野村友里×UA 暮らしの音

野村友里さん、UAさん、ソウルメイトの2人が往復書簡をはじめた理由(前編)

野村友里さん(左)とUAさん<br>撮影/山田秀隆


野村友里さん(左)とUAさん
撮影/山田秀隆

2017年秋にスタートした、フードディレクター野村友里さんと、現在、カナダの島で暮らす歌手のUAさんの往復書簡『暮らしの音~海の向こう側とこちら側~
』。日本、カナダと遠く離れている2人が久しぶりに再会したのは、野村さんが企画・構成し、昨年末に東京・表参道のスパイラルガーデンで行ったライブパフォーマンス『食の鼓動-inner eatrip』に、UAさんが出演した時でした。音楽家、料理家、ダンサー、医学博士、デザイナーらが共演した『食の鼓動-inner eatrip』を経て、あらためて2人が、自分たちの表現の中で、また、この往復書簡を通して、伝えたいことを語り合います。(文・川口美保)

お互いが鏡のような存在として

――『暮らしの音~海の向こう側とこちら側~』は、野村さんからUAさんに声をかけて実現したものだそうですね。

野村 私は、この往復書簡を通して、うーこのことをみんなに知ってほしかったんです。歌では知っている人がいても、歌になる前って、生身の人間がつくっているもの。どんなことを考え、どんな暮らしをしているかということとつながっている。もちろん、アーティストとしてそれをすべてさらけ出す必要はないし、結果の歌を聴いてもらうことでいいわけだけど、最近のうーこを横で見てて、場所も定まってきたし、なんかすごく豊かになったなというか、ここ10年で「なりたい自分」に近づいてきているんじゃないかという印象があって。今だったらいいタイミングなんじゃないかなと思ったんですよ。ちょうどカナダに移住したこともあったし、発信したいことも出てきているんじゃないかなと。とはいえ、うーこが自分でブログとかで発信するというのは違うかなと思っていて。

――確かにUAさんがブログをやっているイメージはないですね。

UA ないでしょ(笑)。

野村 だから「私、こう思っているんです」と直接書くよりも、手紙という、相手がいたもののほうがいいのかなと思ったの。特に、東京とカナダで、距離が離れているでしょ。
それに「&w」というウェブマガジンの読者は、東京などの都市部で働いている人が多いと聞いていたから、普段の生活とは違う、離れたところの人からの言葉は響くだろうなと思って。

――UAさんのカナダでの暮らし方、感じ方を知ることで、あらためて、読み手が自分の生活を考えるきっかけにもなって、とても面白いです。

野村 東京の人って、アートが好きとか自然が好きとかいう人は多いし、それをお金で買うことはできるけれど、実際には距離がある人も多いなと思っていたから、私がその代表のような形でうーこに手紙を書くことによって、対比がより色濃くなるのがいいのかなと思ったんですよね。しかもウェブだから、限られた文字数じゃないのもいいよね。

――UAさんの手紙は読み応えがありますよね。

UA 長いのよ(笑)。私、小学校の時から作文が長いのよね。

――それほど書きたいことがあるということですよね。

UA それは相手が友里だからかな。きっと私、日本にいると、ちょっと言葉が古いけど、KYなタイプだと思うのね。いちいち「ん?」って思っちゃって、流せない。そんな私のままだと、きっと読みにくいものになっていたかもしれない。でもこの距離もそうだし、「友里へ」という鏡のような存在に対して書くということで書けることがあって。

――お二人は、同世代というのもあると思うけれど、お互いの言葉が響きやすいのかもしれないですね。だからこそ、書けることがある。

UA そうだね。私、本当に、友里は親友、ソウルメイトだと思っていて、不思議な気持ちなんだよね。彼女がどうであれ、嫌いになることはないというか、お互いどういうことになったとしても変わらないという確信はあるんだよね。

本質をシェアできる関係

  

――お二人はどういう出会いだったのですか?

