東京の台所

番外編:<アイルランドの台所 1> 住まい、食。半自給自足の暮らしの起点は伝統音楽 (前編)

 今週から夏の番外編として、大平さんが以前から興味を持っていたという「アイルランドの台所」6軒をお送りします。といっても、台所はすべて日本から移住した方の台所。なぜ、アイルランドなのか? その答えを探しに、大平さんの旅をご一緒に。

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 アイルランドは海を挟んでイギリスの北西に位置する。首都ダブリンからロンドンまでは飛行機で1時間半。800年前のノルマン人による侵攻はもとより、長い間イングランドの侵攻・支配に苦しめられてきた歴史がある。1949年、イギリス連邦を脱退したが、北アイルランド6県は今も同連邦に帰属する。

 抑圧と抵抗の長い歴史の過程で、アイルランドは人、家、文化、多くのものが奪われてきた。食文化も例外ではなく、土地を奪われ、作物を搾取され、さらには数々の飢饉(ききん)を経て、“食べること”は生きる術でしかなかったのが何百年にもわたるこの国の現実である。だが、貧しい土地で、飢えをしのいできた過程でも、ソーダブレッドや、コルカノン(マッシュポテトにキャベツやケールを加えたもの)、チャンプ(マッシュポテトにネギなどを加えたもの)、ポテトケーキのように、質素でシンプルだが素材を生かしたいくつもの家庭料理が受け継がれている。
 アイルランド在住9年の日本人は語る。
「ソーダブレッドやじゃがいも料理はここ100~150年ほどのもので、都市化とともに手作りしない世代が大半になりましたが、レシピを大事に守っている家庭も残っています」

 たとえば、泥地が多く、土地が痩せており、ダブリンからも遠く辺鄙(へんぴ)なアイルランド西部のクレア県バレア高原近郊は、月面のような岩盤が続くので侵攻の度合いが少なかった。そのために言語や文化、素朴な生活様式が色濃く残されている。
 近年、アイルランドは、このような昔ながらの自給自足に近い暮らしやライフスタイル、価値観に共感する移住者が国内外から増加している。中でも東クレア地方は20~30年前から人気が高まっている。
 除草剤を使わないかわりに馬に草を食べさせ、馬ふんや生ゴミを堆肥(たいひ)にし、家族が食べる分の野菜や果樹は自分たちで育てる。昔ながらの循環を軸にした暮らしを普通にしている人がとりわけ多いという東クレアを中心に、6軒を訪ねた。全員が日本人。いわば、アイルランドのなかの東京の台所、なのである。

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〈住人プロフィール〉
主婦(日本人・40歳)
戸建て・4LDK・フィークル村(クレア県)
築年数10年・入居10年・夫(アイルランド人・ミュージシャン・58歳)、長女(12歳)、長男(10歳)との4人暮らし

音楽に導かれた先に出会いが

 音楽好きの父が、ある日2枚のCDを買ってきた。高校生の彼女は、一度で虜になった。
「フィドル(バイオリン)、バグパイプ、ハープ、アコーディオンや縦笛。とにかく楽器の音色が新鮮でした。きけばアイルランドという国に古来から伝わる伝統的な楽器で演奏する音楽だという。こんな音楽あるのか!と衝撃で、そこからどんどんアイルランド音楽にのめりこんでいきました」

 住人は、22年前の出会いを懐かしそうに振り返る。さっそくフィドルを習い始め、大学生になるとたびたびアイルランドを旅行した。沖縄で、地域ごとに伝わる民謡が異なるように、アイルランド音楽も、地域ごとに演奏スタイルが異なり、それぞれ独自に発展してきた。現在も多くの著名な音楽家が住み、連夜、パブで盛んに演奏されているクレア県のそれは、クレアスタイルと呼ばれ、人々に愛されている。

 クレア県フィークル村。農耕中心の伝統的な暮らしが残る人口120人余りの静かな村だが、毎年8月にフィークルフェスティバルという音楽の祭典が開催され、世界中からファンが集まる。アイルランド音楽で知られる地域で、彼女もまた、このフェスで夫との出会いを果たす。

「たまたま入ったパブで、フィドル奏者がセッションをしていたんです。彼のCDをとても好きで家でよく聴いていたので、あ、あの人だとすぐわかりました」

 遠距離恋愛を経て26歳で結婚。彼の住むフィークル村にやってきた。港区神谷町までバスと電車4本を乗り継ぐ東京の通勤生活から一転、窓から隣家は見えず、一番近くの街まで車で10分。ガソリンスタンドは1軒で、日本円に両替できる場所は皆無という村での暮らしが始まったのである。

つくる生活

「イギリスによる支配は、地理的に東部から徐々に広がりました。その結果、今でも西部へ行けば行くほど母国語のアイルランド語が話されている地域がより残っています。そういう地域は東部にも点在しますが、音楽、歌、ダンスといった伝統文化が色濃く残るのは西部の地域に多いようですね。とはいえ、アイルランド国内ではどこでも、人口の3割近くが病死と流出によって減ったといわれるじゃがいも飢饉でもわかるように、明日生きるか死ぬかの暮らしが続きました。そのような過程では、アイルランド音楽のような芸能文化の保存や伝統食の継承は、つねにあとまわしにされてきたのです」

