってきたというか。僕は飲食をずっとやってきたわけじゃないですし、この先5年後、10年後、自分がどうなっているかわからないです。でも、ここでマネジャーを任されて結果を残せなかったら、どこへ行っても一緒だなっていうのはすごく思っていて。だから今はとにかくここで、この店を盛り上げること、そのなかで経験できることをやらせてもらう。それしか考えてないですね。

ワインはすべてヴァン・ナチュール。常に60種ほどがそろう。「繁盛店に出向いたり、試飲会に参加したり、月に50~100種類のワインを飲み、店に入れる銘柄を決めています」


ワインはすべてヴァン・ナチュール。常に60種ほどがそろう。「繁盛店に出向いたり、試飲会に参加したり、月に50~100種類のワインを飲み、店に入れる銘柄を決めています」

 マネジャーになってから力を入れているのは、ワインをすべてヴァン・ナチュール(自然派ワイン)に変えたり、メニューを黒板書きにして常に変化させたり、いつ来てもお客さんが新鮮さやおもしろさを感じられる店作りをすること。スタッフは現在4名ですが、みんな長所もあれば短所もあります。僕のやり方は長所を伸ばすほう。はじめは失敗してもいいから、みんなが今までやってきたこと、得意なことをやってよ、と。今は各スタッフが中心となって、お菓子教室を開いたり、お花のワークショップをやったり、料理以外のイベントも随時開催しています。そうするとお客さんへのアピールにもなって、徐々に常連さんも増えてきました。僕の得意分野は音楽なので、音楽関係のイベントを企画したりしています。

いつかまた訪れる出会いを逃さないために

 この店で働きはじめて3年になりますが、10年後には絶対自分の店を持つとかそういう具体的なプランはまだないんです。でも、これまで10年間東京で過ごしてきたなかで、人との出会いやタイミングっていうものが、自分にとってすごく重要なものだったなと思っていて。だからこそ自分が経験を積むことによって、そのときの自分のスキルに応じた話やチャンスがまためぐってくると思っているんです。

 僕はミュージシャンを目指して上京したわけですけど、音楽を通して出会ったこの店で働きはじめて、自分の意識や働くということへの考え方が大きく変わりました。それはすごく大きなことでしたけど、この先また3年、5年と、きっとさらにたくさんの出会いがあって、また何か別のことが見えてくると思うんです。次はこれだ、こうだって思うタイミングが必ずある。そのとき、ちゃんとそれに見合った力を身につけていたいから、今は自分を磨くとき、自分の引き出しを作る時期だと思っています。

◎仕事の必需品<br>店に入ったときから使っているエプロン。「それ以外は私服ですが、ディナータイムはよりレストラン色を出すため、スタッフ全員そろいの白シャツに変えたいなと思案中です」


◎仕事の必需品
店に入ったときから使っているエプロン。「それ以外は私服ですが、ディナータイムはよりレストラン色を出すため、スタッフ全員そろいの白シャツに変えたいなと思案中です」

 「あの子がいないとあのお店はないよね」。そう言ってもらえるところまでやるというのが目下の目標。まずはいまの居場所でそこまでやらないと、その先の自分のやりたいことは見えてこないかなと思えるようになりました。音楽も自分がやりたい表現があるかぎりはやっていきたいですね。自分の中では30歳からようやくスタートラインに立てたかなと思っているので、今は自分のやるべきことをしっかりとやるだけです。

PROFILE

  • 小林百合子

    編集者
    1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人から成る山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)など。

  • 野川かさね(写真)

    写真家
    1977年神奈川県生まれ。山や自然の写真を中心に作品を発表する。クリエイティブユニット〈kvina〉、自然・アウトドアをテーマにした出版・イベントユニット〈noyama〉の一員としても活動する。作品集に『Above Below』(Gottlund Verlag)『with THE MOUNTAIN』(wood/water records)、著書に『山と写真』(実業之日本社)など。

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