MUSIC TALK

冨田ラボ “ポップ・マエストロ”の音楽の原点(前編)

冨田ラボ “ポップ・マエストロ”の音楽の原点(前編)

撮影/山田秀隆

多くの人気アーティストのプロデュースを手掛けるヒットメーカーでありながら、セルフプロジェクト「冨田ラボ」としても音楽を発信し続け、“ポップ・マエストロ”の異名を持つ冨田恵一さん。幼いころの原体験、宅録に夢中になった青春時代、目標を持ちながらどこか諦めていた20代を振り返る。(文・中津海麻子)

――幼いころの音楽の原体験は?
母が音楽の教師だったので、物心つく前からピアノは弾かされていたみたいです。小学校に上がると、外の音楽教室に通いピアノを習うようになりました。

ただね、僕、母に直訴したんです。「あんまりおもしろくない」と。音楽教室に行くと、隣の部屋で電子オルガンのレッスンをやっていて、みんな一緒にアンサンブルで合奏していた。楽しそうだったし、電子オルガンはリズムマシンもついていて色んな音色も出るし。レパートリーにはポピュラー音楽や映画音楽もあって、「クラシックよりそっちがいい」みたいなことを言ったんだと思います。本音はただ練習がイヤだっただけなんだけど、親が音楽の先生をやっている手前、子ども心に気を使ったんでしょうね(笑)。で、小2ぐらいから電子オルガンを習うようになりました。

それまでは聴くのもほとんどクラシックだったのですが、母の中ではクラシックの次に許容できるのが映画音楽だったようで、よく聴かされるようになりました。クラシックとは違うハーモニーやリズム、オーケストラのカラフルな使い方を、幼い僕も結構気に入ってましたね。

ビートルズに魅せられた中学時代

――それからも電子オルガンを習っていたのですか?

小学生までは教室に通いましたが、中学でバスケットボール部に入部し、音楽から離れました。ただ、友達がザ・ビートルズのレコードを貸してくれたことがあって。ビートルズは電子オルガンのレパートリーにもあったけど、小学生のころは特に何も感じなかった。ところがそのアルバムを聴いたとき、すごく驚いたんです。僕が弾いていたのは電子オルガン向けにアレンジされたもので、レコードから流れてくる曲とは印象がまるで違う。ギターがあって歌があって、こっちの方が全然かっこいい。親に頼み込んで全LPがセットになったコレクションボックスを買ってもらい、夢中になって聴きました。

聴けばわりと正確に弾けるので、『レディ・マドンナ』などをピアノで弾いて遊んでいたら、友達から「バンドを組もう」と誘われました。でも、ビートルズは全ての曲に鍵盤が入っているわけじゃない。僕の中ではポール・マッカートニーが音楽的に一番豊かなイメージがあったので、彼と同じベースを手に入れました。が、中3にもなるとみんな受験勉強が忙しくなり、結局バンドは頓挫。一人で弾くにはベースはつまらなかったので、友達に売り、そのお金でアコースティックギターを買いました。

ギターは初めてだったけれど、音階がわかるのでそれなりに弾くことができた。与えられた課題曲ではなく、自分で気に入った曲をコピーして演奏するのは刺激的で、すごく気分が上がりました。さらに、CMで流れていたある曲にひかれて。スティービー・ワンダーの『アナザー・スター』です。ロックとは違う、ソウルやラテン、ブラックミュージックのムードを感じて、こっちもいいなぁと思った。特にB面の『クリーピン』という曲が浮遊感のあるミディアムスローで、この不思議な感じはビートルズにはないな、と。そんな感じで、高校に入るころにはビートルズはすっかり卒業していました。

――高校時代は?

僕が高校生だった1980年前後、ジャズ・フュージョンやクロスオーバーがブームに。ロックに比べると複雑で、周りは誰もコピーできないけど、僕はギターをそこそこ弾けた。というか「弾ける弾ける」って自分で思い込んでただけかもしれないけど(笑)。で、ジャズ・フュージョンのバンドを結成しました。とはいえ、高校生でジャズ・フュージョンやっている人なんて周りに全然いない(笑)。東京ならともかく、北海道の旭川ですから。クラシックピアノを長年やっていて、譜面を見れば弾けるという人にキーボードをお願いし、ベースやドラムも普段は違う感じの演奏をしている友達に口頭で説明して演奏してもらいました。

そうしてバンドでジャズ・フュージョンをやりながらも、そもそも僕はビートルズやスティービー・ワンダーを通じて歌ものが好きだったよな、と改めて気づくわけです。そんな中、アメリカのジャズ・ロックバンド、スティーリー・ダンを知った。ジャズやフュージョンの要素がありつつ、真ん中にボーカルがある。「ああ、僕はこの構図が好きだ」と。とにかくカッコ良くて、強く影響を受けました。

「理想の構造がスピーカーから流れる。そういうものが作りたい」

さらに、高校時代には今につながる経験も。バンドで演奏した曲をカセットテープに録音したものと、スピーカーから聞くレコードの音ではなぜこんなに違うんだろう? と疑問を持つようになったのです。当時、母が自宅で音楽教室をやっていて、そのレッスンルームみたいな部屋でバンドの練習をしていました。メンバーが帰ったあと、それぞれの楽器を全部自分で演奏し、多重録音してみた。すると、ベースがこう演奏したときにドラムがこう来て、その上にキーボードをこう重ねて……と、自分が好きな構造がだんだんわかってきた。そして、それを録音物にすることの楽しさに目覚めたんです。

「プロデューサー」という言葉こそ使わなかったけれど、自分が考えた理想の構造がスピーカーから流れる、そういうものを作る仕事がしたい――。そのときそう思ったのです。

――卒業後、上京します。経緯は?

