MUSIC TALK

デビュー15年で「原点回帰」 スキマスイッチ(後編)

撮影/松嶋 愛


撮影/松嶋 愛

 一緒にやると曲の世界が広がる――。2人で歩み始めたスキマスイッチだったが、しかし、デビューまでも、デビューしてもなかなかうまくいかない日々。そして、ヒットを飛ばすようになってからぶつかった解散の危機。15年の月日を、大橋卓弥さん、常田真太郎さんが振り返る。(文・中津海麻子)

    ◇

(前編から続く)

「2週間で10曲書いてこい」

――所属した事務所からむちゃ振りとも思えるオーダーがありました。

大橋 「2週間で10曲なんて書けるわけない。無理だよ」。そう弱音を吐いた僕に、シンタくんは「聴いてもらえるうちはやってみようよ」と。そうか、と思い直し、寝ても覚めても曲を作り続けました。ギターを抱えたまま気絶して寝て、起きたらそのまま曲を書き始める。本当にそんな感じで。そのとき作った曲は「炎の10曲」と呼んでいます(笑)。

常田 本当は「2人で10曲」だったんだよね?

大橋 そう、1人10曲だと勘違いしてた。どうせできっこないから、それを理由に切られると思っていたんです。約束の2週間後、20曲携えて事務所に行ったら「本当に書いてきたの?」と驚かれました。でも、そこから歌詞の先生について勉強させてもらったり、デモを作るためのレコーディングをしたりと、少しずつ話が進んでいったんです。

常田 その流れで、ある曲のミュージックビデオを撮影することに。スタッフが50人ぐらいいて、撮影もすごく時間をかけて、やたらと規模がデカいなぁ、と。

大橋 待ち時間に現場のマネージャーに「もしかしてこれってデビュー? なんですかね?」と聞いたら、「え? そうだよ。言ってなかったっけ」(笑)。そんなこんなで、そのときミュージックビデオを撮影した「view」でデビューすることになったんです。

いくつもの小さな種が実を結んだ

――2003年3月、念願のメジャーデビュー。どんな気持ちでしたか?

大橋 一夜にして大金持ちになるぞ、と。デビューするってそういうもんだと思ってましたから(笑)。一方で、書いても書いても書き直しさせられていたので、ドッキリなんじゃないか? とも。発売日はCDショップに確認しに行きました。店頭に僕らのCDがドーンと置かれていて……と華々しいデビューを想像していたのですが、全然見当たらない。カタカナの「ス」の棚に3枚だけありました(笑)。めちゃくちゃ売れて3枚しか残ってないのか、3枚しか入荷してないのかもわからない。とりあえず売り場に面出しをして帰りました。
 結局、そのデビュー曲はまったく売れなかったんです。

常田 次の曲がダメだったら終わりというプレッシャーの中、2枚目のシングルはスキマスイッチの名刺になるようなバラードを作ろう、と。そして生まれたのが「奏(かなで)」です。でも最初はまったく売れず、「またこうなっちゃったか」とヘコみました。
 ただ、デビュー曲の「view」は、チャートとしては動かなかったものの全国でパワープレイされ、そのお礼とプロモーションで全国行脚したら「奏(かなで)」もかけてくれたんです。それも長く。2カ月経っても全国で流れていた。そんな中、「ミュージックステーション」の出演が急に決まりました。放送後、「あのアフロとその横にいるすごい歌のうまいヤツは何者だ?」(笑)といった反響があったそうで。そうしたいくつもの小さな種が実を結んだのか、7月に出した1stアルバムがデイリーチャートで1位を取るなど一気に動いた。本当に突然風向きが変わった感じでした。

大橋 街では「奏!」と声をかけられて。スキマスイッチと「奏(かなで)」と、どっちがユニット名でどっちが曲名なのかわからなかったみたい(笑)。その後の全国ツアーでたくさんの人に聴いてもらい、少しずつ僕らの存在が認識されていったという感じでした。

――05年には「全力少年」で紅白歌合戦に初出場。ファンも増え次々とヒットを飛ばしていく中で、プレッシャーを感じたりは?