 もったいない、という表情で彼女は語る。今は2児の母。アイルランドに渡り、14年が経つ。
 10年前、夫が家を建てた。基礎工事や電気配線は業者に頼んだが、床、階段、窓や開口部、塗装などの内装はすべて夫が1年半かけて作り上げた。

 背が高くスリムで、青い瞳の優しそうな彼に「『大草原の小さな家』のお父さんみたいですね」と言うと、「そう! 僕も子どもの時のあのテレビドラマを見ていたんだ。憧れていたよ」と、一気に顔がほころんだ。大自然の中で、家族の絆を軸に、衣食住を手作りしながら質素に暮らすあのドラマへの共感や憧憬は万国共通らしい。

 緑と空だけ。隣家の見えない、雑木林の一角に彼女の家はある。扉を開けると、数メートルはありそうな天井高の、開放感あふれるリビングダイニングが広がる。好きな色のタイルをはめ込んだオープンキッチンで、彼女は裏の畑で採れた野菜でサラダを作り、ブルーベリーやラズベリー、グースベリー(西洋すぐり)、ブラックカラント(黒すぐり)の実を摘んでジャムにする。趣味の養蜂は、一家で1年間買わずに毎日食べられる分だけのはちみつが採れる。飼っている鴨や鶏の卵を、毎日料理や菓子作りに使い、庭で摘んだたんぽぽの花びらの白ワイン、ブラックベリーの赤ワインを仕込む。賞味したら、まろやかで芳醇。ひどくおいしく、自家製ワインのイメージが一変した。
 アイルランドの伝統食、ソーダブレッドは夫の担当だ。バターもイーストも使わない。発酵不要のこのパンは、まとめて焼いておき、食事のたびに薄くスライスし、トースターでカリッと焼く。
 カメラの前で、彼はソーダブレッドを生地から練り、成形し、オーブンに入れ、あれよあれよというまに4つも焼き上げてみせた。パンを焼くってこんなに簡単だったろうかと、狐につままれた気分になった。

「こちらにいると、家も料理も、ワイン造りや糸紡ぎ、野菜づくりも、できるところまで自分でやるという発想が普通になる。自分たちで家を建ててみて、日本人はなぜもっとDIYをしないんだろうと考えました。きっと時間がないからですね。こちらと日本では、時間の流れ方がまるで違います」

 彼女の家に限らず、6軒でテレビがついているのは1軒のみだった。それも、取材中むずかる幼い子どもにやむを得ず30分程度ビデオを見せていただけだ。スマホを持っているが、ネットを見ている人はいない。電話で話すのがメインで、たまに翻訳を検索する程度の使用頻度だった。私が利用した民泊でも、村のパブでも、少し離れた街のスーパーやカフェでも、スマホを開いてなにかしている人を殆ど見かけなかった。それだけでも、時間の流れ方が違うと肌で感じる。
 冬が長く雨が多いこの国の人々は、空の様子や空気の湿り気に敏感で、それに合わせて行動をする。デジタルな情報より、感覚や経験値を頼りにしているように見えた。

「ビスケット、マヨネーズひとつもスーパーで簡単に買えます。でも、身の回りにある簡単な材料で作れるし、自分で作ったほうがずっとおいしい。これが体にいいから食べるとか、化学肥料は危険だからだめというように頭で考えるのではなく、こういう暮らしをしていると、自然にその中から大事なことが見えてくる。ネットで得た情報ではなく、暮らしから生まれた知恵のほうがずっと自分にとって重要になってきます」

 東京で4回電車を乗り継いで暮らしていた頃とは真逆な暮らしに、とまどいは最初からなかったのだろうか。

「音楽が好きでアイルランドに来たわけですが、それとは別に自分が好きだった英語、庭作り、料理といったことが、夫と出会い、アイルランドに暮らすと決めたとき、すべてひとつになった気がしました。1本の道筋が見えた感じ。今までの自分はここに来るためにいたんだなという直感のような感覚がありました」

 最初から今のような手作りの生活にこだわってはいなかった。だが、この国に通ううちに、気づいたのだろう。畑をしながら鶏を飼い、家を整え、料理をする。音楽と同じくらいそれらは全部自分の好きだったことで、ここで暮らしたらそれがひとつになる。それはなんて素敵なことだろうと。眠っていた遺伝子レベルの記憶が呼び覚まされた、といったら大げさだろうか。

「そして、パンを焼いたり、野菜を作ったり。それは日本の母もかつてやっていたこと。母は福島の農家出身で、野菜にとても詳しかったし、団地のベランダでも野菜を作っていました。自分のルーツはそこにある。自分の中では全部つながっていると思いました」

 オーブンで、アツアツのソーダブレッドが焼き上がった。
「さて、ランチにしましょうか」
 彼女は大きなボールを抱え、長靴を履き、リビングの戸口から裏庭に出ていった。サラダに使うグリーンリーフ、ネギ、ハーブを採りにいくためだ。彼女の料理は、食材を採りに行くところから始まる。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/
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<170>スコーンを焼いたある朝の出来事

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