東京の台所

<171>荷物を捨て、新しい風が入る余白を

〈住人プロフィール〉
フリーランス広報、ライター(女性)・36歳
賃貸マンション・2DK・中央線 荻窪駅(杉並区)
築年数30年・入居1年・ひとり暮らし

    ◇

 半年の間に、離婚、退社、2度の引っ越しを経験した。34歳、1年半前のことである。引っ越し直後かと聞きたくなるほどすっきりしたマンションの1室で、彼女は言う。
「34と35では、気持ちがぜんぜん違う。やるなら今だと思ったのです」

 企業で広報をしていたが、自分のペースで自分を試してみたいと独立を志す。同時に、書く仕事もしたい。だが離婚後、越したワンルームには机が置けない。家で仕事をするなら、机がおけるスペースが必要だ。もっと広いところに越そう。
 35歳なら、守りに入り、いろんなリスタートをする決意が薄らぐかもしれない。だから今だと、彼女は考えたのである。

 人生のリセットにあたり、ほとんどの荷物を処分した。
「器、洋服、本、CD。とくに器は好きで、作家物など一つ一つ集めていましたが、人にさしあげたり、フリマやメルカリで売りました。ふだん使う器は限られています。ひとりの暮らしに必要な、持てる分だけでいいと思いました。なぜか? うーん。……モノを手放さないと、余白ができず、新しい風が入ってこない気がしたからです」

 引っ越しで、1年に一度も使わない料理道具が棚から出てきたとき、その思いは確信に変わった。使わないものを大事に抱えていてもしょうがない。なにものにもとらわれず、少ない道具で身軽に、自由に生きていこうという開放感が伝わってきた。

 台所のシンクの上にもなにもない。2穴のガス台に鍋はふたつ。18で上京してから料理は途切れなく続けていた。料理好きなら三ツ口コンロがほしいところだろうが、今はこれで十分と笑う。

 リセットして、作る料理も大きく変わったらしい。
「結婚している頃は旦那さんや人を招いて作る凝った料理が多かった。ハレとケで言えば、ハレの料理です。今は自分のために作るケの料理。さっぱりとして食べ疲れしないメニューになりました」
 ぬか漬け、ひたし豆、きんぴら、おひたし、スープ。栄養価の高い昔ながらのきどらぬ総菜が中心だ。味付けのしかたも変わった。
「とてもシンプルになりました。前は、一つの料理として完成させることが目的でした。今は、うす口で仕上げて、あとで食べるときに必要な分だけ足す。そのほうが食べ疲れせず、おいしくて、体も楽なので」

 最初の半年は仕事を詰め込みすぎて、パンクした。朝起きられず、体が鉛のように重かった。自分の限界値を知り、さらに大事なことに気づいた。
「自分の体を守るためには、仕事も“余白”が大事だなって。食事もきちんとしなきゃいけない。うす味で調理するようになったのは、それが大きいですね」

 荷物は少ないが、使いかけの豆の袋やぬか漬けの樽から、暮らしの気配が色濃く立ち上り、窓辺の花やつるされたポトスの花までいきいきして見えた。
 次にやりたい仕事の構想を語る横顔を、窓の光がやわらかく包む。大きな荷物をいったんおろし、彼女は自身の手で、人生の代謝をゆっくり進めているのだと思った。新しい余白を作るためのこの明るい居場所で。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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