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純文学小説って何だろう。『ゆらぐ玉の緒』

  

撮影/猪俣博史

 純文学小説とエンターテインメント小説。両者の違いについては、近代以降現在に至るまで、いろいろな人がいろいろな事を言っている。

 芥川賞系と直木賞系という考え方もある。エンターテインメントの方は何となくわかる、という人がいるかもしれない。ストーリーがあって、物語がきちんと着地して、比較的映像化される頻度が高い小説。なるほど。それでは、「純文学」というのは何だろう。辞書には例えばこう書いてある。

 読者の娯楽的興味に媚(こ)びるのではなく、作者の純粋な芸術意識によって書かれた文学というほどの意味。(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』)

 なんだかよくわからない。「というほどの意味」という部分に、項目を書いた人自身の戸惑いさえ感じられる。かく言う私にも明確な定義はない。そこで今回は、「現在の日本で大江健三郎と並ぶ純文学の最高峰」と称される古井由吉の文学世界に迫ってみる。

 今年80歳になる古井由吉は精力的に文芸誌で連載を執筆している。新刊も定期的に出る。書評を書いている時点での最新刊が2月刊行の『ゆらぐ玉の緒』(新潮社)。まだ誰も踏んでいない雪景色、あるいは雲間から薄日が差した光景を思わせる美しい装丁だ。

 収められている8つの短編は、心のさまようまま、筆の赴くままに書かれたエッセーのようだ。いずれも語り手である主人公の日常から書き起こされるが、連想ゲームさながら、さまざまな事柄があらわれて、たたずんで、絡まったりほぐれたりして流れてゆく。

 しきりに思い出されるのは戦争の記憶だ。花を見ては特攻を想起し、春の気候に敗戦の年の春の天気を思い浮かべる。酒場での何げない会話や旧友とのやりとり、あるいは、自身が生まれて空襲を体験し、いまも暮らす現在の東京のそこかしこに、語り手である作者は過去の記憶や時間を重ねて眺めている。

 戦争ばかりではない。幼少期。母。震災。あるいは弥生の太古まで。未明に届く時鳥の声や梅の花の匂いや春の癘気(れいき。熱病などを起こす悪い気)が連れてくる記憶や時間はとりとめもない。

 それぞれの短編はつながっているようでそうでないようで、あらすじというものさえない。家持の和歌や室町の頃の連歌が突然召喚される。李白の詩が、丈艸(じょうそう)や蕪村の句が去来する。モチーフは次々とうつろい、老いや病によって逆にさえわたった魂はあの世とこの世を自在に往来し、まるで多重露光のフィルムのように、重ねられたレイヤーのように、おびただしい時間の堆積(たいせき)をひとつ処に見る。一瞬が永遠に広がり、永遠が一瞬に閉じ込められる。

 「玉の緒」というのは、「玉をつらぬいた緒、さらには魂を身体につなぐ緒、命のこと」であるらしい。それがゆらいでいると言う。「無常のほうへ解き放たれるよりも、いよいよ生身へつながれる心の、のがれがたさの詠嘆」という境地。想像もできない。

 なんだか余計にわからなくなったという人もあるかもしれない。そんな方のために、冒頭の1行だけ紹介しておく。何かが触れたら、聞こえたら、匂ったら、共振したということ。それが、純文学的体験。

 花の散りかかる桜の樹の、その木末に白い影の差すのを、あれは何かと眺めるうちに、雲間から薄い月が掛かった。

 これだけでもう私は自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。まるで能舞台に放り出されたようだ。自らの内に積もり、沈殿しているコトバを拾い上げる「純文学」の所業のすさまじさ。私は、それが何であるかを体感するために古井由吉を読む。

(文・八木寧子)

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新聞社、出版社勤務などを経て現在は書店勤務のかたわら文芸誌や書評紙に書評や文芸評論を執筆。ライターデビューは「週刊朝日」の「デキゴトロジー」。日本酒と活字とゴルフ番組をこよなく愛するオヤジ女子。趣味は謡曲。

窓の向こうの景色と生活 『団地のはなし』ほか

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