このパンがすごい!

角打ちだからこそ味わえる、時を忘れる自家製パン/正幹 masamoto

サンドイッチ パテ・ド・カンパーニュ


サンドイッチ パテ・ド・カンパーニュ

■正幹 masamoto(東京)

 東武練馬の商店街を歩きながら感動していた。こんな昭和な商店街に、ヴァンナチュール(自然派ワイン)の酒屋兼ワインバーがある。しかも自家製パンの出る。
「パンが焼きあがるのはこれからです」と大木正幹さんは言った。私はワインを飲みながら待つことにした。EGO-WRAPPIN’のアンニュイな曲が流れていた。店内に満ちる甘い発酵の香りは、時とともにパンの焼きあがる香ばしい匂いに変わった。私は少しも退屈することなく、むしろ楽しい気分に満たされていった。
 入り口にワイン売り場、奥にカウンター。正幹さんが一人、自分の惚(ほ)れこんだワインや日本酒を並べ、料理を作り、供する。
 正幹さんが目の前で翌日のパンの仕込みをはじめた。北海道産小麦の粉袋から、粉をマグカップですくってボウルに入れる。水と塩とイーストを入れて、ヘラで手ごねする。ミキサーは使わない。ゆすって粉を水に溶かし込むだけで、強く当たってグルテンを鍛える動きはない。

黒胡椒とカシューナッツ


黒胡椒とカシューナッツ

「パンが焼けました」。言い方はぶっきらぼうだが、正幹さんの片方の口元が笑みでゆるんでいる。なにしろ、おいしそうな香りがもうもうと湧き上がっているのだから。まるまるふくらんだリュスティック。他の客から思わず「パンください」と声が飛ぶ。この瞬間、パンが店の中心だ。

 パテ・ド・カンパーニュを分厚く切って、焼きたてのリュスティックにはさむ。ばりっ、ぼりっ。皮を噛(か)む音は脳天まで響く。炸裂(さくれつ)した皮の粉末は舌に飛び散り、バターのような甘さを発する。パテは舌先で大トロのようにとろけて、獣の香りが鼻腔(びこう)に吹き上がって細胞という細胞から染み込む。その野性は毛を逆立てて吠(ほ)え掛かるようでいて、やがてやさしくまどろんで甘さへ帰っていく。パンとパテの間にいたのはニンジンのピクルス。まろやかな純米酢の酸味が降りかかると、肉の風味が驚くほど華やぐ。

肉盛り


肉盛り

 週末には黒胡椒(くろこしょう)とカシューナッツを混ぜ込んだパンが登場する。ネパール産のイルソンペッパーは花山椒(はなさんしょう)に似たフローラルな香りがした。いっしょに「肉盛り」を頼んだ。皿の上に3種類の肉が山盛り。リエットはダシ感たっぷりにとろけ、極薄に削りたてのミラノサラミは泡のように溶け、生ハムは薔薇(ばら)のように香る。北海道産小麦とカシューナッツは甘くやさしく。ネパール産黒胡椒は、ありえないことに柑橘(かんきつ)のように香って、私を天国へ送り届ける。

国産ワインや日本酒も並ぶ


国産ワインや日本酒も並ぶ

 ここに正幹さんの選んだ日本酒、木下酒造の玉川をあわせる。りんごのようにフルーティーな雫(しずく)。肉の香り、小麦の甘みをふくらませる一方、脂を切って口中を爽快にする。
 正幹さんはこの町にあった酒屋に生まれた。日本酒一筋に生きて、跡を継ぐため実家にいったんは勤めたが、訳あって店を離れた。仕事もなく、散歩しているとき、パーラー江古田の壁に「スタッフ募集」の貼り紙を見て、なんとなく中に入った。なんの店かも知らず。
「それまでパン生地には触ったこともありませんでした。あ、パンを作らなきゃいけないんだ、そんな感じでした」

サンドイッチ サラミとルッコラ、パルミジャーノチーズ


サンドイッチ サラミとルッコラ、パルミジャーノチーズ

 卒業するときには、たくさんの武器を得た。パン・料理の技術、ワイン。でも、角打ちをはじめるにあたって、パンを自分で作ろうなんて思ってもみなかった。ただ、なりゆきで焼きはじめただけ。粉をすくう道具さえスコップではなくマグカップだが、素材や発酵を見極める目があれば、おいしいパンは焼ける。
 正幹さんは、ミキサーも、発酵器も使わない。前日仕込みのため冷蔵庫に保管するほかは、常温で発酵させる。だから気温の低い冬は発酵が遅れ、パンが焼けるのが開店に間に合わない。それでも、焦ることも、気にするそぶりもない。

店内風景


店内風景

「うちで扱っているヴァンナチュールの作り手は、みんな自然にまかせて発酵させる。僕がパンを作るときも常温のまま、生地が発酵するのを見守るようにしています」
 ワインもパンもこの店では時間という束縛から解放される。私たちが正幹のカウンターで時を忘れて楽しんでしまうのは、そのことと無縁ではない。

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■正幹 masamoto
東京都練馬区北町1-26-12
03-6906-8313
15:00~23:00(日曜 12:00~18:00)
不定休

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PROFILE

池田浩明

佐賀県出身。ライター、パンの研究所「パンラボ」主宰
日本中のパンを食べまくり、パンについて書きまくるブレッドギーク(パンおたく)。編著書に『パン欲』(世界文化社)、『サッカロマイセスセレビシエ』『パンの雑誌』『食パンをもっとおいしくする99の魔法』(ガイドワークス)、『人生で一度は食べたいサンドイッチ』(PHP研究所)など。国産小麦のおいしさを伝える「新麦コレクション」でも活動中。最新刊は『パンラボ&comics 漫画で巡るパンとテロワールな世界』(ガイドワークス)

http://panlabo.jugem.jp/

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