野村友里×UA 暮らしの音

火と暮らすこと。土に帰ること。

アビュータスの葉


アビュータスの葉

 東京・原宿のレストラン「eatrip」を主宰するフードディレクターの野村友里さんと、カナダで暮らす歌手UAさんの往復書簡。野村さんに続き、UAさんも「火」をテーマにお手紙を書きました。

>>野村さんの手紙からつづく

友里

ちょっとちょっと、危機一髪ってなんなのよ! 全くゾッとしてしまったじゃない!!
でももうすっかり元氣そうで、ホッとしたわ。ほんとよかった。
それも一つの厄払いってことで、そうだ! 師走のおもてなし「食の鼓動」に向けて、旋風を巻き起こそうってわけね。

いやはや、愛着がなければ恐れもなくなると聖者たちは言うけれど、そうは言ってもね、、友愛の情までを、そこに落とし込むとなると、まるで切ない氣もしてしまうよね。
そういえば度々お手紙を綴りながら「氣」の文字の出番がほんとに多いなあと感じるのだけど、ここで、どうして私が「気」でなく「氣」と表記しているのかというとさ、それは単に、米を〆としてしまうと、なんだかその意味するところの本質的な氣が滞るように感じるからなの。

eatripでも行った、私のわらべ唄のクラスでは大好きな鹿児島の歌をよく歌う。
「米という字をほどいてみたれば八十八と読めまする〜、米を作るにゃ春夏秋冬八十八の手間かかる〜、米をこぼせば神と仏の八十八のバチ当たる〜」
うちの子達は、ご飯粒がお茶碗に残ってたりすると、「いやー! バチ当たる〜〜」とそこのフレーズを歌いあっては慌てて箸を運んでいる。わらべ唄のおかげさま。
友里は、レストランeatripで痛感しているのかもだけど(いや美味すぎて誰も残さないか)、現代人のご飯の残し方にはギョッとしてしまう。うちに遊びに来てくれるよそのお子さんなんかもさ、異文化の味がお口に合わないのか、寂しいほどお皿に残ってたりして。
我が家は、夜の外食は年に数えるほどしかしない。乳飲み子連れで、ほっこり安心できる店は少ないし、値段の割にその内容に納得できることもあまりないから。そんなたまの外食の際でも子供には家である程度食べさせてから出向く(エコノミーにもね)。
土に近い田舎暮らしを続けているうちに、食べ物をゴミとして出すということに、のっぴきならない違和感を感じるようになっているの。生ゴミはコンポストとして土に返すか、鶏にやるかにしているのだけど、東京滞在時に転がりこむ息子のマンション住まいでは、もちろんそうはいかない。プラスチックの袋に根菜の皮やら出汁ガラやお茶っぱやらを入れてコンクリートなゴミ捨て場に置く時のあの罪悪感にも似た感じ。そんな罪なき生ゴミまで、猛烈な火力で燃やされるのかと思うとやるせない。

死んだら土に埋まりたい

神奈川の最北の里山に暮らしていた頃、その辺りは近年まで土葬をしていたと聞いた。正直なところ私、死んだら土に埋まりたい。家族に焚き火で燃やしてもらえるならまだしも、火葬場で燃やされるのはどうもありがたくない。は! これも執着!?
特に日本は国土が狭いから実際難しいのだろうけど、人も土に還っていられたら、世の中もっと自然に自然回帰しやすいのじゃないかと思うのだけど、どうだろ? 灰になって空に海に撒かれたいとかよく聞くけど、私断然、そのまま埋まりたい。もしも自分の庭や畑なんかに埋められたら、氣持ち良さそうじゃない? アースそのものに循環するんだもんね。
それにしても地球って宇宙から見ると海の青と雲の白の印象がほとんどで、水の星にも見えるだろうに、「地球」と呼ぶのだから面白いよね。9歳の娘が、ねえママ、雲って地球の一部だったんだねえ、だって。宇宙のエリアだと思ってたみたいね。