常田 がむしゃらだったし、音楽に関してはやりたいことがまだまだたくさんあって、自分たちにはそれができるという根拠のない自信がありました。むしろ曲作り以外のこと、たとえばテレビに出たりプロモーションで全国を回ったりといったことに追われ、曲を作る時間がないことに戸惑っていましたね。

 音楽に関するプレッシャーを感じるようになったのは、2回目の紅白にドラえもんのタイアップ曲「ボクノート」で出た後ぐらいから。大きなタイアップのお話を次々といただいて、オリジナルアルバムも作らなきゃいけないし、常に3曲ぐらいを同時に進めながら、その合間にプロモーションの打ち合わせをして……。「できない」とはカッコ悪くて言えなかった。卓弥との楽曲の打ち合わせもメールで済ませてしまうほどで、完全に余裕を失っていました。

1年活動休止。再始動も一筋縄では行かず……

――08年には大橋さんがソロ活動へ。スキマスイッチは1年間活動休止します。

大橋 このままいくとスキマスイッチは壊れてしまう、何か違うことをしなければ――。そんな思いを抱くようになっていた。シンタくんが「ソロやってみなよ」と言ってくれたことも後押しになりました。ただ、07年夏にベストアルバム「グレイテスト・ヒッツ」をリリースし、初めてのアリーナツアーをして、という直後にソロになるというのは、スキマスイッチを応援してくれるファンの方々を裏切る行為なんじゃないか。そんな複雑な思いと、一人で何かできるんだろうかという不安でいっぱいだった。でも、成功しようがしまいが、自分の中にあるもの、やりたいことを全部吐き出してしまおう。そんな気持ちで思い切りました。

 期間は最初から「1年」と決めていました。探り探り始めて、ようやく自分のペースをつかめてからは、この1年で何を持って帰れるかなと考えるように。スキマスイッチとして、それまでとは違うおもしろさが作れるんじゃないかと思うようになっていました。

常田 僕もその間は色々やっていて、スキマスイッチとして改めてやりたいことが見えてはいました。ところが卓弥が戻ってくるとなったときに、うれしいくせにうれしい顔ができない天邪鬼な自分がいた。元々が先輩後輩の関係で始まったこともあって、どうでもいいプライドみたいなものが邪魔したんです。

 再始動に向けて二人きりで話をしたのですが、お互いどんどん言葉がきつくなり「だいたいお前はさ」みたいな感じになってしまった。埒があかなくなりマネージャーを呼びました。僕らの言い合いを聞き、「結局2人でやりたいの? やりたくないの?」と。「やりたいからこういう話してるんだよ!」と口を揃えたら、「はい、やりたいということで。じゃあ明日ね」。それでおしまい(笑)。

 それからは思ったことはしっかり伝えていくように。楽曲についてはもちろん、日々のどうでもいいようなことも。どんどん風通しが良くなっていくのを感じました。

大橋 僕がソロをせずにあのまま突っ走っていたら、スキマスイッチはもっと成長できていたかもしれない。そう考える自分たちも正直います。でも、人生は一筋縄ではいかないということも実感した。あの1年間は、世間的には最悪のタイミングだったかもしれないけど、僕らにとっては必要な時間だった。あの時間がなければ、今のスキマスイッチは絶対に存在してなかったと確信しています。

ニューアルバム「新空間アルゴリズム」


ニューアルバム「新空間アルゴリズム」

デビューしたあの頃のように、衝動で音楽を

――様々な局面を乗り越えながら、今年メジャーデビュー15周年を迎えました。3月14日には3年ぶりのオリジナルアルバム「新空間アルゴリズム」をリリース。「原点回帰」の作品になっているとか?

