東京の台所

<アイルランドの台所 4>共同体での暮らしを経て気づいた、自分の“ニーズ”の探求

〈住人プロフィール〉
ケアワーカー(日本人・男性・49歳)
賃貸テラスハウス・1LDK・マウントシャノン村(クレア県)
築年数約10年・入居1カ月・ひとり暮らし

    ◇

共同体での暮らし

 今回の取材で人選を相談した読者から、こんなメールをもらった。

「アイルランドの地元の方々に、とても愛されている日本人男性がいらっしゃいます。阪神大震災直後に日本を出られたそうです。その後、イスラエルやイギリスを経由して、22年前にアイルランドへ。長いことキャンプヒルという共同コミュニティーで働かれていましたが、2年程前にそこを出られて、現在は福祉の勉学中です。風貌(ふうぼう)や人柄から実はダライ・ラマと呼ばれていて(ご本人はご存じかどうかは不明)、とても人望の厚い方です。数年前、彼がビザの更新を忘れて、ビザを失ったときに周りの方々が、推薦書のようなものを移民局に提出されました。相当な数の推薦書が集まったときいています」

 ビザの推薦書の話を聞くと、住人の彼は「あれは、すごく持ち上げて書いてもらったみたいで困ってしまったのですが、でもやはり、皆さんの気持ちがとてもありがたかったです」と、恐縮した表情で述懐した。
中肉中背、やわらかな物腰で、初対面にも臆さず、よどみなくしゃべる。20年間、アイルランドのキャンプヒルというコミュニティーで共同生活をしてきたときいて、合点がいった。

 キャンプヒルは、哲学者であり教育者でもあるルドルフ・シュタイナーの理論に基づいた障害者を含む社会活動で、21カ国で行われている。これは障害者と健常者の共同生活体で、後者は世界各国から集まる。短期もいれば、彼のような永住者、家族で暮らす人もいて、基本的には無給だ。アイルランドやイギリスでは、国から援助金が出ており、住居や生活にまつわる経費はかからず、趣味や遊び、大きな買い物は申告制で、休暇も3週間ある。

 彼は、最近シェアハウスを出る手続きをして、アパートを借りたばかりだ。荷物を少しずつ運び込んでいる最中である。アイルランドに来て初めてのひとり暮らしとなる台所で、取材の日は、バジルソースとチーズをのせたマッシュポテト、ナスとパプリカの香ばしいピザを焼いて出迎えてくれた。

「まだこの台所であまり料理を作ってなくて、一人で食べるのに慣れません。みんなで作って食べたほうが、やっぱりおいしいですね。料理はキャンプヒルでも大事なワークショップの一つで、畑から採れたものやオーガニックの食材を使えるという恵まれた環境にいました。なので、料理は苦痛ではありません」

 話しながら、ミントとエルダーフラワーをシロップに漬け込んだコーディアルジュースというハーブドリンクを注ぐ。これもキャンプヒルの手作りだ。

「キャンプヒルでは料理、ベーカリー、畑、酪農、工芸など、さまざまなものづくりをみんなでします。それらの創造的な作業には、治癒的な効果もありますし、なによりライフスタイルをみんなで共有する喜びがあります。料理は、たとえば粉と水さえあれば、そこに“場”ができ、お好み焼きやピザ、パンなどみんなでとりくめます。焼く人、こねる人、それぞれ役割があり、ピザならピザ窯から、木を乾燥させるところから作るのは楽しいものです」

 粉は人をつなげる。おもしろいですよねとキャンプヒルの話が止まらない。では、なぜ辞めたのか──。一言で言うと、オーバーワークだった。コミュニティーの中枢で働くことで、次第に自分が見えなくなっていった。

「体調を崩したのが4年前。鬱(うつ)とわかったのはその翌年です。この病気を調べていくと、気持ちの問題だろうと偏見を持っていたのですが、身体の病気だとわかった。そこから、自分の人生や働き方を見直すようになった。あたりまえのことですが、健康って、失ってから、ありがたみが分かりますね」

がんばることを辞めたはずが……

 バブルの頃、大阪で情報処理の仕事をしていた。マイクロソフト社のウィンドウズ95が出た頃で、連日終電で、週末も休みがない。給料は高いのに、使う暇がない。家に寝に帰るだけの生活に疑問を感じていた。

 27歳。半年ほど海外でゆっくりしようと、会社をやめてイギリスに旅立つ。そこで、イギリスのボランティアをまとめた本を偶然見つけた。その中に書かれていたシュタイナーの哲学に基づいて作られたキャンプヒルに興味を持ち、応募。6カ月の予定で、木工工房で木のおもちゃを作る作業にかかわる。