片側だけ枯れたアビュータスの葉


片側だけ枯れたアビュータスの葉

右脳から送られてくる思考

ここ10年は主人の実家のある八ヶ岳の麓に通いながら、御柱祭を2度体験し、縄文の遺跡を巡ったりするうちに、縄文のヴィーナスに魅せられ、去年リリースしたAUWAのMVでは、ついに土偶に扮して(妊娠5ヶ月の潔くもなれないプチ出っ腹をカバーするためもあり)、珍しいキノコ舞踊団とグルジェフムーヴメントなるダンスを舞わせていただいたの。なぜ縄文時代が一万年も平和に継続できたのかという見解の一つに、縄文人は限りなく右脳的な思考性を持っていたのではないかっていうの聞いたことある? 右脳から受動的に立ち上がる思考はまるで神からの啓示のごとく受け取られ、縄文人の集合的無意識は、慎ましく平和に保たれたのではないかって。
TEDの配信映像で、脳科学者ジル・ボルト・テイラー博士が、ご自身の脳卒中の体験から右脳の意識の重要性を知り、その深い内的平安の回路にアジャストできれば、世界平和にも繋がるのではと力強く語っているのが一躍話題になったよね。そうね今や、100匹目の猿よろしく、右脳への注目は確実に定着したと感じるよね!
しかし人は意識を与えられた。のか選んだのか。
縄文時代は過ぎ、農耕文化が広まって、私(ワタクシ)感覚、個人的意識は強調され、左脳でもって地球の大地を切り刻み、人間は徐々に火加減を麻痺させてきた。

友里が紹介していた書籍「無意識の整え方」は私にとっても非常にためになる本で、ページの角が山ほど折られているよ。著者の前野隆司氏は、受動意識仮説を提唱されていて、「無意識」こそが、世界と多様につながっている機能であり、「意識」のほうは「無意識」がおこなった結果のほんの一部に注意を向け(た氣になり)、直列的な意識体験としてモニターしているにすぎない、とおっしゃっている。
友里の手紙に 人としての感覚を強く感じないと お腹の底から もしかしたらそれは“無意識”という域なのかもしれないけど
とあったけど、そうだね、ここまで左脳的な世に身を置いてしまうと、健全な無意識自体、そう簡単には立ち上がらないのかもしれない。意識の先を見つめることを厭わず、常々世界と身体と心を整える鍛錬を続けることによって、回路が開く瞬間を多くしていけるのだろうね。

娘がプレゼントしてくれた葉っぱと実のピアス


娘がプレゼントしてくれた葉っぱと実のピアス

トレイラーハウスで、薪ストーブ

さてこちら、ウエストコースト特有の冬場の雨季も本番に。根下ろしライフと唱いながらも、側にはクジラが通る小さな島にて、小さな家はトレイラーに乗っかってるわで、浮遊感が拭えないのも否めない。。毎晩同じ時間に雁の群れが大騒ぎしながら「く」の字を描いて南に飛んていく。ああ、暖かいところに渡るのかしらと思いきや、朝にはまた逆向きで歌いながら飛んでくる。むむ、一体それらが同じ個体なのかどうか、素人には全くわかる術はないのだけど、そろそろ真相を知りたい。もしかしたら、ここはそこまで寒くならないから越冬できるのかもしれない。

もともと農地にあった古い井戸を掘り返すまでは、北の湖が水源となる水道水を使用しているのだけど、消毒された水を飲用する氣にはなれないので、しばらくは南の湧き水スポットに汲みに行っている。自然界に人工的な角は存在しないので、水は水道管の角を曲がるだけでも、純粋なエネルギーを失ってしまうそう。
友里の幼少時の五右衛門風呂体験は貴重だね〜。うちも薪風呂は作りたいと思ってるよ〜。湧き水を薪で沸かした湯に浸かってるだけで大概の病気は治ってしまうんじゃないかと言っても過言ではないと思う。その労力を費やせる氣を持ち合わせていること自体、病気とは縁遠くなるだろうしね。
うちはもうずっと薪ストーブの生活が続いてる。トレイラーハウスも、ウッドストーブが入った途端にサマになるわけよ。長い冬の雨期には、除湿のためにも一日中うちのストーブは稼働している。時折夜中に部屋が熱くなり過ぎて目が覚めるとき、窓を開けてしんしんする冷氣を差し込ませるのがこれまたすこぶる氣持ち良いのね。

