東京ではたらく

建築士:大内久美子さん(40歳)

  

職業:建築士
勤務地:関東各所
仕事歴:14年(独立後2年)
勤務時間:不規則
休日:不規則

この仕事の面白いところ:家族に密着し、暮らしのベースとなる場所を一緒に考えて作れる
この仕事の大変なところ:体力仕事が多いこと

    ◇

2年前に設計事務所を立ち上げ、主にリノベーション住宅の設計を請け負っています。近年「リノベーション」という言葉は急速に浸透してきましたが、その内容は既存の建物に大規模な工事を行うことで性能を向上させたり、ライフスタイルに合った間取りに変更してより暮らしやすい住空間を作るというもの。

似たような言葉に「リフォーム」がありますが、こちらは老朽化した住宅に手を入れて原状回復する作業。リフォームがマイナスの状態からゼロに戻すものだとしたら、リノベーションはそこにさらに新しい価値を与えていけるものなのかなと思っています。

建築士を志したのは美術系の短期大学に通っていた頃です。といっても建築士を目指して美術系の短期大学に入ったわけではなくて。美大を目指したのは、いわゆるお勉強より手を動かしてものを作る方が面白そうと思ったから。物心ついた時から絵を描くのも好きでしたね。

専攻は空間デザインで、建築とはまた違った分野でしたが、担当教員の中に建築士の方が何人かいらっしゃって。その先生方のお話を聞くうちに建築の世界に興味を持つようになりました。

現在工事中の築40年越えのマンション。現場に何度も足を運び、職人さんと細かい部分を確認しながら作業を進める。「お客様はもちろん、現場の方々とのコミュニケーションは何より大切。住宅の工事はやり直しがきかないことが多いので」


現在工事中の築40年越えのマンション。現場に何度も足を運び、職人さんと細かい部分を確認しながら作業を進める。「お客様はもちろん、現場の方々とのコミュニケーションは何より大切。住宅の工事はやり直しがきかないことが多いので」

転機となったのは大学2年生の頃。世界の名建築家の作品を見てみたくて、アルバイトでためた50万円を持って世界中の建築をめぐるバックパック旅に出ることにしたんです。今考えたら50万円でどうやって移動したんだろうと不思議なのですが、ドイツからヨーロッパ、地中海、北欧と11カ国くらい回ったと思います。

ちょうどその頃、姉がアメリカに留学していまして、旅の最後に姉が暮らすサンフランシスコ近郊の町に立ち寄りました。「帰国したら就職活動が待っているな……」。そう思ったらなんだか帰りたくなくなってしまって(笑)。これはもう若さのなせる技としか言いようがないのですが、現地の建築専門大学を探して、飛び込みで面接を受けにいったんです。

結果はもちろん不合格。英語なんて全くしゃべれませんから当然です。「まずは英語をしっかり勉強してからまた来なさい」と、面接官にたしなめられました。それでも帰国する気にはならず、語学学校に通って猛勉強。その後、なんとか編入という形で入学を許されました。

クライアントとの打ち合わせは何十回にものぼる。間取り、床や壁の材質、キッチンの位置や設備など、打ち合わせのたびに図面をアップデートし、全ての記録を保管する。「打ち合わせの内容はお客様にもメールなどで共有します。一歩一歩ですね(笑)」


クライアントとの打ち合わせは何十回にものぼる。間取り、床や壁の材質、キッチンの位置や設備など、打ち合わせのたびに図面をアップデートし、全ての記録を保管する。「打ち合わせの内容はお客様にもメールなどで共有します。一歩一歩ですね(笑)」

アメリカの大学は「入るのは簡単、出るのは難しい」とよく言われますが、まさにその通りで、入学したのはいいものの、授業についていくのはとても大変でした。そんな中でも卒業し、アメリカ大手のゼネコン会社に就職できたのは本当に幸運でした。

会社に入って一番苦労したのは仕事そのものというより、アメリカならではの仕事のルールを覚えることでした。日本でも独自のビジネスルールがありますが、そういうものはほとんどが暗黙の了解ですよね。異なる文化圏で育った私にとってはなかなか理解できなくて、失敗もたくさんしました。

