鎌倉から、ものがたり。

空き家から生まれる“小さくて面白い商売”「みやがわベーグル」(後編)

>>「みやがわベーグル」(前編)から続く

 三浦半島の突端にある宮川港。ここは凪(なぎ)の日でも、訪れる人の姿をほとんど見ない、秘密の入り江だ。

 そんなひっそりとした場所に、「みやがわベーグル」ができたのは2016年5月。開店は土日のみで、時間は午前10時から午後3時まで。ベーグルが売り切れたら、その時点で終了。通常の商売とはまったく異なる運営だが、この店を中心に「働き方の改革」が静かにはじまっている。

 宮川港に近い油壷で生まれ育った蛭田奈奈さん(39)は、みやがわベーグルの準備期間からプロジェクトに参加し、現在まで店長として店を切り盛りしている。

 それまでは介護職に携わり、「人さまに出せる料理なんてしたことがなかった」と、彼女はいう。みやがわベーグルとの縁は、国道134号線沿いにあるパン屋「充麦」からはじまった。

 「充麦さんのパンが好きで、私もここで働きたいと思って、『パートの募集はありませんか?』と聞いたりしていたのですが、その時はスタッフは足りているとのことで。そうしたら、ある時、店主の蔭山充洋さんが『今度、ベーグル屋さんを開くけど、どう!?』と声をかけてくださったんです」

 開店は週末だけで、買い出しや仕込みなどの下準備は、自分の都合に合わせてフレキシブルに組める。12歳の男の子、9歳の女の子の母でもある蛭田さんにとって、夏休みのような子どもの長い休暇期間が、仕事を続けるネックになっていたが、「子ども連れで仕事をすればいい」という運営者たちのひと言で、心配がなくなった。

 平日、店で仕込みをしていると、前を通るのは猫と宅急便のクロネコだけ、というほど、宮川港の界隈(かいわい)はひなびている。

 しかし、潮の満ち引きで変わる海の眺めや、午前と午後でまるで違ってくる風など、ここは感性を刺激する要素に事欠かない。子どもたちも、そんな環境が気に入って、夏休みには店のテーブルで勉強するスタイルが自然と身に付いた。
 料理に縁がなかった、と謙遜する蛭田さんだが、蔭山さんから教えてもらったレシピを基本に、自分ならではの工夫を加えてベーグルサンドを作っていくことは、クリエイティブで楽しい作業だ。

 店をきっかけに、近隣の生産者とつながっていくことにも、新鮮なうれしさがある。
 みやがわベーグルのすぐ近くには、大玉すいかの生産で有名な「下里ファーム」があり、そこの息子さんである下里健城さん(27)は、オープンしたときに野菜をたくさん持ってきてくれた。下里ファームでは、昨年から農場を舞台に「エムタウンフェスティバル」という、アート、カルチャー、音楽と農業をミックスしたフェスイベントを開催。コミュニティが活性化している。

 「以前の私は、子どもたちが難病を持っていることで、どうしても気持ちがそこに集中しがちでした。そうなると視野が限られ、精神的にも孤立してしまいがちです。でも、店をまかされたことで、状況に変化が起きました。ここでみんなとつながり、自己表現ができるようになって、子どもたちも私も元気になれたんです」(蛭田さん)

 みやがわベーグルを運営する「宮川リゾート」の取締役、岩崎聖秀さん(41)は、近い将来に、店を経営権とともに蛭田さんに譲る予定だ。同店のように、空き家を借り上げて再生し、店長が経験を積んだタイミングで経営権を譲る、という地域事業の仕組みを、これからも三浦半島で続けていきたいと、岩崎さんは意欲的だ。

 「『ドメスティックスモールビジネス』と僕は勝手に名づけていますが、空き家を使って、小さくても面白い商売を立ち上げていくことは、だいいちに楽しい。大きいことはできなくても、それが地域の衰退を止める一助になると思うのです」
 地元育ちの岩崎さんの笑顔が、青い空に映える。

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www.josai.jp/lifelong/ex/culture/180401_5.html

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

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