そう、薪ストーブと暮らす人々は、就寝後の暖のために、ストーブには満タンに薪をぶち込んでおくだろう。実は、日頃はもう忘れてるに近いのだけど、私には2010年に借りていた家が全焼した経験がある。翌朝のニュースでは、薪ストーブをつけたままで寝てしまった模様、などと言われていてあんまり呆れてしまったので、その後とくにメディアでは取り立てて話すことはしなかったのね。日本は薪ストーブを設置する際の建築基準法が、海外に比べると未だに緩いようだけど、当時で築30年近かったその貸家は、煙突が通る壁の間の不燃材として、めがね石の代わりにレンガが使われていたのね。で、なぜだか煙突の通過口のすぐそばにまで別の部位からの材木が割り込んできてて、そこから出火したというわけ。よくまあ、それまで保ったもんだとも言えるのだけれど、壁の中は見えないからね。しっかし、よく燃えたわー。家族とお泊まりに来てた息子のクラスメイト2名、山羊に犬、皆無事だったことが何よりも幸いだった。
主人は文字どおり火事場のくそ力発揮、全ての蛇口を開けて水を流し、目に付く大事なものを外に放り投げ、煙で氣絶してた山羊を救い、自家用トラックを移動させ、消防隊到着後は一緒になって消火にあたってた。消防隊が到着するまでや、実際消火が始まるまでは意外に長い時間がかかるものでね。息子は最初、炎を仰いで、獣のように叫び続けてた。目の前で起きていることがまるで信じられないようなまま、為すすべもなく2人で並んで立ちすくんで見つめた、小山ほど大きな炎の凄まじさ。その迫力たるや、不謹慎かもしれないけれど、思わず「きれいやなあ」と言ってしまった自分。そこに息子が何と応えたのだったかなと思い、尋ねてみたら、それを言ったのは俺だよと。。はて、どちらの台詞だったかは置いといたにしても、やはりその炎の山は美しかったということなんだね。

自称、右脳的思考指向、自分の人生、意外と俯瞰して見れてないものだけれど、そうね、今改めて振り返るとこの経験以降、私の人生が本題に入ったのは間違いないね。

年の暮れ、青山スパイラルでの共演、何より楽しみにしてる。
師走の自転車移動はくれぐれも氣をつけてよね。

あいしてるよー友里、

u子

UAさんも出演、「食の鼓動-inner eatrip」

ライブパフォーマンス「食の鼓動-inner eatrip」

野村友里さん企画・演出によるライブパフォーマンス「食の鼓動-inner eatrip」が12月28日(木)~30日(土)、東京・青山のスパイラルで開催されます。

食をもとめる生命の鼓動に耳をすませ、身体の記憶を呼びさます、(食べない)食の三夜連続ライブパフォーマンス。音楽家、料理家、ダンサー、医学博士、デザイナー、陶芸家、映像作家など幅広いジャンルのクリエーターや各界のプロフェッショナルの協演により、「食」によって形づくられる身体の「鼓動」、臨場感あふれるパフォーマンスを展開します。
また、関連企画として、野村友里さんディレクションによる特別展示のほか、稲葉俊郎医師と出演アーティストによるトークセッションも開催されます。

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PROFILE

  • UA

    1972年大阪生まれ。母方の故郷は奄美大島。1995年デビュー。1996年発表のシングル「情熱」が大ヒット。2000年、ブランキー・ジェット・シティを解散した浅井健一とAJICOを結成。同年、初主演映画「水の女」(テサロニキ国際映画祭グランプリ受賞作品)公開。2003年から放送されたNHK教育テレビ番組「ドレミノテレビ」に、歌のおねえさん「ううあ」としてレギュラー出演。2004年、数々の童謡・愛唱歌を集めた、ううあ名義アルバム「うたううあ」をリリース。2006年、菊地成孔とスタンダードジャズアルバム「cure jazz」をリリース。2010年、デビュー15周年企画カバーアルバム「KABA」をリリース。2016年、7年ぶりとなるオリジナルアルバム「JaPo(ヤポ)」をリリースした。また、2005年より都会を離れ、田舎で農的暮らしを実践中。現在はカナダに居住。4人の母でもある。α-STATION(FM京都)の番組「FLAG RADIO」にレギュラー出演中。

  • 野村友里

    料理人(りょうりびと)、「eatrip」を主宰。おもてなし教室を開く、母・野村紘子さんの影響を受けて料理の道に。主な活動に、レセプションパーティーなどのケータリングフードの演出、料理教室、雑誌の連載、ラジオ番組など。2009年、初の監督作品『eatrip』を公開。11年、「シェ・パニース」のシェフたちとともに、参加型の食とアートのイベント「OPEN harvest」を開催。その経験を経て日本のシェフたちとともに「nomadic kitchen」プロジェクトをスタート。12年、東京・原宿に「restaurant eatrip」をオープン。著書に『eatlip gift』『春夏秋冬 おいしい手帖』(マガジンハウス)、『Tokyo Eatrip』(講談社)、共著に『TASTY OF LIFE』(青幻舎)がある。
    http://www.babajiji.com/

人の生命のこと。火を使って、命をいただくこと。

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野村友里さん、UAさん、ソウルメイトの2人が往復書簡をはじめた理由(前編)

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