音楽の仕事をしたい。そう思ったものの反対されそうで、親にハッキリとは言えなかった。でも母はなんとなく察知し、「音楽をやりたいなら音大でちゃんと勉強しないとね」という話をしょっちゅうされました。高校生の乏しい知識ながら、音大に行ったからといって優れたポピュラー音楽家になれるわけじゃないだろう、きっと現場に早く出たほうがいいはずだから東京に出ることが先決だ……と思い、親には「英語の勉強をしたい」とほぼうそを言って獨協大学を受験、進学が決まりました。大学があるのは埼玉だし、英語学科は落ちて法学部に行ったし。本当にほぼうそになっちゃったけど(笑)。

大学では音楽サークルに所属。そのうち学外でもバンドを組んだりして知り合いが増え、アーティストのサポートの声もかかるようになった。学生ながら少しずつ仕事ができるようになっていたし、何より「やりたい」という気持ちが強く、音楽で食べていこうと決意し、就職活動は一切しませんでした。もちろんそれだけでは厳しかったので、卒業してから1、2年はアルバイトをしながらでしたが。

宅録に明け暮れて

――自分が理想とする構造の曲を作るプロデューサーになる。その思いは変わらず持ち続けていたのですか?

そうですね。でも当時、販売する録音物を作るのはプロフェッショナルの仕事で、かなりハードルが高かった。今ならPCが1台あればベッドルームでも作れるけど、あのころはコストのかかるスタジオや機材を使わなきゃ作れないし、そのためにはある程度の実績が必要だった。僕はアーティストのサポートや、作曲やアレンジの仕事もしながら、スタジオワークのやり方を覚えていきました。

一方、学生時代にはちょっと頑張れば手が届く価格で多重録音ができる機材が出てきたんですよ。長いローンを組み、昼夜問わず宅録に夢中になりました。音質はひどくチープだったけど、自分で考えて音を重ね、シンセで音を作り、エコーをかけたりかけなかったり……。それを録音物としてマルチトラックで確認することができる。本当に夢のようだった。とても勉強になったし、そのときやっていたことはまさに今に直結しています。

宅録で曲を作る技術を磨き、25歳のときにはリットーミュージックが開催したテープオーディションで優勝することができた。学生時代に一緒にバンドをやっていた女の子との2人組のユニット「KEDGE」としてCDを1枚リリースしました。このころには音楽だけで食べられるようにはなっていましたが、とはいえ、プロデューサーやアレンジャーにはそう簡単にはなれなかった。

――不安はなかったですか?

うーん……。不安だらけだったとも言えるけど、誰のサポートであろうと仕事で演奏ができて、それでお金をもらって暮らしていることは素直にうれしかった。でも、心の底には「自分の音楽をやりたい」という思いを常に抱えていました。だけど、80年代後半から90年代前半にかけて、僕が好む音楽性ややりたいことは、いわゆるJ-POPのメインストリームとは合致しなかったんです。それはすごくストレスだったけれど、「そんなもんかな」という諦めみたいな気持ちもありました。

そんな20代だった。ところが、30歳になったと同時に状況が大きく変わっていくのです。
(後編へ続く)

冨田ラボ ニューアルバム『M-P-C “Mentality, Physicality, Computer”』TEASER

冨田恵一(とみた・けいいち)

1962年生まれ、北海道旭川市出身。音楽家、プロデューサー、作曲家、編曲家、Mixエンジニア、マルチプレイヤー(ドラム、ベース、ギター、鍵盤)。
2000年前後、キリンジ作品のプロデュースや、日本の音楽シーンにおけるバラード楽曲のフォーマットになったとも言われるMISIA「Everything」をプロデュースして200万枚を超える大ヒットとなるなど、音楽プロデューサーとしての地位を不動のものとする。
以後、キリンジ、MISIA、平井堅、中島美嘉、ももいろクローバーZ、夢みるアドレセンス、矢野顕子、RIP SLYME、椎名林檎、木村カエラ、bird、清木場俊介、Crystal Kay、AI、BONNIE PINK、畠山美由紀、JUJU、坂本真綾、他数多くのアーティストに楽曲を提供。
セルフプロジェクト「冨田ラボ」としても今までに6枚のオリジナル・アルバムを発売。2018年10月3日、活動15周年を飾るニューアルバム『M-P-C “Mentality, Physicality, Computer”』を発売した。

冨田ラボ オフィシャルサイト:http://www.tomitalab.com/

【ライブ情報】15th Anniversary Live M-P-C “Mentality, Physicality, Computer”
2018年11月2日(金) @ マイナビBLITZ赤坂
ゲストシンガー:AKIO / 安部勇磨(never young beach) / 城戸あき子(CICADA) / Kento NAGATSUKA(WONK) / 坂本真綾 / 髙城晶平(cero) / chelmico / 長岡亮介(ペトロールズ) / Naz / 七尾旅人 / bird / 堀込泰行 / 吉田沙良(ものんくる) / Ryohu(KANDYTOWN)
(後編へ続く)

PROFILE

中津海麻子

執筆テーマは「酒とワンコと男と女」。日本酒とワイン、それらにまつわる旅や食、ペット、人物インタビューなどを中心に取材する。JALカード会員誌「AGORA」、同機内誌「SKYWARD」、ワイン専門誌「ワイン王国」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」、同ペットサイト「sippo」などに寄稿。「&w」では「MUSIC TALK」を連載中。

デビュー30周年。日本へと行き着いた「音楽の旅」 小野リサ(後編)

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冨田ラボ「これこそが、今のポップスだ」という思い(後編)

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