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<103>実家をリノベし「元気を提供する場」に 「ひらがな商店街アートスペース『と』」

かつてはどの街にもあった小さな商店街。
いつしか店が減っていき、そこに商店街があったことすら忘れ去られているところも少なくない。

JR根岸線・石川町駅は元町・中華街の最寄り駅として有名だが、駅南口を出てしばらく歩くと閑静な住宅街が広がっている。そして、中村川に並行して西に延びる通りは、かつて「ひらがな商店街」と呼ばれていた。

今井嘉江さん(68)が切り盛りする「ひらがな商店街アートスペース『と』」は、その名の通り、ひらがな商店街のあった通りにある。時代を約60年さかのぼると、この店はお菓子や日用雑貨まで何でも扱う「駄菓子屋」だった。今井さんは料理上手な母と、温和な父が構えたこの店で生まれ育った。店は1960(昭和35)年に閉店したものの、その後も両親はここで暮らし、2011年1月に母が永眠した。

「母は80歳を過ぎても髪を赤く染め、自転車で飛び回る気丈な人でした。母が亡くなって弟2人と家財を整理していた時、空き家のままで放置しておくと家は傷む一方だから、弟に『俺が60歳で定年になるまで、ここで何かしてよ』と言われたんです」

今井さんは公立中学校で生徒の悩み相談にのる「心の教室相談員」を務めた経験をきっかけに、自宅の3階を開放し、近所の子どもたちや親が自由に集まれる場所を作り、生きづらさを感じる人をさまざまな形で支援し続けてきた。そのため、いつしか街の相談役的な立場となっており、多彩な人たちとのつながりがあった。母が他界して半年後には横浜在住のアーティストや建築家、学生などが集まり、アートリノベーション(今ある価値を生かすリノベーション)が始まっていた。

「外観こそタイル張りのちゃんとしたビルなのですが、いざ壁などを取り払ってみると中はボロボロ。でも、みんなが『このレトロなタイルがいい!』などと面白がってくれ、7カ月かけて完成したのがこの空間です」

店内は建物の骨組みを生かした造りで、かつては風呂場や台所だったタイルもそのまま。壁面には本やアート作品が飾れる棚を設置し、奥にはキッチンを作った。協力してくれた人たちの愛情が随所に感じられる、温かみのある空間へと仕上がった。

リノベーションと並行して、この場をどう運営するかも話し合った。「アーティストの活動拠点にしよう」「レンタルスペースは?」「カフェをしたい」「ギャラリーにして作品を展示したい」「絵本をたくさん置きたい」などとさまざまな意見が集まった。今も同店に約200冊の絵本があるのは、この時のアイデアが具現化されたもので、葉山の「ブックショップ カスパール」オーナーの青木真緒さんがセレクトを手伝ってくれた。

2012年4月のオープンから数年間は、「日直」と呼ばれるスタッフが日替わりで店番をし、カフェやギャラリー、雑貨販売、ヨガやウクレレ教室などを開催。現在は今井さんが絵本カフェを運営するかたわら、7月からは新たに「ひらがな食堂」をオープンさせた。これは、不登校気味の子どもたちが生活リズムを朝方に整えられるようにと始まった支援活動で、平日の朝7時から10時まで朝食を用意している。

「不登校の子どもたちに限らず、誰が来てもいいんです。たまには手抜きをしたい親御さんが子どもと一緒に来てもいいし、子どもが友達同士で朝ごはんを食べに来てもいい。近所のお年寄りも来られるので、毎日、大家族で食卓を囲むみたいな感じです」

朝食は子ども200円、大人400円。地元農家の野菜を使った副菜数品にご飯やみそ汁がついている。料理を作るのは、近所の高齢者や、自立や就労支援を目指す若者たち。今井さんはこの人たちに対価を払うことにこだわりを持っている。

「一方的に与えられるだけではなく、与える側の人も育てていきたい。朝ここに来て手伝いをすれば規則正しい生活の習慣化ができるし、対価があれば仕事へのモチベーションもあがりますから」

朝食を通じて、人と食、地域がつながる場として機能しているが、今井さんはつくづく「場は人で作られる」ということを実感している。

「子どもたちの元気がわたしたちスタッフをも元気にしてくれる……。結果として、元気という価値を提供している“場”なんだということを改めて感じています。料理上手で明るい母のもとには近所の人たちがよく集まって、ご飯を振る舞ったり、談笑したりしていました。母がしていたことを自分もしているだけ。すべてが循環していて、その中で生かされていると感じています」

店名の『と』は、人と人、人と街、昔と今など、さまざまなことを結びつけるのに、真ん中にある言葉。今井さん自身がまさに『と』のような存在となっている。

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おすすめの3冊

■おすすめの3冊

『自由―愛と平和を謳う』(著/ポール・エリュアール 絵/クロード・ゴワラン 訳/こやま峰子)
20世紀前半のフランスを代表する詩人ポール・エリュアール。ダダイズムやシュールレアリズム運動の中心に立ち、数々の作品を残した。こちらもその一つ。「これはエリュアール最後の作品。自由を求めて書かれた詩で、自由について改めて考えさせられる一冊です」

『grain-d’aile グランデール』(著/ポール・エリュアール 訳/須山実)
エリュアールが書いた唯一の童話。「父が娘に語りかける形で、翼をほしがる少女グランデールの物語が綴(つづ)られています。翼=自由とは何なのか、『自由―愛と平和を謳う』と一緒に読んでほしいと思って、こちらもおすすめします」

『Button』(著/サラ・ファネリ 訳/ほむら ひろし)
ある男性のコートについている赤いボタンが、「世界を見に行こう」と、コートから飛び出して冒険を始める絵本。「絵がとても美しく、ボタンがさまざまな場所に遊びに行くという、シンプルな物語も素敵。遊び心たっぷりの絵本です」

ひらがな商店街アートスペース「と」
神奈川県横浜市中区石川町3-108-5

写真 山本倫子

http://jiza1.jp/to/
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PROFILE

吉川明子

兵庫県生まれ。コンピューター・デザイン系出版社や編集プロダクション等を経て2008年からフリーランスのライター・編集者として活動。旅と食べることと本、雑誌、漫画が好き。ライフスタイル全般、人物インタビュー、カルチャー、トレンドなどを中心に取材、撮影、執筆。主な媒体に週刊朝日、アサヒカメラ(「写真好きのための法律&マナー」シリーズ)、婦人公論、BRUTUS、mi-molletなど。

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