MUSIC TALK

「最悪の出会い」だった2人が、バンド結成 スキマスイッチ(前編)

撮影/松嶋 愛


撮影/松嶋 愛

 背中を押してくれるようなポップな応援ソングも、切なくなるバラードも。美しいメロディとハーモニーが聴く者の耳に、心に響く。スキマスイッチの大橋卓弥さん(写真右)、常田真太郎さんの音楽の原体験、そして「最悪の出会い」とは?(文・中津海麻子)

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クラシックのピアニストになりたかった(大橋)
両親が営む喫茶店で音楽が流れていた(常田)

――幼いころの音楽にまつわる思い出は?

大橋 両親によると、ちっちゃいころはクラシックが好きで、「くるみ割り人形」と「白鳥の湖」を聴くとおとなしくなる子どもだったそうです。4歳か5歳の誕生日に、カセットテープが5本ぐらいセットになった「クラシック大全集」をおねだりしたとか。「白鳥の湖」はマイナーのきれいなメロディーラインで、今の僕が好きな音楽に通ずるんです。
 学校に通うようになると、Mr.Children、スピッツ、槇原敬之さん、WANDSにB’z……と、流行っていたJ-POPの曲を聴いていました。一方で、父も音楽が好きでレコードがたくさんあり、荒井由実さん時代の「ひこうき雲」や吉田拓郎さんのアナログ盤をかけたり、車の中では浜田省吾さんが流れていたり。そんなふうにいろんな音楽に触れていました。
 小学校に入ってからピアノ教室に通うように。習い事はいろいろやったもののすぐに飽きちゃって、親からは「どうせまた続かないからダメ」と言われたんですが、ピアノだけは「やりたい」と頼み続けて。中学生まで通っていました。今思えば浅はかだけど、あのころはクラシックのピアニストになりたいと本気で考えていました。

――対して、常田さんはどんな音楽ボーイだった?

常田 無音楽ボーイでした(笑)。家族が特別音楽好きというわけでもなく、家にピアノもなく。ただ、当時両親が喫茶店をやっていて、いつも有線でオフコースやチューリップが流れていました。当時は誰の曲かわからずに聴いていたんですが、高校でオフコースが好きな友だちからCDを借りたとき、「俺、なんでこの曲知ってるんだ?」と。そのとき初めて、あのときかかっていたのはオフコースだったと知り、改めて大好きになりました。
 小学校の高学年の時には「ドラゴンクエスト」のゲーム音楽が耳に止まり、そのオーケストラ版を父親にせがんでCDレンタルショップに借りに行ったことがあります。こんなにきれいな音楽があるんだと感激して。姉の影響で「ベストテン」や「トップテン」といった音楽番組も見るようになり、南野陽子さんやおニャン子クラブといったアイドルの曲もよく聴きましたね。

――曲を作ったり楽器を弾いたりなど、自分の音楽をやるようになるのは?

大橋 合唱コンクールで伴奏をしたこともあって、中2のとき先生から「学園祭のイメージソングを作ってみないか」と声をかけられました。僕が通っていた中学は、生徒が作った曲をみんなで歌うといった取り組みを積極的にやっていたんです。それで初めて曲を作りました。実際、完成した曲は全校生徒が歌ってくれて、うれしかったことはうれしかったんですが、みんな恥ずかしがって大きな声で歌わないんですよ(笑)。それはちょっと寂しかった。ただ、その曲が今、後輩たちによって歌われるようになっていて。僕がデビューしなかったらその曲は眠ったままだったはず。20年、30年という年月を経て作品が残り、歌い継がれているというのは感慨深いものがあります。
常田 僕は中学、高校と、友だちにピアノが弾けるヤツがいて、自分でも弾いてみたいと思っていましたが、ピアノは持ってないし、習ったこともないから弾けるわけがない。そんなときDTMのことを知り、シンセサイザーを買いました。弾くんじゃなくて作る方から入ったんです。コードブックを見ながら一音ずつ打ち込んで行くと伴奏ができて。「わぁ、すごい!」と。音楽を作っている感覚に浸れて、なんだピアノが弾けなくてもいいんだ、と。ダメなんですけどね(笑)。
 高校ではコピーバンドを組みました。3年のときに他のバンドと一緒にイベントをやったら300人もの人が見にきてくれて、「こんな仕事があるんだ」と衝撃を受けました。でも、僕は性格的に前に出るのが苦手だし、ピアノも上手に弾けない。ならば裏方に回り前に出る人たちの曲を作りたい、と。卒業後、そうした仕事に就くために東京の音楽専門学校へ進みました。バンドも組み直してライブもやっていたんですが、ピアノが弾けなくてもいいと思ってたからロクに練習もしなくて。そのバンドで名古屋で凱旋ライブをしたとき、僕の友人が中学の後輩だった卓弥を連れてきたんです。で、しどろもどろの僕を見ることになる。