仕事面では担当する建築の規模の大きさに驚きましたね。その会社では個人住宅などは請け負わず、設計するのはもっぱら大型商業施設や学校など。私はある学校の研究棟を作るチームに配属されたのですが、建物が大きい分、仕事が非常に細分化されているんです。
例えば私はれんがを使った部分だけを担当していたのですが、それ以外の部分が今どういう状況になっているのかは全くわからないんです。建物を作っているという実感が湧きづらくて、徐々に自分の仕事に疑問を持つようになりました。

オフィスは自宅のリビングと寝室をつなぐ廊下に作ったワークスペース。「我が家も古くて小さな家なのですが、デッドスペースを有効活用すれば快適に暮らせます。そういうのもリノベーションの面白いところですね」


オフィスは自宅のリビングと寝室をつなぐ廊下に作ったワークスペース。「我が家も古くて小さな家なのですが、デッドスペースを有効活用すれば快適に暮らせます。そういうのもリノベーションの面白いところですね」

日本への帰国を決めたのは30歳目前の頃でした。仕事に対するモヤモヤもありましたが、一番は家族のそばにいたいと思ったからかもしれません。あとはやっぱり自分の生まれ育った文化の中で仕事をしていきたいという気持ちもありました。

ところが、帰国後に直面したのがまたしても文化の壁。アメリカの会社に入ったときと同様、今度は日本独自のビジネスルールがわからないんです。あいさつの仕方とか、会食の席での振る舞い方、「上座」とか「下座」とか、日本には独特のマナーがありますから、それには戸惑いましたね(笑)。「ここはアメリカじゃないんだぞ!」と、何度上司から叱られたかわかりません。

それでも3年ほど働くと日本で働くことにも慣れてきて、ようやく自分がどんなスタンスで建築をやっていきたいかを考える余裕が出てきました。そこで思い出したのが、アメリカのゼネコン勤務時に覚えたあの違和感。「もっと人や建物に密着して設計したいという気持ちをかなえるにはどうしたらいいか?」。その答えとして、地元である神奈川県の小さな工務店に移ることに決めたのでした。

家族ごとの理想の家、オーダーメイドでかなえたい

自宅のキッチン。冷蔵庫や電子レンジなど生活感が出るものはリビングから見えない左奥のスペースに収納できるように設計した。「大きな家電や食器棚をできるだけ見えないようにすると、家がぐっと広く感じるんです」


自宅のキッチン。冷蔵庫や電子レンジなど生活感が出るものはリビングから見えない左奥のスペースに収納できるように設計した。「大きな家電や食器棚をできるだけ見えないようにすると、家がぐっと広く感じるんです」

そこは社員数が20人ほどの小さな工務店で、地元に密着して注文住宅を作っている会社でした。設計士が3人しかいなかったので、とにかく忙しかったですね。それでもお客さんと相談して一から家を作るのは楽しかったですし、やりがいもありました。

リノベーションという発想に興味を持ったのはその頃です。ある時、会社で土地を買って、そこに建売住宅を作るというプロジェクトが始まったんです。まずはその土地がどんなふうか見てこいと言われて現地に行ったのですが、そこにはものすごく大きな松の木が3本立っていて。

家を建てるには確かに邪魔なんですけど、あまりに立派な木だったので、上司に「どうしましょうか?」と相談してみたんですね。そうしたら「もちろん切るよ」とけんもほろろに言われてしまって。正直、「え、そんな簡単に切っちゃうの?」と思いました。

「今あるものの中にも、いいもの、残す価値があるものはたくさんあるのに……」。その時感じた強い気持ちがリノベーションという家づくりに向かう出発点になったんじゃないかなと今は思います。そのくらい衝撃とか違和感を覚えたんでしょうね。

とはいえ当時は「リノベーション」なんていう言葉は、まだまだ浸透していなくて。どうしたら自分が理想とする家づくりができるのか、はっきりとしたビジョンは持てずにいました。

