MUSIC TALK

音楽の道へと導いてくれた人との出会い 大橋トリオ(前編)

撮影/山田秀隆


撮影/山田秀隆

ピアノ、ギター、ベース、そしてドラムとさまざまな楽器をこなし、そこから生まれる楽曲は、ジャズを基本としながらロックでありポップスでありダンスであり。自由自在に縦横無尽に音楽を紡ぎ出す大橋トリオ。父親の影響が大きかった幼少時代のルーツ、音楽の道に進むべく出会った憧れの人とのエピソードを語る。(文・中津海麻子)
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父親のひざの上で音楽を聴いた

――幼いころ、どんな風に音楽に触れていましたか?

 3歳ぐらいから音楽教室に通っていました。音楽関係の仕事をしていた父が趣味でいろんな楽器を集めていて、変わったところではローズピアノ(エレクトリックピアノ)が家にあって。見よう見まねで触っていたみたいです。親から聞いた話では、テレビのCMで流れる曲をピアノで弾いていたとか。教室にも自分で行きたいと言ったらしい。僕自身はまったく覚えてませんが。

 音楽を聴くのは、父親のひざの上が多かった。イギリスのフュージョンバンド「シャカタク」とかね。父親が曲に合わせてひざでリズムを刻みながら、僕の足をドラムみたいにたたくんです。そのとき体で感じたグルーブ感はとてもよく覚えています。

 小学校に上がるころになると、自分でも音楽を聴くようになりました。世の中ではやっている曲、たとえば光GENJIとか。親に初めてお願いして買ってもらったのは、光GENJIのベスト盤か何かだった。同時に、父親と一緒に洋楽も聴いていました。ビリー・ジョエルの「オネスティ」という曲が好きで、親が留守で自分一人になれる瞬間をねらってこっそり弾き語りしたり。

――こっそり?

 恥ずかしくてしょうがない。弾き語りなんてナルシストの極み、みたいに思ってたから(笑)。今でもシラフじゃ親の前で歌えません。

 でも、父からの影響は大きかった。小4か小5だったかな、父親の会社の防音部屋にドラムセットがあって、マイケル・ジャクソンのレーザーディスクの映像に合わせて父親がたたいたんです。「なんだこれ、かっこいい!」って。そのとき初めてドラムというものを意識しました。さらに、自分でたたいてグッときた。父親のひざの上で感じていたグルーブ感みたいなものとリンクしたんでしょうね。

 そんな僕を見て父親が買ってきたシンセドラムを、遊びでたたいていました。そして中学に上がったとき、先輩たちがやっていたBOOWYのコピーバンドの演奏を聴いて。決して上手ではなかったけれど、なんだかカッコよくて、でも自分なら練習すればもっとうまくできると思った気がする。中1から1年ほど教室に通いました。その後もたたきたくて、中2でバレー部から吹奏楽部に転部。パーカッションを担当しました。

高校時代のバンド

――バンドを組んだのは?

 高校に入ってからですね。高校ではまたバレー部に入部したのですが、同じバレー部の同級生にギターやってるっていうヤツがいて、別で仲良くなった学年の人気ナンバー1男子が歌を歌いたい、と。そいつにベースができる知り合いがいるというので、じゃあバンドやろうよということに。Mr.Bigとかエクストリームとか、当時はやっていたバンドをコピーしていました。

 文化祭で演奏したものの、観客の同級生はどうしたらいいのかわからずただ突っ立ってるし、僕らも初めてでどうやって盛り上げていいのかわからないし。ライブには、ステージ上のテンションだけでなく、お客さんのテンションも必要だと知りました。

 あのときもそうだったけど、僕は観客の皆さんをあおったりできるタイプじゃない。真剣に音楽を伝える。それしかできない。今のライブも同じ。そこは、あのころとまったく変わらないですね。

 その後、ギターがデスメタルをやりたいと言い出し、バンドは解散。音楽性の違いってヤツです(笑)。僕は小学校時代から仲がよかった連中とつるむようになり、そいつらと音楽をやるようになりました。誰ひとり楽器なんてできなかったんだけど、僕が一から仕込んで。まったく音楽っ気のない彼らでしたが、みんな結構ハマって、それなりのサウンドは出せていたような気がします。
  

ギタリスト、吉川忠英さんとの出会い

――卒業後は音楽大学へ進学します。音楽を学ぼうと思ったきっかけは?

 高校は進学校だったので周りはみんな普通の大学を目指していましたが、勉強は好きじゃないし、サラリーマンになって満員電車に揺られる生活は僕には無理だなぁ、と。とはいえ、音楽は好きだけど、今さら音大に進むのは無理だろうと思っていました。

 そんなとき、ある出会いがありました。僕が日本一のアコースティックギタリストだと尊敬している吉川忠英さんのレコーディングを、父親の仕事の関係で見学できることに。素晴らしい演奏、素晴らしい音に心をつかまれました。「なんてかっこいいんだ!」と。スタジオミュージシャンなどの裏方の仕事に一気に興味を持ちました。
 さらに、休憩時間に僕がピアノを弾いていたら忠英さんが話しかけてきてくれた。「その曲、ギター弾いたよ」と。ユーミンの曲の大好きなギターフレーズとか、僕のツボに入るギターの音が、実はことごとく忠英さんの演奏だったと知り感激しました。そんな僕に忠英さんが「将来何になりたいの?」と。僕は「作曲家になります」と答えました。

――作曲家になりたい、という思いはあったのですか?

 いや……あまりなかったと思う。思わず言葉にしてしまった、という感じでした。
 忠英さんは僕のピアノを「いいね」とほめてくれた。あのころの僕は「ピアノがうまい=上手に弾ける」ことだと思っていて、そこに関心がなかったので練習が好きじゃなかった。でも忠英さんと話す中で、「タッチがいい」とか「弾く人によって音が違う」とか、そういうことがピアノにはあると知ったのです。

 そのとき忠英さんからCDをもらいました。「好規くん、作曲がんばれ」と書いてくれて。今も大切な宝物です。そのエールに応えるために音楽を学ぼうと決めたのです。
(後編へ続く)
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大橋トリオ(おおはし・とりお)
1978年千葉県生まれ。本名、大橋好規(おおはし・よしのり)。作曲やアレンジのみならず、レコーディングの際の演奏まで、ほとんどを自らこなすマルチプレイヤー。ジャズ、ポップス、ソウル、フォーク、ロック、AOR等、様々なジャンルの音楽を融合して「大橋トリオ」の世界を構築している。2017年には活動10周年を記念し、3カ月連続で配信シングルをリリース。2018年2月14日、オリジナルアルバム「STEREO」をリリースした。
大橋トリオ 公式サイト:http://ohashi-trio.com/

【ライブ情報】
3月30日より全国ホールツアー「ohashiTrio HALL TOUR 2018」を開催。詳しくはこちら

PROFILE

中津海麻子

執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

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納得していないことが原動力 大橋トリオ(後編)

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