UA 私は覚えているんだけど、友里のラジオ番組の企画で、私の家まで取材に来てくれたのが最初じゃないかな。それで神社に一緒にお茶しに行ったり。共通の友だちがつないでくれたというのもある。

野村 「なんで仲いいの?」って誰かに聞かれた時に、うーこに「真逆だから」と言われたことがあるの。「あまりにも真逆だから面白い」って。

UA そうか。前はそう思っていたのかな。でも今は、この広い、いっぱい人がいる中で、とっても似てるんだな、というふうにしか思わないけどね。もちろん生い立ちや環境、育った場所とかは全然違うと思うんだけど、でもそれって魂や心の部分では関係ない。探しているもの、持っている本質のところは、すごくシェアできるから、こんなに長く、いつも変わらず話せるんだと思う。

――野村さんが監督をつとめ、2009年に公開された映画『eatrip』にもUAさんは出演して、今回、野村さんが企画・演出したライブ「食の鼓動」にも出演しました。音楽家と料理家が出会って、一緒に表現できるのは素敵な関係なんだなとわかります。野村さんは、UAさんだからやりたいことのイメージが生まれることもあるのですか?

UA 「私ありき」という感じは受けていないかな。もともと友里の中でやりたいことがあって、そこのピースがはまるという感じじゃない?

野村 だけど、私自身、何か「やりたい!」って思って始まることが一個もなくて。映画もそうだし。例えば料理をやっていると、本をつくりましょうというお話をよくいただくけれど、料理本をつくっている場合じゃないなって思うの。世の中にいっぱいあるし。

UA まあ、それは3.11以降、一度はみんな思ったよね。なんで、もっとつくるんだっけ? って。

野村 今生きている中でもっと大事なことがあると思ってる。例えば、うーこから学ぶ「食」のことが私にとってはとても大きい。料理の技術とかではなくて。寝かせ玄米のこともうーこから聞いたし、実践して生活に役立つ「気づき」のほうが必要かなって。

――野村さんは、手紙の中でも「うーこからの情報は有無を言わずどんなことでもまずは受け入れる」と書いていましたね。

野村 そう。私、結構ひねくれてるところもあって、斜めに見ちゃうこともあるんだけど、信頼している人が言うことは何も考えずに試すと、やっぱり面白いなとか、発見があるの。いつも何かをチェックしているタイプじゃないから、そうしたほうが近道なんだよね。

YESという形でメッセージを伝えたい

  

――この往復書簡で、UAさんの言葉は、とても普遍的なことを伝えてくれようとしていますよね。こうして言葉で発信したいと思えるようになったのは、カナダでの生活が変化をもたらしたということなのでしょうか。

UA カナダの生活がきっかけとは、正直思わないのね。もともと前からそういうものを探してて、歌をうたっているのも、そういうものにずっと興味があって、探求していて、知りたいと思っているから。貪欲なんだよね。本質を知りたいの。それで、3.11があって、その後、沖縄で3年半暮らしたのだけど、その頃から本質を知りたいという思いがもっと深まって、今やっと言葉にできるようになったのかなと思う。

――沖縄に住んでいた時ももちろん伝えたいことはあったでしょうが、それを積極的に言葉にはしていなかったですよね。

UA しばらくは、どうしてもNOが含まれているようなメッセージを出しそうになっていて、でもそれじゃあ伝わらないんだなと強く感じたからね。YESという形でメッセージは伝えていかないと。それに、頭で「YES」ではなくて、腑に落ちる感じ、意識の中で、「あ、あ、そうか」って、なぜかわからないけれど「あ、わかった」という、感覚の中でわかったり、共感したりすることができないと、本当には変われないんだなと思ったの。自分自身もそうだし、いくら頭でいろんなことを整理しようとしても、事実、やっぱり変われないんだよね。

そういうことを沖縄の生活の中で本当に痛烈に感じて、しばらく私は何も言えなくなった。それよりも、自分自身がやらなきゃっていうふうに思って、その場所として、カナダの暮らしを選んだ。

――まずは、自分自身が「やる」、「なる」、ために、YESと思える場所に行った、と。

UA そうだね。今住んでいるところには、何もないの。何もないことが、イコールYES、というわけではないけれど、物質的なものが限りなく少ないところを選んでいくんだよね、私の場合。

でも一番には、子育てをしやすいから。それはある意味、自分をラクさせてる部分もあるのね。物質的なものが多いと、あれはダメこれはダメって言ってしまって、自然の少ないところで子どもを育てるのは、私にはとてもじゃないけど器用にできない。不器用なの、結局。だから環境を選ぶことによって、ダメダメっていうのを減らして、自分にラクをさせてる。

野村 今の生活は子育てしやすい?