設計中の住宅に使うカーペットやタイルなども、クライアントの好みを考慮しつつ選んでいく。「お任せで、という方も多いですが、それでも実物をお見せして何度も打ち合わせします。私の好みが必ずしも正解というわけではないので」


設計中の住宅に使うカーペットやタイルなども、クライアントの好みを考慮しつつ選んでいく。「お任せで、という方も多いですが、それでも実物をお見せして何度も打ち合わせします。私の好みが必ずしも正解というわけではないので」

その頃はちょうど日本の一級建築士の資格を取るために試験を受けていた最中だったのですが、仕事をしながらだとなかなか受からないし、いい機会だから一度仕事を離れてみようと。こういうところはスッパリしているんですよね、私(笑)。

それで資格を取得して「さあ、いよいよ自分の理想をかなえるぞ」と意気込んでいたわけですけれど、なんとそこで電池切れというか、それまで走ってきた疲れがどっと出てしまって。以前のようにバリバリ会社で働くということが心身共に難しいなと思うようになってしまったんです。

それでも仕事はしたくて、派遣という形で設計会社に入ったのですが、幸運なことにここで偶然、リノベーション住宅の担当になったんです。以前から何となくいいなと思っていた分野ということもあって、疲れも忘れて猛烈に働きました。

もともと腰掛けのつもりだったはずが気づけば5年も経っていました。かなり速いペースで設計をしていたので仕事は大変でしたが、その間に本当にたくさんのリノベーションを担当させていただきました。その経験が今の自分のベースを作ってくれたのだと思います。

独立への後押しとなったのは、会社でリノベーションを担当する中で感じたある思いでした。それは「もっと発注側のご家族に時間をかけて寄り添いたい」という気持ち。

もちろん会社で請け負っていた時も、できるだけ綿密に打ち合わせをしたり、相談に乗ったりはしていたのですが、やっぱり会社が定めた計画や納期がありますので、そうはいきません。

工事中の現場で図面と実際の様子を付き合わせて進捗(ちょく)を確認。各部屋の照明用スイッチの位置やエアコンダクトの配置など、細かい部分もチェックしていく


工事中の現場で図面と実際の様子を付き合わせて進捗(しんちょく)を確認。各部屋の照明用スイッチの位置やエアコンダクトの配置など、細かい部分もチェックしていく

「大内さん、もっと早く進めて」と上司から言われることも多くて、その部分を思い通りにやるには、もう個人でやるしかないのかなと思うようになりました。それで2年前に独立。一人で建築事務所を立ち上げることにしました。

独立して大きく変わったのは自分のライフスタイルです。会社員時代はとにかく忙しくて、帰宅するのは毎日深夜。食事もできあいのものばかりで、炊飯器を使うのなんて年に一度くらい(笑)。でもお客様と密接に関わって設計をするうちに気づいたことがあって。
例えばキッチンの間取りや設備について相談する時、「こんな風にしたらどうですか? 使いやすいですよ」なんてご提案するのですが、当の自分はキッチンなんてろくに使っていないんです。

それでも一応プロですから、たくさん本を読んだり、これまでの経験から想像したりして、それなりのご提案はできてしまうんですよね。「でも、それってどうなの?」と(笑)。

その違和感を身にしみて感じたエピソードが実はありまして。私は自宅を自分でリノベーションしたのですが、その時、デザイン的にも機能的にもいいと思ったキッチン設備を入れたんですね。ところが数カ月使ってみると、「あれ?」と思う点が出てきたんです。

例えばシンク下にある大きな引き戸。スペースを有効に使えるというもくろみで、床ギリギリまで底があるタイプにしたのですが、それだと料理中に引き戸を開けたとき、底の部分がつま先にあたって痛いし、そもそもスムーズに引き出せないんです。

小柄できゃしゃな大内さん。「女性の建築士はまだまだ少なくて。現場の職人さんから気を使われることも多いです。心がけているのはとにかく大きな声であいさつして、ハキハキ話すこと。あとは体力仕事ですから健康第一ですね」