大橋 前作「スキマスイッチ」(2014年)は、十数年間の活動の中で僕らが感じてきたこと、身につけたテクニックや経験値をすべて詰め込み、「今のスキマスイッチはこれだ」という作品に仕上げました。タイトルを「スキマスイッチ」にしたのはそのためです。すべてやり尽くしてしまったから、次のアルバムのことはすぐには考えられなかった。しばらくはインプットの時間にしようと、何も提げないツアーをしたり、元の楽曲をリアレンジしてお客さんに聞いてもらったり。「re:Action」というアルバムでは、僕たちが敬愛するアーティストの皆さんに自分たちの楽曲をリアレンジ、リプロデュースしてもらった。そういった経験ができたからこそ、自分たちのそれまでの活動の答え合わせができました。

 そして、活動を通じ、自分たちがどんどんテクニカルな方向を志向していたことに気づいたんです。身につけた技は使ってみたい、みたいな。「スキマスイッチ」というアルバムは大好きな作品なんですが、改めて聴いてみると「内側に向いているな」と。デビューから3枚目までのアルバム、通称「三部作」は、もっと外を向いていたんです。「これおもしろそう!」という衝動に素直に音楽を作っている自分たちがいて、だから聴く人にもシンプルに受け取ってもらえた。それがだんだん、同じことを言うにしてもテクニックを使ってちょっと違う方向から言ってみようとか、作品が少しわかりにくくなっていたかもしれない、と。

 ならば、次はもう一度原点に戻り、あのころのように衝動だけで音楽を作ってみよう。そんな気持ちでアルバム作りに取りかかったのです。

常田 難しい曲やちょっと入り組んだ曲もあります。でも、それはそれで「そういう風に作りたい」という最初の気持ちを大切にして作っていたな、と。曲はもちろん曲順も、初期衝動を素直に受け止めた作品になっていると、今改めて感じています。

今年、40代。スキマスイッチのこれから

――今年はお二人とも40歳を迎えます。スキマスイッチのこれからは?

大橋 40歳になるのは楽しみですね。ずっと「等身大の音楽」を追求してきましたが、年を重ねるごとにテーマや使える言葉の幅が広がって行く。25歳で感じたことをもう1回40歳になって考えてみたら、アンサーソングができるかもしれない。40代を迎えた自分たちがどんな曲を作っていけるのかはわからないけれど、純粋に楽しみだし、曲を作る楽しさみたいなものはどんどん増えてきているように感じます。

 シンタくんもそうだと思いますが、15周年はあまり意識していません。一生懸命走ってきたら15年経っていた、という感じ。これから先、自分が表現者としてどこまで続けられるかわからないけれど、音楽家として後悔しない人生を歩むために、そのとき、その瞬間を大事にしていきたい。そう思っています。

常田 40歳は「不惑」と言いますが、間違いなく惑います(笑)。でも、先輩たちはみんな「40代は楽しい」と言ってくれるし、小田和正さんなんて「50代も60代もまだまだ青いぞ」と。楽しみですね。それに、スキマスイッチは来年で結成20年、つまりまだ二十歳。人生にしてみたらまだそんなもの。遊びたい盛りです(笑)。僕らの40代、そしてスキマスイッチの20代を突き進み、聴いてくださる方々と一緒に楽しんでいけたら。卓弥も僕も、二人ともがアッと驚くような何かが待っていると信じて走り続けていきたいですね。
    ◇
スキマスイッチ
大橋卓弥(おおはし・たくや)、常田真太郎(ときた・しんたろう)のソングライター2人によるユニット。2003年、シングル「view」でメジャーデビュー。翌年にリリースした「奏(かなで)」がロングヒットを記録し、ブレイク。以後、「全力少年」「ガラナ」「ユリーカ」など、多くのヒット曲を生み出している。2018年、デビュー15周年を迎え、通算7枚目となるアルバム「新空間アルゴリズム」を3月14日にリリースした。
スキマスイッチ 公式サイト:http://www.office-augusta.com/sukimaswitch/

【ライブ情報】
4月から全国ツアー「SUKIMASWITCH TOUR 2018 “ALGOrhythm”」を開催。詳細はこちら

PROFILE

中津海麻子

執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

「最悪の出会い」だった2人が、バンド結成 スキマスイッチ(前編)

トップへ戻る

子どもとの時間を大切に 夫婦デュオ「ハンバート ハンバート」のある決断(前編)

RECOMMENDおすすめの記事

Recommended by Outbrain