UA 何もないところには広がりがあって、いつも可能性があるのよ。情報も物質もそうだけど、いろんなものが用意されていると、子どもは創造性を失ってしまう。もちろんカナダの島だといっても、現代に生きている場所で、そういう物質世界は本当にすぐそばにあるから、手放しにしてはいられないけれど。

――情報や物質があふれ、どんなところにも浸食していく現代において、そこに寄っていくことなく、東京から神奈川の里山へ、そして沖縄、カナダの島へと、環境を変えていきながら、UAさんは自分を鍛え上げてきた印象があります。

UA そうだね。怠け者だけど、本当に自分なりに、だね、自分なりに細々と鍛錬してきている。人生は本当に鍛錬。死ぬ間際までそうなのかなと思う。でも、友里と会えば、愚痴も言うし、人のうわさ話もしたりだとかさ、ほっこりした人間っぽい時間もあるんだけどね。森はね、孤独といえば孤独だからね。

野村 強くなったよね。

UA ほんと?

野村 人生一回だけど、「なりたい自分」があるとしたら、「なれる」ということをうーこは教えてくれる。そこに人は共感するんだよね。

隙間があるからこそ可能性が生まれる

  

野村 いつだったかな、「私、空っぽなのよ」って言っていたよね。だけど、今は空っぽじゃないと思うの。不器用って言うけれど、なりたい自分になるために、いつも探し求めて、実行してきた。実際、環境を変えるといっても、引っ越してそこになじむのだって大変だし、食生活を変えた時もあるし、この15年でなりたい自分にすごくなっている。20歳から今までを見たら、ものすごく凝縮してると思うの。だって、20年前の自分が、カナダの島に子ども3人と住んでるなんて想像した?

UA してないね。

野村 確実に思わないでしょ。でも、そうやって変われる可能性もあることを見せてくれている。

UA さっきの空っぽの話につながるんだけど、ふっと夕方、マジックタイムみたいな時間あるじゃない? 明るいんだか暗いんだかわからないああいう時間に、子どもの頃、友だちの自転車の後ろに乗っていると、「何がなんだかわからない、ここはどこ? 私は何?」ってなる時があって、ものすごく怖かったのね。現実が理解できないから、「わかった、これは夢みてるんだ」って思うの。目覚めなきゃって思うんだけど、覚めない。そういうことが何度もあったのね。大きくなってもそういうのが時々あって、息子を産んだ頃にぱったりとなくなったのだけど、あの時の体験を、若い頃の私はいい意味でも悪い意味でも「自分は空っぽだ」と言っていたのかもしれない。

でも、今は私は空っぽでありたいのね。そういうテーマでアルバムを一枚つくったこともあったけれど、いつも隙間を持っていたいと思っているの。

野村 私もそうで、『食の鼓動』を企画・演出したりする私を見て、「すごいね」と言われるけれど、私自身はポンコツなの。でも、ポンコツだから、みんなが入りやすいんだと思う。私が何でもできる人で、「私はこうしたいの!」とやりたいことがしっかりある人だったら、こういうことはできないと思う。穴ぼこが多いから、みんなが入りやすくて、アイデアを出し合ったり、いろいろ試したりできる。

UA そうだね。友里が「ポンコツ」という言葉を言ったけれど、あなたに隙間がいっぱいあるからこそ、すごくいいものが生まれる可能性がある。私もいつもスカスカでありたいの。ギュウギュウに詰まり切っているのは、私はあまり素敵には思わないのね。たとえば、華道だったり、日本の美でも、7で止めるというのがあると思うんだけど。そんな大げさな話ではないにしても、最近、忘れるのも上手になったし、いっぱいいっぱいというのは可能性がないと思う。

