鎌倉から、ものがたり。

坂道の上、土曜と日曜だけのカフェ 南町テラス(前編)

 逗子の小坪南町は、小坪漁港と披露山の間にある小さなご町内。狭く急な坂道が家並みの間をうねり、その先の眺めへと訪れる人を誘う。途中の塀にある「南町テラス」の道案内を頼りに、階段をてくてく上がっていくと、1軒の家にたどり着いた。
 木造の家は、入り口からテラスまでの通り道と、1階から上階までが、立体的な十字の吹き抜けになっている。中に一歩入ると、テラスの先にある小坪湾の眺めが、思いがけない鮮やかさで目に飛び込んでくる。
 そんな場所に、土曜と日曜だけ開いているカフェが「南町テラス」だ。
 家は、スローメディア一級建築士事務所を主宰する建築家の日高仁さん(46)と、奥さんの直穂子さん(46)が、娘の夕月さん(13)と3人で暮らす自宅兼アトリエ。一家は2010年に、鎌倉の七里ガ浜から移ってきた。
 直穂子さんが仕切るカフェの営業時間は正午から午後5時。自家製の酵母を使い、一つひとつを丁寧に焼き上げるパン。近隣でとれる魚や野菜を使ったスープやサラダ。香ばしさが薫る淹(い)れたてのコーヒー、そして工芸品のようなタルト――。すべてに繊細な味わいがあり、作り手の細やかな愛情が伝わってくる。

 鎌倉時代からの漁港である小坪は、1960年代に逗子マリーナや披露山庭園住宅が開発されて、漁村と都会の雰囲気が混じりあう独特なまちとなった。昔ながらの漁港の隣には、ヤシの木の遊歩道が外国のようなマリーナ。山の上に造成された披露山は、日本でも有数の豪邸街だ。その中で、日高さん夫妻が暮らす小坪南町は、つながりのない地区ごとの個性をつなぐ「中間地点」になる。
 「僕は広島、直穂子は東京育ち。ふたりにとって、まったく縁のなかった土地でしたが、この家を見に来たときに、『見つけてしまった……』という感動の念に打たれました」(仁さん)
 大学でコミュニティーデザインを教える仁さんにとって、小坪南町はフィールドワークの意欲をかきたてられる要素に満ちていた。
 坂の途中に木造の家が立ち並ぶ一帯は、広島の尾道や、瀬戸内の島々を思い起こさせる。そこには、車が入れない不便さがある。そのことを「時代遅れで…」と、恥ずかしがるお年寄りもいるが、逆に今の日本では、車を気にしないで子どもたちが遊べる路地は、作ろうとしてもなかなか作れない。
 直穂子さんは、町内に根付く素朴な習慣に心を動かされた。
 「坂道をすれ違うときに、住んでいる人たちが『こんにちはー』と、あいさつを交わすんです。そんな普通のことがいいな、と。漁港には『天王祭』のような伝統的な祭礼があって、そのときは、地区ごとに子どもからお年寄りまでが協力します。そういう絆にもぬくもりを感じました」
 築40年の家は、風通しのよさを生かしながら、自分たちの手で少しずつ改装をほどこしていった。やがて、ご近所から「カフェでもやったら」と、声がかかるようになった。この家に引っ越してくる前から、「いつかカフェでもやりたいな」と、漠然と考えていた直穂子さん。その背中を、みんなの声が押した。
 「こんなところに来てくださるのかしら、と最初は半信半疑だったんです。でも、いざ、はじめてみたら、近所のおばあちゃんたちが誘い合って、杖をつきながら来てくれた。もともと、散歩の途中にちょっと立ち寄っていただける場所にしたかったので、とてもうれしかったです」
 週末だけの営業でも、料理の仕込みや掃除など、直穂子さんは週日から休みなく準備する。メニューは、旬の素材によって毎回変えていく。その試作には、仁さんのダメ出しがぶつけられる。
 「もう、ずけずけいわれます」、と直穂子さんが笑うと、「でも、それに負けないで試作を繰り返すよね。そこはすごい」と、仁さん。
 「ウソやお世辞をいわれない方がいい」という直穂子さんは、睡眠も取らず、納得のいくまで改良に取り組む。その妥協しない強さ、職人的な姿勢を、仁さんはひそかにリスペクトしている。
 オープンテラスのカフェは、風が強い日や雨の日は、お休みせざるを得ない。だからこそ、天気に恵まれた週末の午後、ここでおいしい食事を囲む時間が、奇跡に感じる。そんな場所が、南町テラスだ。

後編は、7月7日更新予定です)

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

冷たい肉そばと、新しい働き方。Hostel YUIGAHAMA + SOBA BAR(後編)

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眺めのいいカフェと、まちづくりと。南町テラス(後編)

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