東京ではたらく

渋谷区のグラフィックデザイナー:米山菜津子さん(36歳)

  

職業:グラフィックデザイナー
勤務地:渋谷区の個人事務所
勤続:14年目
勤務時間:仕事の状況によってさまざま
休日:仕事の状況によってさまざま
この仕事の面白いところ:チームワークがうまくいくと、想像よりはるかにすてきなものができること。その現場に最初に立ち会えること。
この仕事の大変なところ:チームワークがうまくいかないときの心労。
    ◇
 都内に個人事務所を構えて、グラフィックデザイナー・エディトリアルデザイナーとして働いています。「グラフィックデザイナー」と聞いてピンとこない人もいるかもしれませんが、雑誌や本、ポスター、カタログなど、主に紙にまつわる平面的なデザインをする仕事です。

 生まれも育ちも東京の大田区。父は信用金庫勤務、母は小学校教諭という、なかなか堅実な家庭で、さらに長女ということもあってか、比較的厳しく育てられたと思います。

「ごはんを食べるときはテーブルとおなかの間に拳ひとつを入れて、背筋を正して食べなさい」とか、中学に上がるまでは買い食いも禁止。当時子どもたちに人気だったお笑い番組もあまり見せてもらえなかったですね。

 その代わり本は欲しがれば買ってくれて、5歳下の妹が生まれるまでは、ひとりで熱心に本を読んでいたように記憶しています。物心ついたときから今に至るまで、とにかく本が好きで、本や雑誌など、紙にまつわる仕事につきたいと思ったのは、そこに原点があるのかもしれません。

少女時代からずっとコレクションしている豆本。海外に旅するときは必ず本屋に出かけて豆本ハントにいそしむ。海外の古い本のデザインがインスピレーションを与えてくれることもおおいにある


少女時代からずっとコレクションしている豆本。海外に旅するときは必ず本屋に出かけて豆本ハントにいそしむ。海外の古い本のデザインがインスピレーションを与えてくれることもおおいにある

 中学と高校は六本木にある女子校に通いました。単純に「制服と校舎がすてき!」という理由で選んでしまったのですが、そこがなかなかのお嬢様学校で……。同級生はお金持ちでかわいくて、キラキラした女の子ばかり。

「平民(私)がお嬢様の中に紛れてしまった!」みたいな感じで(笑)。人の中にいることは好きなのですが、自分を前に出すのが苦手だったということもあって、教室ではなんとなく皆の輪にいつつ、登下校で読む本が親友、みたいな時期もありました。

 高校に上がると雑誌を読むのが好きになって、当時一世を風靡(ふうび)していた『オリーブ』や『ロッキング・オン』『スタジオボイス』なんかをひたすら読んでいました。記事の内容はもちろん、写真と文章のバランスやデザインがかっこよくて。読者が発売日に本屋にかけつけるのはあたりまえで、雑誌が本当に熱をもっていた時代だったと思います。

 とにかくそういうものに強い憧れを持っていて、この世界に自分も入りたい! と思っていました。でも、人見知りの自分は人にインタビューして記事を書くこともできないし、写真だって緊張して撮れないだろうし……。あ、でもデザインだったらできるのではなかろうかと。まさかの消去法ですね(笑)。

編集者やクライアントとの打ち合わせは何より大切。「デザイナーは作り手と、それを受け取る人の橋渡し役。作り手のやりたいことを紙に定着させて目に見える形にする、その過程が腕の見せどころであり、面白いところ」


編集者やクライアントとの打ち合わせは何より大切。「デザイナーは作り手と、それを受け取る人の橋渡し役。作り手のやりたいことを紙に定着させて目に見える形にする、その過程が腕の見せどころであり、面白いところ」

 あと、小さい頃から絵を描くのが好きで、そこにはひそかに自信を持っていたので、高校2年生くらいの頃には美術大学に進学して、デザインの勉強をしようと思うようになっていました。

 美術大学の受験にはデッサンなどの実技が必要ということで、高2から美大専門の予備校に通い始めました。授業はデッサンや、粘土で立体を作るといった基礎的なことなのですが、毎日毎日、繰り返しそれをやっていると、自分のものの見方や癖みたいなものがわかってくるんです。

 同時にほかの子は同じものを描いても自分よりずっと力強い絵になっていたり、みんなそれぞれ捉え方が違うんですね。じゃあ自分のいいところはなんだろう? そんな自問自答を繰り返しながら、ものの見方や自分なりの表現の仕方を学んでいくんです。

 受験対策というより、ものづくりをするうえで大切なことを教えるというスタンスの予備校で、それはそれは刺激的で、面白かったですね。学校の授業では絶対に教えてくれないことばかりだったので。

デスクのチェアはハーマンミラー社のもの。「初めて就職したデザイン事務所で使っていたもので、長時間座っていても疲れないうえにデザインもかっこいい。独立するときに一念発起して買いました」


デスクのチェアはハーマンミラー社のもの。「初めて就職したデザイン事務所で使っていたもので、長時間座っていても疲れないうえにデザインもかっこいい。独立するときに一念発起して買いました」

