花のない花屋

認知症で変わっていく父。それでも変わらなかった母への愛情

認知症で変わっていく父。それでも変わらなかった母への愛情

〈依頼人プロフィール〉
伊東千聡さん(仮名) 48歳 女性
東京都在住
会社員

父は昭和ひとケタ生まれの戦中世代。もの静かで優しく博識で、庭の手入れや野菜作りを楽しんでいただけでなく、私たちが小さい頃は庭にブランコを造ってくれたりと、日曜大工も得意でした。モノがない時代の人ですから、子どもたちへの贈り物はいつも手作りや会社からのもらいものばかりでした。

そんな家族思いの父を襲ったのが、認知症でした。父の場合は症状が“まだら”に、出るときと出ないときがあるので、戻ったときの落ち込みがいっそう深かったように思います。

昔は辞書を作る仕事をしていてなんでも自分でできる人だったので、なおさらくやしさもあったのでしょう……。父は薄れていく記憶と、見失いそうな自分自身と必死に闘い続けていました。

突然電話がきて、「助けてくれ」「死にたい」「殺してくれ」などと、今にも消えそうな声で私に泣いて訴えるときもありました。元気だった頃の父からは想像できない姿で、私もどうしようもできず、二人で泣いたことは今も忘れられません。

ただ、変わっていく父の中で唯一変わらなかったことは、母に対する愛情でした。昔からまるで“王子様”のように母のやりたいことを率先してやり、母がでかけるときは、いつも父が車や電車で送ってあげていました。認知症を発症してからも、母が出かけるときは心配になったようで、父は一人では車も電車も乗れなくなっていたのに、母を迎えに遠い道のりを歩いて行き、母を驚かせたこともあります。また、症状が進行していた頃は、母を追いかけて駅に行ったつもりが、途中で迷子になり、警察のお世話になったこともありました。

認知症がわかったとき、母と私は、認知症に負けず楽しく過ごしていこう!と誓い合いましたが、やはり現実は大変な毎日でした。そして介護に疲れ果てていた2016年2月……。たまたま実家に子どもと孫が集まっていたとき、ソファに座っていた父の意識が突然なくなりました。母と私で抱きかかえて布団につれていきましたが、すでに脈も息もなく……。私は泣きながら心臓マッサージをしましたが、意識は戻らず、最期は母と私の腕の中で逝きました。

父は母に贈り物をしたことはなく、ましてや「ありがとう」や「愛している」なんて言葉をかけたこともなかったと思います。でも、誰よりも母を大事に思っていたはずです。そこで、天国の父から母へ“ラブレター代わり”の花束を作っていただけないでしょうか。

母が好きな紫、父が好きな緑、私が好きな青の3色を使ってアレンジしてもらえるとうれしいです。

認知症で変わっていく父。それでも変わらなかった母への愛情

花束を作った東さんのコメント

認知症は、ご本人もさることながら、まわりの家族もとても大変な病気ですよね。

今回は天国のお父さんからお母さんへの“ラブレター代わりの花束”とのことで、ご希望の紫、緑、青でアレンジしました。

紫は小花がたくさん集まったユウギリソウ、ポンポン咲きのダリアなど。緑はアゲラタム、青はブルースターやデルフィニウム、アガパンサスなどです。リーフワークはあえて使わず、薄紫色のエリンジウムを挿しました。中心には多肉植物を加えています。こちらはお花が終わっても育てることができます。

夏らしい涼やかな色合いですが、ふんわりとしたやさしさも感じられるアレンジです。お父様は「王子様のようだった」というくだりが印象的だったので、品のよさを意識しました。

香りは記憶に強くリンクしているといわれています。また、花は朽ちてなくなっていくからこそ、見た人の記憶に残っていくもの。この花束とともに、お父様との楽しい思い出がよみがえりますように……。

認知症で変わっていく父。それでも変わらなかった母への愛情

認知症で変わっていく父。それでも変わらなかった母への愛情

認知症で変わっていく父。それでも変わらなかった母への愛情

認知症で変わっていく父。それでも変わらなかった母への愛情

(写真・椎木俊介/ライター・宇佐美里圭)

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フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

1976年生まれ。
2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
作品集に「ピエール・エルメ サティーヌ」「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERSII 植物図鑑」(ともに青幻舎)など。

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