「重度の障害者でも友人同士で近くの村まで買い物に出かけたり、障害者の方達が本当にお互いを支え合っていました。なにより、自分の手でものを一から作り上げる過程が新鮮でした。日本では全く経験したことがない。そもそもものづくりなんて、学校の工作ぐらいしかしてませんでしたから。そこでものづくりの持つ癒やす力に魅せられ、半年延長。イギリスのキャンプヒルを経て、アイルランドのキャンプヒルで働くようになりました」
 滞在を延長しながら、次第にキャンプヒルでの仕事が、自分のライフスタイルの一部になっていることに気づく。
「大地で働き、自然の恵みを生かしながら暮らす。日々の規則正しい生活リズム、四季の移ろいの中にあるリズムやフェスティバル、人々の誕生日などを祝う1年のリズム。つねに新しいことを学ぶ機会があり、そうした生活がいつの間にやら自分のライフスタイルとして取り込まれていきました。シフトのない仕事で一日中働いているわけだけれど、自然に囲まれた場所でゆったりとした時間もあり、必要なことを行う。それは障害者のケアや、ときに指導でもあるんですが、自分の生活に必要な作業でもあるのです」

 1日何時間働き、時給、月給で換算されるわけではない。日本で働いていた頃とは180度異なる価値観のなかで、自らの仕事と生活のバランスが程よく整っていくのを実感した。
「衣食住は人間の基本、生活の原点です。それを基盤にしたライフシェアリングコミュニティー、という発想が新鮮でした。自分たちの畑で取れたものをジャムやジュースにして、育てた牛のミルクを飲んだり、かごを編んだり。一から作る創造の無限の力を体感。情報処理の仕事は誰にもできるけれど、ものづくりは一つずつが世界で一つ。達成感が違いました」

 しかし、歳月を重ねるにつれ、責任ある立場になり、キャンプヒルにまつわる法改正も伴って、経理などの事務仕事が増えていった。動物の世話や工房、畑、障害者とのワークショップにさく時間が減り、新規参加者の教育や会議、送迎に追われる。

「まるで大道芸の皿回し状態でした。あっちもこっちも皿を回して、あれ? 自分はなんでこれをやってるんだろうって、最後にはわからなくなっちゃって……。心と体の自分の変化に対応できてなかったんです」

 今は、ケアワークの資格を取得するため学校に通っている。キャンプヒルの経験をもとに、コミュニティーケアについての知識をさらに深めたいからだ。

 がんばりすぎたからですかと、型通りの質問をした。彼は首を横に振る。
「いいえ。がんばるのは日本を出た時からもう辞めていました。日本の文化は、“がんばって”を強いるところがありますから。自分の感情を抑圧して、がんばりすぎても、何も生まれない。それはわかっていた。キャンプヒルでは、自分をいたわることを十分にしていなかったのです。長い間、自分のための時間を十分に取ることを主張しきれていなかった。その時にはまだ、うつについての知識もなかったし、体調が悪い以外に何が起こっているのかも分からなかったです」

 体調を崩したことで、“自分のニーズはなんなんだ?”という新しい視点をもつようになった。
「今、時間があれば何をしたいか? 少し先の夢じゃなくて、本当に今やりたいことは? そうしたことを自分の生活の一部にする時間を損なってしまったようです。がんばって働いていたわけではないけれど、結局、同じような結果に。本来癒やしを提供する場所にいながら、これではいけないと思いました」

 彼は今、相手とつながりを持ちながら、お互いの思いが満たされるまで話し合い、助け合う、共感に基づいた相互コミュニケーションの方法を学んでいる。

「社会の中で自分の感情を抑えて、周りの期待に合わせて過ごしていると、本来の自分のニーズを認識したり、表しづらくなります。たとえば、男の子は泣かない、女の子は女らしく、主婦は良き妻であり、良き母親であるべきという期待に沿っていると、我慢を強いられる。これは、戦場に送られた兵士なんだから恐れるな、国や家族のために死んでこいと言われ続ける文化にもつながります。自分のニーズを表現する方法や必要性は、教育現場や社会では教えてくれませんから、ひずみや憎悪、イライラによる行き違いが起きる。
僕はニーズを基にした癒やしを与える場のコミュニティーに長く住んでいましたが、ひとつ屋根の下で暮らすと、やっぱりときには角も立つわけです。一緒に働いているとなおさらです。相手は簡単に変えられないけれど、まずは自分のニーズを知ることから始めるのが大事だと気づきました。それを認めあったら、お互いにもっと支え合って前に進めるなと」

 誰でも、たくさんの役割を持って生きている。アイルランドだから楽に生きられるわけでも、日本だから苦しいわけでもない。また、キャンプヒルという特殊な場だけでなく、人間づきあい、仕事、家族、夫婦、どんな関係にも、だれにとっても有効な気持ちのありようではないだろうか。

 役割をどう捉え、自分のニーズとして見極められるか。ノーと言うべきときには言い、全力で走っている人には、「がんばれ」ではなく「がんばったね。大変だったね」と、心で寄り添う。

 ガランとした台所で最初に焼いたピザやマッシュポテトを次々と平らげながら、彼の人生のリスタートに一瞬居合わせた自分を幸運に思った。彼が経験した日々から学んだ大事なことをおすそわけしてもらった気持ちになったからだ。

 帰国後、彼から、「恐れ多くてちょっとあれは……」という困惑したメールが届いた。「ダライ・ラマ」のくだりだった。そう、たしかに。でも、彼の真摯(しんし)な思慮深さを思うと、なんだか削除したくないので、こっそりこのままにしておこう。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/

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