 晴れて美大に合格してデザイン科に進学したのですが、同じ科にはグラフィック志望の子もいれば、絵画、映像、立体などあらゆる分野のデザイナーを志す生徒がいました。だから今日はテンペラ画を描いてみましょうとか、次は陶芸をやりましょうとか、とにかく授業の幅がものすごく広いんです。

 グラフィックの専門学校を卒業してデザイナーになった人なんかは新人の頃からばんばんコンピューターを使いこなせたりするんです。でも私の場合は七宝焼とか石膏像作りとか、その他ヘンテコなことなんかもいろいろやっていて(笑)、雑誌デザインの授業なんてまったくなかったんです。だから大学を卒業した直後はデザイン用のパソコンソフトなんてほとんど使えませんでした。

 それでも日々ユニークな美術の世界に触れられることは楽しくて、中でも熱中したのはアナログ印刷。大学の地下の隅っこに「版画工房」というアトリエがあって、手回しの印刷機や銅版のプレス機が使えたんです。

 自分でいちから印刷作業ができる(しかも手動で!)という夢のような空間で、2年生くらいからはずっとそこに入り浸って、体中油とインクまみれにしながら印刷に没頭していました。いわゆるキャンパスライフとは程遠いですが、私にとっては好きなものに囲まれた、面白い学生生活でした。

愛と熱のない本は作らない。古臭いと言われても、それが信条

デザイン作業はパソコンで行うが、アイデアが固まるまではパソコンは使わない。「使う書体や全体のレイアウトを紙や頭の中でかなり具体的にイメージして、これでいける!と思ったらパソコンでわーっと仕上げます」


デザイン作業はパソコンで行うが、アイデアが固まるまではパソコンは使わない。「使う書体や全体のレイアウトを紙や頭の中でかなり具体的にイメージして、これでいける!と思ったらパソコンでわーっと仕上げます」

 大学卒業後、最初に就職したのは雑誌をメインにアート・ディレクションを手がけるデザイン事務所でした。

 当時、グラフィックデザインの花形といえば企業広告で、同級生は大手広告代理店や企業の中で働くデザイナー職を志望していましたが、自分はあまり迷わず、憧れだった雑誌の世界へ飛び込みました。

 とはいえ、すぐに雑誌のデザインをさせてもらえるほど世の中甘くありませんので、最初は小さなチラシを作るお手伝いから。先輩の仕事を見ながら必死でデザインするのですが、上司からはいっこうにOKが出ず、「ダサい、やりなおし」の嵐(笑)。

 それはまあ当然で、チラシといえども、そこには必要な情報があって、それをわかりやすく伝えるためのタイトルや見出しがあって、説明があって……。とにかく1枚の紙の中にしっかりと、かつ美しく情報を構築していかないといけないんです。大学で自由にものを作っていた自分にとっては、それはものすごく難しい作業。デザインの基礎というものを徹底的にたたき込まれた新人時代でした。

事務所の一角には紙の見本帳が。「どんな紙を使うかによって本の印象はまったく変わりますから、紙選びには神経を使います。いままで触ってきた本を思い浮かべながら試行錯誤する、とても楽しい作業です」


事務所の一角には紙の見本帳が。「どんな紙を使うかによって本の印象はまったく変わりますから、紙選びには神経を使います。いままで触ってきた本を思い浮かべながら試行錯誤する、とても楽しい作業です」

 その会社には2年半ほどお世話になりましたが、結局ひとりで仕事を任されるまでには至りませんでした。

 26歳で移籍したのは本や雑誌に加えてファッションブランドのアート・ディレクションや企業のコーポレートデザインなども手がける事務所でしたが、仕事量が想像をはるかに超えていて、最初のうちはとにかくがむしゃらに働きました。

 そこのアート・ディレクター(心の中で師匠と呼んでいます)は仕事に対して非常に緻密(ちみつ)さを持って取り組む人で、その姿勢には感銘を受けました。たとえば入社してすぐ、とある化粧品ブランドのリニューアルの仕事があったのですが、そのお披露目会で配るノベルティーのデザインを手伝っていたんです。

 ノベルティーを袋に入れて配ろうということになったのですが、その袋をどんなデザインにしようかと。どんな形、どんな生地、どんな素材のひもがいいか考えて、東京中の生地屋を歩き回ったり、地方の雑貨屋さんからいいなと思うものを取り寄せたり、とにかく全力で探すわけです。

昨年手がけた作家・いしいしんじさんの小説『よはひ』。「時間や空間を超えて展開する不思議な物語に合わせて、目次の書体や文字組にも変化と動きを持たせました」


昨年手がけた作家・いしいしんじさんの小説『よはひ』。「時間や空間を超えて展開する不思議な物語に合わせて、目次の書体や文字組にも変化と動きを持たせました」

 それで師匠に提案すると「これはかわいいけど、もうちょっと太いひもだともっとかわいいね」となる。そしたらまた探す、OKが出るまでその繰り返し。他の案件もたくさん同時並行しつつの作業で、ときには魔が差してさぼりたくなることもあったんですけど(笑)、師匠の言うとおりにとことん詰めていくと、本当にいいものができあがるんですね。