組んだらおもしろい確信があった(常田)

――伝説の「最悪の出会い」ですね?

大橋 そう。「この人、よくこれでステージに立ってるな」と。本当に人さし指だけで弾いてるようなレベルだったんで(笑)。

――常田さんもいい印象は持たなかった?

常田 めちゃくちゃ怖かったですもん。サングラスしてポケットに手突っ込んだままで。この人としゃべることは一生ないだろうなぁ、と(笑)。

大橋 (笑)。ライブハウスって怖い場所だと思ってたから、なめられちゃいけないと粋がってたんですね、きっと。

――最悪の出会いをした二人が、しかし、一緒にやるようになるのは?

大橋 僕も一時期バンドを組んだのですが、解散して一人で路上で歌っていました。ある程度お客さんが集まるようになったので、CDを作りたいと。売るというよりは、持って帰ってもらいたかったんです。でも、CDをどうやって作るのかわからないし、アレンジもやったことがなかった。そのころシンタくんは自分で機材をそろえ、インターネットが普及する前だったにもかかわらずネットを使ってアマチュアバンド相手にレコーディングやアレンジをしたりしていたので、友達価格でやってもらえないかとお願いしたんです。
常田 実はそれ以前に卓弥のバンドの曲のアレンジを勝手にしたことがあって。「こっちのほうがよくない?」と。
大橋 この人、勝手に何してるんだ?って(笑)。
常田 卓弥はそんな感じでまったくなびいてくれなかったけど、一緒に組んだら絶対におもしろいものができるという確信は以前からありました。すぐに頼まれた曲をアレンジし、ちょうど知り合いのプロデューサーに会うことになっていたので、その曲も持っていきました。当時組んでいたバンドの曲やアレンジを依頼された曲は、どれもAメロを聴いただけで「はい、次」と飛ばされたのに、卓弥との曲だけは最後まで聴いてくれた。そして「すごくいいね」と。「一緒にやってるの?」と聞かれたので、「やってますやってます」と即答して(笑)。
 ミスチルやスピッツが好きだと伝えると、「そういう事務所に送ってみよう。小林武史さんがプロデュースしてくれたらいいね」みたいに盛り上がって。すぐに卓弥に電話して、「小林さんとかもいけるんじゃないかって言ってもらえたよ」とかなり盛って伝えたら……。
大橋 「マジか!?」って(笑)。
常田 口八丁手八丁でデモテープを作るところまでこぎつけました。嘘はついてない……いや、ついたな(笑)。

  

