東京の台所

<アイルランドの台所 6>退職翌日、出国。しょうゆ減らぬ日々が一変

〈住人プロフィール〉
主婦(日本人・女性・39歳)
賃貸戸建て・2DK+工房・フィークル村(クレア県)
築年数62年・入居8年・夫(イタリア人38歳・農業コンサルタント)、長女(6歳)、長男(4歳)、次女(2歳)の5人暮らし

夫が倒れた!

 その家は、夕方、家畜の馬が群れをなしてのそのそと道路の真ん中を歩く、フィークル村のはずれにぽつんとある。
 外観を見たとき、幼い頃、絵本で読んだグリム童話『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の家を思い出した。
 森の奥の小さな一軒家。クッキーでできた三角屋根にチョコレートの煙突がちょこんとのる。まさにそんなかわいらしい平屋だった。

 8年前に植えたクレマチスとバラが、家の前になだらかなアーチを作っている。緑の門をくぐると、青色の扉に石の屋根、赤い窓枠。その窓の向こうで住人の彼女が、料理をしながら笑っていた。台所が、窓に面しているのだ。

 隣には夫が建てたビニールハウスがあり、のぞくと多様なハーブ、ズッキーニ、トマト、サラダ菜、ケール、いちご、ホウレン草、春菊、さやえんどう、きゅうり、ぶどうがひしめき合うように育っている。

「雨が多く、冬は長いので、自家用のビニールハウスは必需品です。雨の日は子どもたちの遊び場になりますし、冬でも暖かい。こちらでは“ポリトンネル”というのですが、趣味の範疇(はんちゅう)ではなく、年間を通じて家族の食を支えるとても大事な存在です」と、彼女は語る。

 6歳、4歳、2歳の子どもたちは、家の周りでベリー摘みや木登り、父が結わえたりんごの木のブランコで遊んでは、にぎやかな歓声を上げている。
 のびのびと幸せな環境がうらやましくなるが、ひと気がないだけに、親の目の届かないところにいかぬよう、気を配る。「分別もついてきたので野放しに近い」と本人は言うが、傍らで見ているとなにげなく、つねに目を配っているのがわかる。2歳違いの幼い子が3人ともなると、じつは大自然の中は都会の公園で遊ばせるのとは違った大変さがあるように思えた。

 ただし、昼間十分に外で遊んだ子どもたちは、夕食後、パタリと寝てしまう。いい塩梅(あんばい)に体が疲れていて、眠りが深い。食欲も旺盛だ。
 彼女は言う。
「近所の酪農家にやぎのミルクを買いに行ったり、ジャムや手作りせっけんなど物々交換でおかずをもらったり。野菜も種や苗の交換をして育てているので、子どもたちは食べ物の背景をなんとなく知っています。だからいっそう親しみを感じているのか、本当によく食べますね。ほとんど残しません」
 太陽に合わせた生活リズム、出どころを知っている食材で作る料理は、子どもが子どもらしく健やかに育つのに、大事な要素であるのは間違いない。

 食事は手作りが基本で、できる限り自給自足を試みている。野菜は有機で育て、養蜂ではちみつを採取。みつろうから、せっけんやクリームを作る。また、ケフィア菌から作った炭酸ドリンクは長女と次女の大好物だ。パンやピザ、ケーキ、ディップやドレッシングはもちろん、豆腐や豆乳も作る。彼女の話を聞いていると、作れないものはないのでは? と思ってしまうほど。
「なくても諦めない。とりあえず作ってみようという食欲が勝っているだけです」

 牧歌的な暮らしではあるが、手作りライフは忙しいし、田畑は待ってくれない。4日間傍らで取材をするなかで、彼女がソファにゆっくり腰掛けている姿を一度も目にしなかった。いつもなにかしら動いている。
よく立ち働きますねと言うと、今より2年前のほうがもっと大変でした、と彼女は言う。

「NPO職員をしていたイタリア人の夫は仕事に没頭するタイプ。その分、家事や育児は結構気まぐれなんです。ところが私が妊娠中に体調を崩し入院、彼が育児まで一手に引き受けたため、過労とストレスで倒れてしまいまして。あ、かつての私と一緒だと思いました。私も日本で頑張りすぎて体を壊した経験があるのです」
 自らの経験をもとに、彼の健康を取り戻すため、彼女は以前にもまして食生活にこだわるようになった。

自然観察好きな少女の多忙な日々

 神奈川県出身。父は長期の海外出張が多く、夏休みはイギリスやアメリカで過ごしたことも。虫や草花の観察が好きで、学生時代は産廃処理計画反対のための生態系の調査を手伝ったり、フィールドワークに興味を持った。卒業後は環境コンサルタント会社を経て、1年間イギリスへ。念願のナショナルトラストの活動を手伝う。

「描いていた憧れと異なる部分もなくはないですが、市民運動のすごさを知った。欧米では、行政と企業とNPOの3本立てで、世の中を動かしている。日本はNPOの力がまだ小さいんですね。NPOだとものが言えるイギリスとの圧倒的な違いを感じました」

 帰国後、市民運動の中間支援組織に従事。外国人やDV被害者などシェルター的役割を担う集合住宅に自らも移り住んだ。1階はNPOの事務所、2階が住居のビルである。
どんどん仕事にのめり込み、生活との境界線があいまいになってゆく。充実はしているものの、仕事を完ぺきにできない自分自身に対してつねにフラストレーションを感じていた。