――だからこそ歌は入ってくるし、出せるだろうし。

UA いっぱいいっぱいだと歌は難しいね。子どもの頃のその原体験と呼べるような感覚に、いまはもっとなりたいというか、そのほうがすごいリアリティーなんだなと思うの。

――UAさんからのカナダでの生活を書いた手紙に、「森と農地の境目に、テントを張って眠っているのだけど、朝、目を覚ますとき、はれ? ここはどこ、わたしはだーれ感がすこぶる氣持ちいい」とありましたが、それもその感じに似てるのかもしれないですね。

UA そうだね。あのテント暮らしは本当にそうだったね。

(後編へ続く)

野村友里(のむら・ゆり)
フードクリエイティブチーム「eatrip」を主宰。おもてなし教室を開く母・野村紘子さんの影響を受けて、料理の道に。主な活動に、レセプションパーティーなどのケータリングフードの演出、料理教室、雑誌の連載、ラジオ番組など。2009年、初の監督作品『eatrip』を公開。12年、東京・原宿に「restaurant eatrip」をオープン。著書に『eatlip gift』『春夏秋冬 おいしい手帖』(ともにマガジンハウス)がある。 http://www.babajiji.com/

UA(うーあ)
大阪府生まれ。母方の故郷は奄美大島。1995年デビュー。1996年発表のシングル「情熱」が大ヒット。2000年、ブランキー・ジェット・シティを解散した浅井健一とAJICOを結成。同年、初主演映画「水の女」(テサロニキ国際映画祭グランプリ受賞作品)公開。2016年、7年ぶりとなるオリジナルアルバム「JaPo(ヤポ)」をリリースした。また、2005年より都会を離れ、田舎で農的暮らしを実践中。現在はカナダに居住。4人の母でもある。
http://www.uauaua.jp/

川口美保(かわぐち・みほ)編集者/ライター。1995年より雑誌「SWITCH」の編集者として、数多くの特集を手がける。2014年3月沖縄へ移住。現在は、沖縄を拠点としながら、企画、編集、インタビュー、執筆を続ける。また、2015年には飲食店「CONTE(コント)」をオープンし、様々なイベントも行っている。http://conte.okinawa

PROFILE

  • UA

    1972年大阪生まれ。母方の故郷は奄美大島。1995年デビュー。1996年発表のシングル「情熱」が大ヒット。2000年、ブランキー・ジェット・シティを解散した浅井健一とAJICOを結成。同年、初主演映画「水の女」(テサロニキ国際映画祭グランプリ受賞作品)公開。2003年から放送されたNHK教育テレビ番組「ドレミノテレビ」に、歌のおねえさん「ううあ」としてレギュラー出演。2004年、数々の童謡・愛唱歌を集めた、ううあ名義アルバム「うたううあ」をリリース。2006年、菊地成孔とスタンダードジャズアルバム「cure jazz」をリリース。2010年、デビュー15周年企画カバーアルバム「KABA」をリリース。2016年、7年ぶりとなるオリジナルアルバム「JaPo(ヤポ)」をリリースした。また、2005年より都会を離れ、田舎で農的暮らしを実践中。現在はカナダに居住。4人の母でもある。α-STATION(FM京都)の番組「FLAG RADIO」にレギュラー出演中。

  • 野村友里

    料理人(りょうりびと)、「eatrip」を主宰。おもてなし教室を開く、母・野村紘子さんの影響を受けて料理の道に。主な活動に、レセプションパーティーなどのケータリングフードの演出、料理教室、雑誌の連載、ラジオ番組など。2009年、初の監督作品『eatrip』を公開。11年、「シェ・パニース」のシェフたちとともに、参加型の食とアートのイベント「OPEN harvest」を開催。その経験を経て日本のシェフたちとともに「nomadic kitchen」プロジェクトをスタート。12年、東京・原宿に「restaurant eatrip」をオープン。著書に『eatlip gift』『春夏秋冬 おいしい手帖』(マガジンハウス)、『Tokyo Eatrip』(講談社)、共著に『TASTY OF LIFE』(青幻舎)がある。
    http://www.babajiji.com/

〈暮らしの音〉火と暮らすこと。土に帰ること。

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野村友里さん、UAさん、ソウルメイトの2人が往復書簡をはじめた理由(後編)

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