東京ではたらく

気象予報士:石上沙織さん(33歳)

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職業:気象予報士
勤務地:東京都港区
仕事歴:5年目
勤務時間:不規則
休日:不規則

この仕事の面白いところ:どうしたらわかりやすくお天気を伝えられるか、そこを自分で考えられるところ
この仕事の大変なところ:勤務時間が不規則なところ
    ◇
気象予報士として働いて5年目になります。気象予報士と聞くと、テレビの“お天気お姉さん”をイメージする方が多いかなと思いますが、テレビの他にラジオやインターネット動画などの媒体でお天気をお伝えすることもあります。

また私の場合はメディア関係のお仕事が主ですが、他にも「予測」といって、鉄道会社や航空会社、電力会社など、天候の変化がその業務に大きく影響を与える企業様向けに情報を発信する仕事もあります。

鉄道や飛行機は気象予報士が出す予測を参考に運行スケジュールを変更する場合もありますから、その責任は重大。何年経験を積んでもプレッシャーがありますし、日々気の抜けない仕事です。

よく「気象予報士ってどうやったらなれるの?」と聞かれることがありますが、第一歩は気象予報士国家試験に合格することです。これがなかなかの難関で、合格率は5%前後と言われています。

試験内容は気象に関する知識や天気図の読解など専門的なもので、私は働きながら2年間通信教育を受け、4回目のチャレンジで合格できました。

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オフィスの窓から空を見上げるのが日課。「気持ちいい天気の日こそ、空を見てほしいですね。とくに秋の空は爽やかできれいです」

気象予報士を志したのは25歳くらいの頃でした。私は愛知県の出身で、大学も名古屋の学校を卒業しました。もともと文系で、気象についての興味はほとんどなくて。就職活動の時に目指していたのはアナウンサーでした。

小さな頃から人前に立つのが好きで、小学校では学芸会で主役をやらせてもらったり、小中時代は生徒会で活動したり。高校時代は学園祭のステージで歌うなど、我ながら物おじしない子供だったと思います。

高校3年生になって進路を考える時期になると、漠然と抱いていたアナウンサーへの憧れがより強くなりました。でも同時に、具体的に調べていくと、それがとてつもなく狭き門だということもわかってきて。

実際、テレビで活躍されているアナウンサーさんの多くは東京の有名私立大学の出身ですし、しかもミスコンで優勝していたり、輝かしい経歴をお持ちなんですよね。それで漠然と私も東京の大学に行きたいなあと思っていたのですが、その憧れを両親に話したら、「名古屋で十分でしょ」と言われてしまって。

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オフィスの本棚には気象関係のさまざまな書籍や資料が。「解説に季節のことわざや話題などを盛り込むと、予報を見聴きしてくださる方もぐっと天気を身近に感じられるかなと思って」

これはもしかしたらどこの地方都市でもあることかもしれませんが、やっぱり東京の大学に進学するというのは大変なことなんですよね。私の生まれ育った地域では地元の大学に進んで、地元で就職して結婚して……というのが当たり前といった風潮があって。両親も疑いなくそういう人生を期待していたようです。

私も東京の有名大学に進学できるくらいの頑張りを見せられたらよかったのですがそこまでは至らず。結局名古屋の大学に進学することにしました。

大学進学後は、自分のルックスや経歴について考えれば考えるほどアナウンサーへの道はほど遠いものに思えてきて、一度は夢がしぼみそうになったのですが、やっぱりどこかで諦めきれない気持ちがあって。大学では放送部に所属し、学園祭や新入生歓迎イベントの司会を担当するようになりました。

忘れられないのは入部間もない頃、司会なんてしたことがない私を、先輩があるイベントの司会に抜擢(ばってき)してくれた時のことです。無我夢中で台本を読んで司会進行をして、お世辞にもうまいとは言えなかったと思うのですが、イベント終了後その先輩が「お前に任せてよかった」と言ってくださったんです。

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インターネット上の天気予報の記事を執筆するのも大切な仕事。「限られた文字数の中に必要な情報を的確に盛り込むには工夫が必要ですね」

司会をすること自体も楽しかったですし、自分はやっぱり人前に立つのが好きなんだと再確認できたこともありましたが、何よりうれしかったのは「自分に仕事を任せてくれた人の期待に応えられた!」ということでした。「やっぱりアナウンサーになりたい。たくさんの人の期待に応えたい」。その経験をきっかけに、しぼみかけていたアナウンサーへの夢がまた膨らんできたのでした。

その後は、放送部の先輩の紹介で地元放送局でのアルバイトも経験しました。学生アルバイトですから、ちょっとした取材の手伝いや下調べ、生放送で使うVTRテープの準備など雑用が主でしたが、それでもすごく楽しくて。

特に生放送の現場は緊張感があって、時には大きな声で注意されたりもするのですが、その真剣勝負の姿勢、毎日が本番という空気感がシビれると言いますか(笑)。スタッフのみなさんがものすごくカッコよく見えたんですね。「私も絶対こんな現場で働きたい!」と強く思いました。

