朝、目覚めると戦争が始まっていたら。『R帝国』
文: 蔦屋書店 コンシェルジュ

撮影/猪俣博史
「朝、目が覚めると戦争が始まっていた。」という書き出しではじまる中村文則の『R帝国』。これまで、「悪」の姿を徹底的にあぶりだす作品群を世に放ち続けてきた彼の最新作は、近未来のある独裁国家を舞台にしたディストピア小説だ。
その「R帝国」は原発を有し、隣国からの核兵器発射に脅かされ、政権は圧倒的多数である与党「国家党」に掌握されていて、テロや戦争が日常となっている世界に属している。そう、まるで今の日本のようだ。
ふた組の男女を中心にした、小さな世界から
人々は、スマートフォンがさらに進化した形態の「HP」という、人工知能が搭載された機器を持っている。「HP」の正式名称はHuman Phoneと言うのだが、意志をもつHPは持ち主とはもちろん、他のHPとも自由にやりとりをしたりする。
描かれるのは、ふた組の男女を中心にした小さな世界。だが、そのふたつの世界は本人たちの意志とは関わりなくつながり、国そのものを揺り動かす大きなうねりに飲み込まれていく。
ひと組は、ある日突然、Y宗国から襲撃を受けるR帝国最北の島、コーマ市に住む矢崎と、その非常事態のさなか、敵対する立場で矢崎と出会うY宗国の女性兵士アルファ。そしてもうひと組は、形ばかりの野党党首の秘書をつとめる栗原と、組織“L”に属するサキ。
“L”は学生運動から始まったグループで、R帝国が起こしていた戦争に反対し、即時停戦と平和憲法の制定を訴えていたが、弾圧され、解体された過去をもつ。サキたち第三世代のLは、軍需工場を狙ってテロを画策した第二世代の汚名をそそげないまま、真の自由を取り戻そうと活動していた。
長大な物語には、いくつかのたくらみが埋め込まれている。アウシュビッツ、9・11といった現実が、あえて「小説」として挿入されていること。これは痛烈な皮肉だ。特に、登場人物に沖縄戦を「非論理的」と言わせることで、虚構として差し出された物語の現実感が逆に生々しくかたどられる。
また、「抵抗」という言葉が抹消された世界の違和感。異を唱えることすら封じられるような、摩擦を生じさせない場の奇妙なゆがみは、現在のいら立った空気感にも近い。
私たちは、どこに立っているか
権力をもつ者の思惑や陰謀と、翻弄(ほんろう)される市民の運命。国家と個人の幸せ。突きつけられるさまざまな問い。ナショナリズムとは何か。民主主義とはどうあるべきか。自由や平和、人権や多様性。それらを脅かすもの。何度リセットされても、繰り返される歴史。希望。愛。
そして、「悪」とは何か。
物語の結末は、一読すると希望とはほど遠いものに思えるかもしれない。それでも作者は、さまざまな対立軸のどこに自分たちが立っているのか、あるいは立つべきか、それを問いかけているのである。
「幸福に生きることと、正しく生きることは違う」。為政者がそう声高に言い放っても、サキは心のなかで強く念じる。
「この世界に生を受けた者達は全て祝福されるべき存在であり、そのようにせっかく生まれてきた者達が戦争や差別などで人生をねじ曲げられることなく、全体主義により単色にされることもなく、この世界で見つけたそれぞれのオリジナルな幸福を、その喜びを存在が震えるほどの大きさで体感できるように」
そこに、かすかな希望の光が萌(きざ)している。
(文・八木寧子)