 細かいところまで徹底的にこだわるということが結果を生み出す。そのプロセスを見て、これはすごいなと心底思いました。それは物であれ、本であれ、広告であれ、どんなデザインにも通ずる基本的なことで、最も大切なことだと教えてもらったんです。

 もうひとつ大きな転機になったのは、入社して5年目で担当したファッション雑誌のリニューアル・デザインでした。デザイナーになって7年目でようやく巡ってきた、雑誌とガッツリ向き合える機会。もうないだろうと半ばあきらめていたので、それは本当にうれしかったですね。

 そこで知ったのは、雑誌作りというのがいかにチームワークで成り立っているのかということ。広告やカタログというのももちろんチームで作るのですが、そこにはクライアントの意向や商品を売るというはっきりとした目的があって、明確なゴールに向かってディレクターが旗を振るあとをみんなが走る作業なんです。

米山さんが手がけた本や雑誌の一部。ファッション、アウトドア、小説、アート、食とジャンルは幅広い。「でもどうしても興味を持てない内容のお仕事は辞退することも。私が魅力を理解できなかったら、その魅力を伝えるものは作れない。それは失礼にあたりますから」


米山さんが手がけた本や雑誌の一部。ファッション、アウトドア、小説、アート、食とジャンルは幅広い。「でもどうしても興味を持てない内容のお仕事は辞退することも。私が魅力を理解できなかったら、その魅力を伝えるものは作れない。それは失礼にあたりますから」

 でも雑誌にはある意味正解というものがないので、編集者やカメラマン、デザイナー、その他たくさんのスタッフがみんなでうんうんうなりながら、あれが面白い、これがいいと試行錯誤しながら作るわけです。

 不思議なことに、そうやってスタッフみんなで盛り上がって、面白がりながら作ったページっていうのは、すごく反響が大きかったりするんです。雑誌といえどもいろいろ事情がありますから、「今回はこれくらいにしておきましょう…」みたいなこともあるのですが、そういう、どこか予定調和な記事というのはやっぱりどこか力がない。

 作っている人が夢中になれないとダメなんだ。それは雑誌作りを通して身にしみて感じたことです。これはちょっと青臭い表現になりますが、作り手に愛と熱がないと、読んでいる側も「わっ!」となれないと思うんです。

 私が学生時代に夢中になった雑誌も、ページから熱が発散されているような熱さがありました。それはきっと、作り手から伝わってきた熱。編集部で、みんな夢中になってページを作っていたんじゃないかなと思うんです。

◎仕事の必需品<br>「物じゃないのですが、事務所の屋上です。アイデアに行き詰まったときはここへ来てリフレッシュします。今は五輪に向けて国立競技場の工事中。日々変わっていく風景を見ていると、東京は変化をポジティブに受け入れる、懐の深い街だなあと思います」


◎仕事の必需品
「物じゃないのですが、事務所の屋上です。アイデアに行き詰まったときはここへ来てリフレッシュします。今は五輪に向けて国立競技場の工事中。日々変わっていく風景を見ていると、東京は変化をポジティブに受け入れる、懐の深い街だなあと思います」

 32歳で独立して事務所を構えましたが、今も仕事は本や雑誌、カタログなど紙を中心としたデザインです。仕事の信条は「愛と熱をもって、誰かの心に残るものを作ること」(文字にすると恥ずかしいですが、真剣にそう思っています!)

 2年前から自分でも細々と出版業をはじめて、強く実感しているのですが、わざわざ紙に印刷して全国の書店に配るなんていうのは、ものすごいお金と資源と労力がかかることです。ウェブ全盛の時代にあえてそんなことをしようというのですから、心からいいものを作りたいですし、そうじゃないと作る意味がないんです。

 出版業界は元気がないと言われて久しいですが、私自身はそんなふうには思っていなくて、ウェブが公共性を増し、制約が増えた今だからこそ、本の世界には逆にニッチで自由な風が吹き始めていると感じています。

 こと東京という街は、カルチャーもそれを受け取る人々も、ものすごいスピードで変わっていきます。せわしないと言う人もいるかもしれませんが、私はそのどんどん変わっていくところに正直さがあって、好きなんです。

 昨日と今日は同じじゃないし、面白いと思うものも、自分の気持ちだって変わっていく。そんな場所から発信するからこそ、変化を恐れず、どこかの誰かの心を震わせられるものを作っていきたいと思っています。

■YONEYAMA LLC.

PROFILE

  • 小林百合子

    編集者
    1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人から成る山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)など。

  • 野川かさね(写真)

    写真家
    1977年神奈川県生まれ。山や自然の写真を中心に作品を発表する。クリエイティブユニット〈kvina〉、自然・アウトドアをテーマにした出版・イベントユニット〈noyama〉の一員としても活動する。作品集に『Above Below』(Gottlund Verlag)『with THE MOUNTAIN』(wood/water records)、著書に『山と写真』(実業之日本社)など。
    http://kasanenogawa.net/

水族館「アクアパーク品川」飼育スタッフ:稲垣ひとみさん(24歳)

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インハウスローヤー(弁護士):松井さやかさん(36歳)

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