このパンがすごい!

「半農半パン」が日々の食卓を盛り上げる/アイヅチ

バゲット

バゲット

■アイヅチ(神奈川)

 ウィークデーは野菜を作り、週末はパンを売る「半農半パン」の店がある。神奈川県愛川町のアイヅチ。その聞き慣れない町に行くのはやや困難だ。愛川町に鉄道路線はなく、厚木からバスで30分。幹線道路沿いに手作りのログハウスが見えてくる。

 二足のわらじといえど片手間では決してない。それは、店に入ってパンの姿を見ればたちどころにわかる。ゴールデンブラウンの焼き色、はちきれそうにふくらんで。

 クープ(表面に入れられた切れ目)がぶわっと割れた、元気のいいバゲット。ばりばりでもっちり。皮は豊かに甘く、中身からレーズン種の野生の香りがほのかに。北海道産小麦・春よ恋特有のバターのような甘さ。小麦の余韻は噛(か)むほどにささやきだす。

 クロワッサンは、極薄のビスケットを積み重ねて食べているかと思うほど、ざくざくして、バターの甘さが芳醇(ほうじゅん)。層のあいだに空間ができるほど一層一層が見事に浮いている。だから、内部はみっちりと小麦の風味が詰まっているのに、すいすい軽やかな食べ口。飛ぶように売れるのもうなずける。

 材料はいたってシンプル。有機レーズンから起こした発酵種。春よ恋、全粒粉、ライ麦とも北海道産。「よけいな副材料を使わないで作ろう。時間が経ってもおいしく食べられる、粉と酵母のパンです」

 店主の長島和裕さんはもともとパン作りとは縁もゆかりもなかった。会社を辞め、パン屋兼農家になったきっかけは、パン好きの奥さんの刺激的な一言だった。「あなたにはパン屋しかない。やらないと離婚するよ!」

 一体どういうことなのだろう。「毎日同じことをするのに、次の日のほうがいい仕事ができる人。自分がパン作りが好きだってことに気づいてないから、私が言いました」と奥さん。

 予言は的中。自然の仕組みを解き明かし、日々技を磨く。パン職人と農家は、長島さんにとって天職だった。パンは自家培養、農業は自然栽培。両者は同じコインの裏表だ。「パンと農業は、共通してる部分がすごくあって。パンは酵母が作るものだし、土の中にも微生物がたくさんいる。菌を手なずけるのが大好き。畑の地温(土の温度)を上げたらどうなる? パンの生地温度を上げたらどうなる? いっしょなんですよ。知りたい、知りたいって、どんどん突っ走っちゃう(笑)」

店内風景。自ら栽培した野菜も販売されている

店内風景。自ら栽培した野菜も販売されている

 農業を突き詰めた結果、農薬も肥料も使わない自然栽培に。「農薬を使わずに栽培するにはどうしたらいいんだろう? 化学肥料を過剰に入れてることに原因があった。結果として、自然栽培に行き着きました」

  長島さんの「よけいなものを使わずにどこまで研ぎ澄まされるんだろう」という哲学は、パン売り場にも表れる。バゲット、カンパーニュ、食パンと、シンプルなパンばかり並ぶ。「総菜パン、菓子パンは作りません。パンって食卓を盛り上げる力がある。食事に添えるパンを作りたい。バゲットやカンパーニュ。日本人にとってのごはんのようなパン」

クルミパン断面

クルミパン断面

 カンパーニュの生地にクルミを混ぜたクルミパン。ぽわんぽわんと心地よい弾力。小麦の胚芽(はいが)的な香りが宿っている。それが、くるみの香ばしさ、後味に伸びてくる春よ恋の草のような風味と噛み合って、掛け算のおいしさに昇華している。

 バゲット生地にピスタチオを混ぜた「ピスタチオ」がやめられなくて困った。高らかに歌う麦の香ばしさとピスタチオのくぐもった甘さ、黒胡椒(くろこしょう)のぴりぴり感が交互にぐるぐるまわって止まらない。

 そんなパンをさらにおいしくしたもの。「これ絶対おいしいから!」と勧められた、長島さん栽培のルッコラ。見たことないほど肉厚な葉。ルッコラ特有の苦みや風味が力強く、オリーブオイルと塩だけでぐいぐいいけた。パンと野菜、どちらも日常のさりげないものなのに、食卓が盛り上がること、この上なかった。

ピスタチオ

ピスタチオ

「食事用のパンしかない店に毎週きてくれる人がいます。生活の一部になっているみたいで。普段の日の夕食においしいパンがあるとそれがいちばん楽しいじゃないですか。『うんうん、おいしいよね』って相槌(あいづち)を共感したくて、アイヅチという名前をつけました」(奥さん)

 情熱家のご主人に、明るくて接客上手の奥さん。いつの日か、自然栽培で育てた小麦を製粉してパンにするのが2人の夢。正真正銘、アイカワのツチから生まれたパンが焼かれる日を、首を長くして待ちたい。

長島和裕さんと奥様

長島和裕さんと奥様

■アイヅチ
神奈川県愛甲郡愛川町角田134-10
046-204-6157
11:00~18:00(売り切れ次第閉店)
金・土曜のみ営業

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PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)
http://panlabo.jugem.jp/

池田浩明さんが世田谷パン祭りで語った「すごいパン」とは?

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