「スキマスイッチ」結成の裏側

――そして1999年、スキマスイッチを結成します。

大橋 断りきれなかったこともあったけど、何かしらシンタくんと一緒にやったほうがいいだろうなとは思ってたんです。ただ、自分の活動と並行しようと。曲も、出来のいいのはソロ用に、それ以外をこっちに、ということにして。ところが、二人で作ると曲の世界が一気に広がった。そのうちシンタくんとの活動がどんどんおもしろくなっていった。
 自主制作でアルバムを作ることになり、シンタくんにはさらに驚かされました。友だちのカメラマンにジャケットの写真撮影を頼み、そこにバーコードまで入れて。実際はダミーなんだけど、入れることで本物っぽくなる。すごい才能だと思いました。どうすればプロになれるかという方法論をこの人は知っている。僕はといえば、ただただ歌って人が集まってくれたらうれしいなぁ、みたいな感じで、せいぜい駅の構内で評判になる程度(笑)。シンタくんと一緒にやっていなかったらデビューできてなかったと思います。
常田 僕はやっぱりプロデューサーやアレンジャーという仕事をしたいという気持ちが強く、でも表舞台に立つのはイヤだった。ところが当時、小林武史さんや小室哲哉さんといった有名なプロデューサーは自ら表に出ていて、そこは覚悟を決めなきゃいけないのかもと思い始めていました。そして、親から借金して初めてちゃんとした鍵盤も手に入れた。それまでまったく振り向いてくれなかった人が突然こっちに来てくれて、これを逃す手はない! と腹を括ったんです。
 何より、卓弥とやると楽しかった。それまでいくつものバンドを掛け持ちし、脱退や解散を繰り返していましたが、それまでは感じたことがない楽しさだった。さらに二人で作った音楽が認められ始めた。全てのバンドと当時立ち上げていたレーベルを解散し、スキマスイッチ1本で行くと決意しました。

――メジャーデビューまでの道のりは?

大橋 「最初のライブは大きなところで」というのがシンタくんの方針でした。いきなりここでやった、という箔を付けたかった。で、勝ち上がると赤坂BLITZでやれるというオーディションでまんまと受かって。だから僕らの最初のライブは赤坂BLITZなんです。やったのは数曲だけだし、ニューカマーバンドのうちの一つにすぎなかったけど。
 そのステージを見た今の事務所のスタッフが声をかけてくれた。シンタくんから「オフィスオーガスタっていう事務所からメールがきたけど、知ってる?」と。知らなかったんだけど、実はその電話をしながら山崎まさよしさんのライブビデオを見ていて、エンドロールに「オフィスオーガスタ」って書いてあったんです。「ちょ、それ山崎まさよしさんがいる事務所だよ!」と(笑)。
 すぐに社長に会いに行きました。会議室みたいなところでいきなりギターを渡されて「歌ってみろ」と。「はぁ……シンタくんはどうすればいいですか?」って聞いたら、「隣で手拍子してろ」(笑)。
常田 手拍子しました(笑)。
大橋 そこから、とにかく新しい曲を書くように言われて。試聴会をすると社長はいつも「いいな」とほめてくれる。ところが帰り際にはマネージャーから「新曲を書け。そのときにいい曲がなかったらこの話は無くなるから」と言われる。そんなことが何回か繰り返され、あるとき、こう言い渡されました。
 「2週間で10曲書いてこい」
(後編へ続く)

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スキマスイッチ
大橋卓弥(おおはし・たくや)、常田真太郎(ときた・しんたろう)のソングライター2人によるユニット。2003年、シングル「view」でメジャーデビュー。翌年にリリースした「奏(かなで)」がロングヒットを記録し、ブレイク。以後、「全力少年」「ガラナ」「ユリーカ」など、多くのヒット曲を生み出している。2018年、デビュー15周年を迎え、通算7枚目となるアルバム「新空間アルゴリズム」を3月14日にリリースした。
スキマスイッチ 公式サイト:http://www.office-augusta.com/sukimaswitch/

【ライブ情報】
4月から全国ツアー「SUKIMASWITCH TOUR 2018 “ALGOrhythm”」を開催。詳細はこちら

PROFILE

中津海麻子

執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

納得していないことが原動力 大橋トリオ(後編)

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デビュー15年で「原点回帰」 スキマスイッチ(後編)

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