小柄できゃしゃな大内さん。「女性の建築士はまだまだ少なくて。現場の職人さんから気を使われることも多いです。心がけているのはとにかく大きな声であいさつして、ハキハキ話すこと。あとは体力仕事ですから健康第一ですね」

多くのメーカーさんはそれを考慮して、引き戸の底がすね部分に来るように設計しているのですが、普段料理をしない私はその部分まで考えが及ばなかったんですね。

家は人が生活する場所です。生活と一口に行っても、何を大切にするかは人それぞれ。「食べること」「寝ること」「リラックスすること」、色々ありますよね。

私の仕事はそうした場所を作ることですから、まずは自分がそうした暮らし、その心地よさを実感しないといけないんだ。そう強く感じてからは、できるだけ自宅で仕事をしつつ、その間に食事を作ったり、掃除をしたり、愛猫と遊んだり、できるだけ「生活」をするよう、心がけるようになりました。

生活と仕事をはっきりと区切らない暮らしはとても気に入っています。食生活も生活リズムも整いますし、何よりうれしいのはお客様に実感をもってお話やご提案をできるようになったこと。「家族に寄り添った家づくりをしたい」という思いを、ようやく形にでき始めたのかなと思っています。

仕事上の一番の喜びは、やっぱり家が完成して、ご家族に引き渡す瞬間です。歓声をあげてくださる方もいて、その姿を見るとそれまでの苦労は吹き飛んでしまいますね。

設計士というのは意外と泥臭い仕事でして(笑)、図面を引いたりする以外に、床下に潜り込んで配管をチェックしたり、工事中の物件に夜中に入って、防虫剤をまいたりと、つらい仕事もたくさんあります。引き渡しはそんな苦労が報われる瞬間ですから、何度立ち会っても感極まってしまいます。

◎仕事の必需品 「建築士の三種の神器。丈夫で折れない巻き尺(左)と、縮尺図面の読み取りに使う三面スケール(右)、赤外線で距離を測れるレーザー距離計(中)。リノベーションの出発点はまず住宅のあらゆる面を計測することなので(笑)


◎仕事の必需品 「建築士の三種の神器。丈夫で折れない巻き尺(左)と、縮尺図面の読み取りに使う三面スケール(右)、赤外線で距離を測れるレーザー距離計(中)。リノベーションの出発点はまず住宅のあらゆる面を計測することなので(笑)

先日は以前担当させていただいたご家族からお手紙をいただいて、「娘が小学校に上がりました」と。そんな時には、自分が作ったものがこの先ずっと誰かの暮らしのベースになるんだなと改めて実感します。同時にその責任も感じますね。

今後の目標ですか? まだ独立して2年のひよっこですから、課題は山積みです。これまで大切にしてきた「ご家族に寄り添った家づくり」という理想はずっと変えずにいたいですが、とはいえ仕事なので、設計のペースや効率というのはやっぱり重要だなと最近は感じています。理想と効率。このバランスが一番難しいわけですが、その辺りは時間をかけて、自分なりのやり方を見つけていけたらと思っています。

リノベーションはこれからさらに注目を浴びてくる分野だと思います。こと土地の少ない東京では、今ある住宅をいかに有効活用していくかが都市としても大きな課題になってくると思います。

そんな中でもそれぞれのご家族が心地よく、自分らしい生活を送れるような家づくりのお手伝いをできる存在でありたい。私にとって東京は、リノベーションという可能性を最大限に引き出せる場所。可能性に満ちた街なんです。

https://www.small-design-studio.com/

PROFILE

  • 小林百合子

    編集者
    1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人から成る山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)など。

  • 野川かさね(写真)

    写真家
    1977年神奈川県生まれ。山や自然の写真を中心に作品を発表する。クリエイティブユニット〈kvina〉、自然・アウトドアをテーマにした出版・イベントユニット〈noyama〉の一員としても活動する。作品集に『Above Below』(Gottlund Verlag)『with THE MOUNTAIN』(wood/water records)、著書に『山と写真』(実業之日本社)など。

ヨガインストラクター:河野紗世さん(32歳)

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ワインバー店主:鏑木道子さん(45歳)

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