そして大学3年生。いよいよ就職活動の時期がやってきました。もちろん第一志望はキー局のアナウンサー職。でも、いざ面接に行ってみると、周囲はキラキラした美人さんばかり。しかも高学歴で、才色兼備を絵に描いたような人しかいないわけです。その時点で予想はしていましたが、結果は悲惨なもので、結局大学4年生になっても就職は決まりませんでした。

「これがダメなら留年して来年再チャレンジしよう!」と心に決めていた4月。地元のNHKの契約アナウンサーに合格した時は奇跡だと思いました。東京へ行くという希望はかないませんでしたが、ようやく夢だったアナウンサーとしての第一歩を踏み出せたことは本当にうれしかったですね。

雨の日も晴れの日も、人々に寄り添った天気予報を

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オフィスの一室でウェブ動画用の収録を行う。「数分の動画なら原稿を読まず、暗記でお話しします」

夢だったアナウンサーとして働き始めてまず驚いたのは、原稿を読む以外の仕事がものすごく多いということでした。

本来、アナウンサーというのはあらかじめ用意された原稿をカメラの前で読むというのが主な仕事なのですが、スタッフの少ない地方局ではアナウンサー自らが企画を提案し、取材し、原稿を書くということが珍しくありません。

そんなことは想像だにしていなかったので、それはもう大変です(笑)。「このコーナーは石上さんに全部任せたから!」なんてディレクターさんに丸投げされて、「えっ! 何を取材したらいいんだろう……」なんてあたふたしていました。それでも慣れてくるとだんだん楽しくなってきて、どんどん自分で外に出て取材するようになりました。

振り返ってみると、この時の経験が今の自分の軸になっているような気がするのですが、とにかく私は「自分の言葉でどうわかりやすく情報を伝えるか?」ということに興味があって、とにかく好きなんですね。

そういう点では人が書いた原稿をそのまま読むより、現場に行って話を聞いて、その上で自分で書いた原稿を読むほうがずっとわかりやすく、魅力的な情報伝達ができるんです。そういう経験、気づきを得られたのは大きな収穫でした。

気象予報士への興味が湧いたのは、アナウンサーとして仕事を始めて4年目くらいの頃でした。ニュースやスポーツ、お料理など、あらゆるジャンルの情報をお伝えする中で、ふと気が付いたことがあって。

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「誰かが用意した原稿より、自分で調べて考えて原稿を書く方が好き」という石上さん。「どうしたら多くの人に興味を持ってもらえる情報発信ができるか、それを考えることが好きなんです」

テレビ番組というのは視聴者の方から感想や苦言をいただく機会がとても多いのですが、その中には「スポーツには興味がないからもっと時間を短くしてほしい」とか、「お料理の枠はいらない」といったお言葉もあるんですね。

それは個人個人の好みもありますから仕方がないのですが、その中で唯一、お天気情報についてだけは「いらない」というお言葉がなかったんです。お天気はどんな方にとっても気になる情報ですから当たり前かもしれませんが、それってすごいなと感じて。ああ、私は老若男女、あらゆる人に必要とされる情報を伝えていきたいなと思ったんです。

それでそこから勉強を始めて資格を取得したわけですが、試験に受かったからといってすぐに気象予報士として仕事ができるわけではありません。実は私は資格さえあれば今度こそ東京で仕事ができると思っていて、試験に合格してすぐに退職してしまったのですが、そんなに世の中甘くありませんね(笑)。

その後は予測の仕事をしたり、大阪や名古屋の気象情報提供会社で仕事をさせてもらったりしたのですが、東京での仕事はなかなか見つかりませんでした。

ようやく運が巡ってきたのは30歳の頃。勤めていた名古屋の気象情報提供会社の本社が東京にあるということで、そちらに異動させてもらえることになったんです。それまでずっと「東京に行きたい!」と言い続けていたのが効いたのかもしれません(笑)。ともあれ、高校時代から考えると随分遠回りしましたが、ようやく東京で好きな仕事ができるチャンスに恵まれたというわけです。

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東京から発信される天気予報はほとんどの場合が全国版。「地方局で働いていたときはその地域だけの天気を伝えればよかったのですが、今は全国の天気やその傾向を勉強しなくてはいけません。大変ですが、楽しいですね」

同じ気象予報士の仕事といっても、東京でのそれはより多くの引き出しと言いますか、技術が求められるものでした。私は今、テレビ、ラジオ、インターネット動画と複数の媒体を担当していますが、それぞれの媒体に合わせた情報伝達の工夫が必要なんです。

例えばテレビの場合は、画面にどんな工夫をしたらより視覚的にわかりやすくお天気のことを伝えられるかを考えなくてはいけませんし、かたやラジオは言葉だけですから、どうやってリスナーさんたちの注意を引くか、話し方や番組パーソナリティーの方との掛け合いのテンポなどを考えます。ウェブの場合は1分程度と時間が短いので、その制約の中でどれだけ正確に過不足なく情報を盛り込めるかが勝負です。

