上間常正 @モード

強さを秘めた「弱さ」の美しさ 長沢節さんの生き方と美学

女性デッサン 1960年代

女性デッサン 1960年代 (c) K.K.セツ・モードセミナー

男性デッサン 1980年代

男性デッサン 1980年代 (c) K.K.セツ・モードセミナー

展示「キモノの美」より

展示「キモノの美」より (c) K.K.セツ・モードセミナー

自画像 1996年

自画像 1996年 (c) K.K.セツ・モードセミナー

長沢節肖像写真 63歳頃 学校にて

長沢節肖像写真 63歳頃 学校にて (c) K.K.セツ・モードセミナー

セツ・モードセミナー外観

セツ・モードセミナー外観 撮影 大橋愛

多くのイラストレーターやデザイナーが輩出した美術学校セツ・モードセミナーが、今年4月に閉校した。その設立者で日本のファッション・イラストレーションを先導した故・長沢節の軌跡をたどった「長沢節展―デッサンの名手、セツ・モードセミナーのカリスマ校長―」が、東京・文京区の弥生美術館で開かれている(6月25日まで)。

長沢さんの思い出は淡くて、それなのにとても深い。初めて見かけたのはファッションの取材を始めた頃で、東京コレクションの会場だった。襟を立てたシャツに長めのベスト、ぴったりしたパンツにブーツとウエストポーチ……。最初は変なおじいさんとしか思わなかったのだが、なぜかよく話しかけてくれた。しかし例えばショーについて「何だか強すぎない?」との何げない感想のような言葉が心に残って、そのうち少し後になってその意味が分かるようになった。

その人が名前だけは知っていた長沢さんだと分かったのは、もっと後になってからだった。こちらがファッションについてはまだ駆け出しで、戸惑っているのを察してさりげなく色々と教えてくれたのだと思う。でもその口ぶりは決して先生風でも親切めかした風でもなくて、ましてや伝説の人が不用意に放つオーラも感じさせなかった。多分そんなオーラを慎重に消していたのだろう。

そんな長沢さんの生き方や作風をあえてひと言でいえば、「弱さの美学」とでもいうのだろうか。優れた書き手でもあったエッセーの中でも、「細くて、軽くて、弱いからこそ優しく美しい」と書いている。ただしその軽みのある「弱さ」は、鋭い反抗精神と深い孤独感に裏打ちされていた。今回の回顧展は、そのことを多くの作品や映像、資料などで的確に示してくれた。

まるで骨格だけのような細身で手脚の長いモデルたち。彼のスタイル画は初期のころから一貫して、そんな男女たちのポーズや服を墨や硬い鉛筆で描いている。シンプルな線の表現で、色は淡い水彩を最小限にしか使っていない。しかし線は軽やかだが、太さやタッチの強弱は多彩で微妙な表情に富んでいる。その表情の中に描き手の思いや時代の雰囲気が表現されている気がするのだ。

1917年、福島・会津若松の生まれ。質実剛健の進学校だった会津中学では、軍事教練をちゃかして不合格に。そのためか卒業後は東京に出て、自由で独創的な各種学校だったお茶の水の文化学院で絵を学んだ。戦争末期の頃には池袋にあったアトリエ付きの貸家が集まった通称アトリエ村に住み、≪池袋モンパルナス≫などと気取って、戦争などどこ吹く風でジャズやハワイアンの生演奏付のダンスパーティーを開いていたという。

弱くて細い体の表現は、戦争のための強くてたくましい男、軍国主義の時代のスローガン〝産めよ増やせよ〟に合うボリューム豊かで母性的な体のイメージへの強い反抗心が込められていたのだと思う。長沢の細い体はいわば〝反戦の体〟で、だから戦後のスタイル画として共感をもって受け入れられたのだろう。その意味では、平和が長く続いて物質的にも豊かな時代の、ダイエットで目指す細身とはわけが違うのだ。

1954年にスタイル画教室を作り、3年後に「セツ・モードセミナー」に改称。65年に新宿区舟町に建てた新校舎に移った。入学試験や期末テストなどもない自由な学校だったが、そこから多くの才能が育まれた。「みんなが一緒に絵を描くというのは、思いもかけぬ楽しいことでした。トクしたのは私です」と長沢は書いている。

細身の美しさとは、10代の女の子のようなスリムさや肌のみずみずしさではない。長沢はその著書「大人の女が美しい」の最後にこう書いている。「少女などよりもずっとスマートな脚線美のおばあちゃん、おなかもおっぱいもぺしゃんこなスリムの美しさは、ボインの女性では絶対にうけつけない絢爛(けんらん)豪華さがぴったりはまるのである。若いころだと服に負けてしまうのが、年をとるとなぜかそうでなくなるのである」

この細身というのは、実は物欲とか虚栄心、ねたみ、無知な純粋さといったようなむだなものをそぎ落とした美しさのことではないだろうか。長沢さんの描いた極端な細身は、そのことの象徴なのかもしれない。それがあれば、実際の体形は千差万別で個性的であって構わないのだし、骨だけなら男と女であってもみんなたいして違わないのだから。

もう一つ思い出に残っているのは、どの本だったか忘れたけれど彼のこんな言葉だ。自由でいるためには孤独に耐えなければいけない。本当に人を愛するのには、孤独でなければ資格がない……。長沢さんはセツ・モードセミナーの屋根裏部屋にひとりで住み、生涯独身を貫いた。

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PROFILE

上間常正

ジャーナリスト、ファッション研究者。1972年、東京大学文学部社会学科卒、朝日新聞社入社。記者生活の後半は学芸部(現・文化くらし報道部)で主にファッションを担当。パリやミラノなどの海外コレクションや東京コレクションのほか、ファッション全般を取材。2007年に朝日新聞社退社、文化学園大学・大学院特任教授(2019年3月まで)としてファッション研究に携わる。現在はフリーの立場で活動を続けている。

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