「気づいたら生理が8年なかった。そのほうが楽だと思うくらい仕事が忙しかった。そして29歳のある日、失神しかけたのです。ちょうどそのころ、飲み物がうまく飲み込めず、顔の左半分にこわばりも感じていました。漢方医にかかると、三叉(さんさ)神経痛と診断されました。体が悲鳴をあげていたんですね」

 豆腐、味噌(みそ)、パイからケーキまで手作りする現在の彼女からは想像がつかないが、4年間ほとんど料理をしなかった。出勤途中に菓子を買い、それを食べながら、パソコンに向かう。住宅入居時に買ったしょうゆはまったく減らない。

 漢方医は、体を木にたとえ、「今、君の身体は大変なことになっている。枝だけ直すような薬の投与ではなく、木の根元から治さないとだめ。食事から直しなさい」と諭した。
 彼女は、外食生活のなかで唯一、食に救われたことを思い出した。
「家の隣のお姉さんがとても料理上手で、しばしば見るに見かねてお弁当を作ってくれました。野菜たっぷりでおいしくて。食べるとその日一日元気でいられた。また、そのビルに野菜を売りに来ていたおじちゃんにも助けられたのです。階下のNPOの事務所で、野菜スープやおかずを作って食べさせてくれた。野菜のコクが出ていて、すごくおいしかったんです。旬の恵みによるちゃんとした料理を食べると元気が出るんだな。そしてみんなと食べるとおいしいなと、食べ物を共有することで連帯感が生まれると知りました」

 漢方医の勧めで、肉など動物性たんぱくを控える自然食にし、白砂糖絶ちをして、豆類を増やした。それまでは市販の菓子をひっきりなしに食べていた。仕事の合間に手軽に小腹を満たせるからだが、それもやめた。
 それから徐々に体力が戻ってきた。
 三叉神経痛になってから半年後、彼女は決断する。

 ──この生活を抜けよう。
 退職した翌日にアイルランドに発った。クレア県の有機農家の募集に応募し、手伝いとして採用が決まっていた。
「ここで、実家に帰ったりしてブランクをもちたくなかった。まず一日でも早く環境を変えないと、自分も変われないのではないかと思ったのです」

 アイルランドのダブリン空港を使わず、あえて西部の小さなシャノン空港直行の便にした。「都会やたくさんの人に興味がもてない。それくらい体も心も疲れ果てていたんだと思います」と彼女は振り返る。

 地産地消の食事作り。旬の季節の野菜や果物のおいしさを、初めて落ち着いて味わう生活。オフは何時間も散歩をして、大好きだった自然観察に没頭する。知り合った人と、おしりの時間を気にせずのんびり会話をする。朝は早起き、夜は早く寝る。そんなベーシックな暮らしによって、彼女の心と体は、少しずつ回復していったようだ。

 2年後、種や果樹の保存にかかわる活動で知り合ったNPO職員のイタリア人男性と結婚をした。その彼が2年前倒れたのは前述のとおりである。

 彼女は奮い立った。自分が食に救われた経験が、今度は彼を救う。体の根本から治し、真の健康を取り戻すには、食が一番大事であると自分が一番知っている。
 もともとやっていた食のルールをもっと意識して、徹底するようになった。白砂糖ではなく、自家採集したはちみつで甘みをとり、発酵食、玄米菜食に切り替え、調味料を含め多くの食材もオーガニックや無添加に。

 同時に、自分たちですべてを抱え込むのをやめた。仕事も育児も周囲に甘え、得意な人に任せればいい。もともと親しかった子育てサークルの仲間や同じ有機を志す仲間にもどんどん頼るようになった。自分だけの世界で完結せず、人に頼むと、さまざまなことがうまく循環するとわかったのだ。

「手を抜くことも大分上手になりました。周りに助けてもらうことや、理想はあっても欲張らずに小さなことから始めることも。たとえば、食事も何品も作らなくても、疲れたときは具だくさんのお味噌汁に、雑穀米だけでもいい。頼んだり頼まれたりから生まれる縁もある。それぞれに得意なことを皆で補いあえば楽しいし。夫が倒れたことでいろんな気付きがあり、また、もっと“巻き込む 巻き込まれる”楽しさや大切さを実感するようになりました」

 1年かけて彼は健康を取り戻し、仕事で無理することをやめた。その後、彼はフリーの農業コンサルタントとして、独立。そしてふたりは、大きな決断をする。

「彼の母国のイタリアに移住します。両親のそばで暮らして彼も安心ですし、私も頼りにできる。また将来どこに行くかはわかりませんが、イタリア生活は今より子どもたちと過ごす時間を増やせるので、楽しみです」

 不安がないと言えばうそになる。
 移住先は小さな町で、森に囲まれた今の暮らしのようにはいかない。義両親も近くだ。がんばりやの二人に、わずかな心配もなくはない。だが、がんばりすぎることをやめた人の顔はどこまでも生き生きとして、すがすがしい。

 引っ越し目前。彼女から届いたメールにはこんな1行があった。
「こんなはずじゃなかった、じゃ どうする? というような、アイルランドで学んだ処世術をイタリアで試していきたいと思います!」
 もう、野暮な心配は口にすまい。私は、おいしい手作り料理をたくさんものにしてきた彼女の未来を応援したい。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。■レンズ協力:SIGMA ART|18-35mm F1.8 DC HSM、SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO HSM/
http://www.kurashi-no-gara.com/

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