それぞれの媒体に合わせて自分で原稿を書きますので、例えば朝5時のラジオ番組に出演する場合は4時には起きて天気図をチェックし、原稿を執筆します。時には2時起床なんてこともありますから、体力仕事です。

こと東京は交通ダイヤが天候の影響を受けることが多いので、予報には高い正確性が求められます。特に雪は毎年大変ですよね。自分の予測が大勢の方の通勤や通学に影響を与えるんだと思うと大きなプレッシャーを感じますが、その分背筋が伸びる思いもします。

これまで一番ひやりとしたことですか? たくさんありますが、忘れられないのは数年前の名古屋の大雪の日でしょうか。

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その日の天気図を読み、低気圧や高気圧、雨が降っている地域などをペンで色分け。「こうすると天気の状態が視覚的に理解できるので、原稿を書く際にわかりやすいんです」 

前日、気象庁やその他の気象情報会社の雪の予報を出してはいたのですが、積雪量の予想が3センチとか5センチ程度だったんですね。私も同様の予報をお伝えしたのですが、朝起きて外を見てみると、なんと20センチ以上も積もっていて! 

気象というのは100%予測できるわけではないので、こうしたことももちろん起こりうるのですが、「もう少し違う見方ができなかっただろうか」とか、「一言でも大雪の可能性について言及したほうがよかったのではないか」とか、反省することはたくさんあります。そういう意味では気象予報士というのは永遠に勉強を続けていかなくてはいけない仕事だなと思います。

私はまだ5年目のひよっこですから、目標とする先輩や理想とする気象予報士の姿というのはたくさんあります。中でも常に心がけているのは「自分の言葉でわかりやすくお天気の情報を伝える」ということです。

例えば、先にお話しした雪の場合もそうですが、気象庁の予測をベースに基本的な予報をお伝えするとしても、解説のフリートークの部分で一言付け加えることはできるんです。その場面でどう自分なりの情報を伝えていけるか。そこが気象予報士の個性であり、魅力だなと感じています。

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◎仕事の必需品
「天気図を色分けするために使っているサインペン。滑らかな書き心地で太すぎず、細すぎず、天気図に書き込むにはこれが一番。もう何本使い切ったかわかりません」

今年は台風も多く天候が不安定で、大きな気象災害もありました。こういう年はどうしても「天気=悪い情報」という印象が強くなります。
もちろん災害への注意喚起は何より大切なことですが、そんな中だからこそ、穏やかな天気の日の心地よさも伝えていきたいなと思うんです。

考えてみれば当然かもしれませんが、穏やかに晴れている日に天気予報を気にする人は少ないですよね。でも、そんな日こそぜひ空を見上げていただきたい。季節ごとの雲や空の色、少しだけ気持ちを向けてみると、気づくことがたくさんありますし、何より最高に気持ちがいい。自分の天気予報を見聴きすることで、そんな小さなきっかけを作れたら。それが毎日の小さな目標です。

先ほど、東京で天気予報をするのはプレッシャーだとお話ししましたが、裏を返せば、天気予報というものがどんな都市より多くの人に影響を及ぼすということだと思います。さまざまな仕事をする人がいて、価値観の違う人がいるのが東京の最大の魅力です。そんな場所で少しでもみなさんのお役に立てる仕事ができるということは大きな喜びであり、やりがいです。

また、東京の気象予報士は、東京だけでなく、全国のお天気をお伝えする立場でもあります。荒天の時にはみなさんの手助けができるように、お天気がいい時にはその気持ち良さをお知らせできるように、どんな時も日本各地の人々に寄り添っていける気象予報士になれるよう、これからも頑張っていきたいなと思っています。

■ウェザーマップ

PROFILE

  • 小林百合子

    編集者
    1980年兵庫県生まれ。出版社勤務を経て独立。山岳や自然、動物、旅などにまつわる雑誌、書籍の編集を多く手がける。女性クリエイター8人から成る山登りと本づくりユニット〈ホシガラス山岳会〉発起人。著書に『最高の山ごはん』(パイ・インターナショナル)、『いきもの人生相談室』(山と溪谷社)、野川かさねとの共著に『山と山小屋』(平凡社)など。

  • 野川かさね(写真)

    写真家
    1977年神奈川県生まれ。山や自然の写真を中心に作品を発表する。クリエイティブユニット〈kvina〉、自然・アウトドアをテーマにした出版・イベントユニット〈noyama〉の一員としても活動する。作品集に『Above Below』(Gottlund Verlag)『with THE MOUNTAIN』(wood/water records)、著書に『山と写真』(実業之日本社)など。

イラストレーター:神田めぐみさん(33歳)

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タクシードライバー:奥富もえさん(25歳)

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