東京の台所

<149>夫の指南とDIYで、妻が料理上手に

〈住人プロフィール〉
会社員(男性)・32歳
賃貸マンション・1LDK
東急東横線 自由が丘駅(目黒区)・築年数30年・入居5年
妻(31歳・主婦)、長女(2歳)と次女(0歳)の4人暮らし

 美大を卒業し、画家になるため、大学講師と、学生時代から続けていた居酒屋のバイトで生計を立てていた。父親とふたりで飲みに来た女性が、現在の妻だ。1歳下で、誰もが振り返るような美人。そして、驚くほど料理が一切できない人だった。
「両親が離婚して、料理好きの父親とおばあさんに育てられたために、逆にたよりきって台所に立つことがなかったようです。かたや私は、店長とともに居酒屋の新規開店も手伝うなど、料理も、献立も、器とのコーディネートを考えるのも、絵をつくることと通じる部分もあって、好きでして」
 知らないことを知らないと言える素直な彼女に好感を持った。そして、付き合いながら、台所をベースに、この人に生活にまつわる大事なことを伝えていけたら、と思ったらしい。
 しかし、そもそもひとり暮らしの経験もなく、ごみの捨て方も玉ねぎの切り方も知らない。なにより、買い物がへただった。
「私は、多く作りすぎて捨てたり、ものを腐らせたりすることが嫌いなんです。ところが彼女は、献立の設計ができないから、つい無駄が多くなる。そういうことを一つひとつよくしていくために伝えることをしながら、自分も少し柔軟になっていったかなとこのごろ思います」
 冷蔵庫の死蔵品。正しい玉ねぎのスライス……。それは、初心者の彼女に限らず、多くの人が経験する失敗ではあるまいか。

 2011年、26歳で結婚。画家として作品を発表しつつ、企業で、ギャラリー運営と制作を担当する社員として働き出した。

 1LDKのマンションは、ごく普通のシンクとつり戸棚がひとつ。ガス台を置く昔ながらのスタイルだ。シンクの横に洗濯機の配線があるところだけが変わっていた。
「だったら、洗濯機を取り込んだうまい台所の配置を考えようと思いたちました」
 その結果、洗濯機の段差を利用し、リビングダイニングキッチンに空間の仕切りが生まれた。
 けして広くはないスペースをどう使うか。シンク周りのデススペースを見直し始めた。そして、壁や、コンロの奥の隙間を埋める棚を自作し、換気扇の上には収納棚を作った。

「彼女が料理をしやすいように仕組みを作ってあげたいって思ったのです」
 器や調味料のサイズに合わせた棚や、ハンギングのマグネット、自分でデザインし、レーザープリンターで出力したラベルを貼ったスパイスボトルから、料理や家事の技術をひとつひとつ習得しようと一生懸命な妻を思う気持ちが、じんじん伝わる。

 今は0歳と2歳の子宝に恵まれ、平日は妻、休日は彼が料理を担当する。彼女も、台所をああして欲しい、こうして欲しいと希望を言うようになった。かつて自分の城だった台所は、今は彼女のテリトリーになりつつある。
「自分の出る幕が減って困ったなと思いつつ、彼女の希望を取り入れながら自分も気持ちがいいように、夜な夜な大工仕事をしてしまいます」と彼は言う。

 ときどき、つい「こうすると楽だよ」「ああしたほうがいいよ」と言いたくなるが、母業に主婦業に必死の彼女を見ると、「それは、いつか別のタイミングで言えばいいことだし、自分があとで直してすむなら、そうしておこう」と心にしまっている。

 画家として作品を発表し続けていきたいので、もっと時間も欲しい。思うようにならないこともたくさんあるが、人に文句を言っても始まらない。
「自分が変わらないと。台所も狭いけれどやりようによっては、いくらでも快適になるし、どうとでもなる。ないならないなりに、自分で調整していけばいいんだなって思っています」

 絵を描くことを理由にして、食べることも生活も家族もおざなりにしたくない。妻への愛と、暮らしと創作への情熱と。これは、生きることに真っすぐな人の台所だと思った。

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◆「東京の台所」が厳選されてまとまった第2弾『男と女の台所』が、平凡社から出版されました。書き下ろし含めた19の台所のお話はこちらから

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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<148>洋画家の父が愛した家

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