鎌倉から、ものがたり。

“たった1杯のコーヒー”という美意識。十文字美信さん「CAFÉ bee」

>>「CAFÉ bee」前編から続きます

 鎌倉の小町通りから路地を入った場所にある「CAFÉ bee(カフェ・ビー)」は、写真家の十文字美信さん(71)が主(あるじ)を務めるカフェである。

鉄製の門扉の向こう、れんが張りの建物に足を踏み入れると、小町通りの喧噪(けんそう)が瞬時に遠のく。空間をデザインした時は、フランス・ノルマンディー地方にある16世紀の教会の建物を参考にした。日本人芸術家の田窪恭治さんが修復を手がけ、りんごをモチーフにした壁のフレスコ画から、「リンゴの礼拝堂」として名高い建物だ。

カフェ・ビーの壁にも、十文字さんの奥様が描いた花の画があり、それにつながるように、テーブルに生花が飾られている。二次元と三次元をつなぐ遊び心。その創意に、思わず笑みがこぼれる。

庭に向いたカウンターでは、ピクチャーウインドウ越しに、庭園の緑を楽しむことができる。カウンターに配された木の椅子は、イギリスの教会で使われていたもの。足元を見ると、ハニカム(ハチの巣)型に瓦が敷かれていて、これがまさしくカフェ・ビーの名前の由来となっている。

「たった1杯のコーヒーでも、そこから世界が広がっていく。そんな感覚をここでは味わっていただきたいのです」

そう語る十文字さんは半世紀にわたり、写真を通して自らの美意識を、鮮やかに表現してきた。その心意気は、カフェで出す自家焙煎のコーヒーをはじめ、お客さんを迎える空間のすみずみにまで反映されている。

もうひとつ、カフェ・ビーでの心躍る出会いが、カップのコレクションだ。薄い肌に繊細な草花の模様が描かれたリモージュ。日本の金工技術が、驚くほど精緻(せいち)にほどこされた京薩摩。ため息が出るほど美しいカップは、すべて19世紀のもの。十文字さんが1客1客を吟味し、集めてきた品々だ。

「19世紀のヨーロッパは、産業革命が起こり、市民文化が花開く中で、活発な文化交流がありました。今、僕たちが手に持っている京薩摩は、日本の技法がヨーロッパに渡って、また逆輸入されたもの。多くの人が旅をするようになって、美術品や工芸品の技術が飛躍的に向上し、自由な表現が生まれていった。カップひとつから、そのような文化の伝播(でんぱ)を思うことも、豊かなコーヒータイムの一部だと思うのです」

暮らしの一シーンにかける十文字さんの思いは、鎌倉という文化都市の風土ともつながっている。

「鎌倉は、京都の公家とは違う、武家の凛(りん)とした空気が底にある土地。その歴史を敬う気持ちが、僕の中にあります。僕たちの少し前には、鎌倉文士や小津安二郎ら知識人、映画人が独自の文化を作りました。さらに、ここには海があり、山がある。かけがえのない町なのですが……」

ただ、近年は、そんな鎌倉の文化風土が揺らぐ場面に、胸を痛めることが増えている。目の前にある小町通りは、いつの間にか無国籍の観光街と化し、住民たちの朝は、観光客が散らかしたゴミの始末から始まるようになってしまった。

カフェ・ビーは、人ひとりが通れるような狭い路地に囲まれている。その狭さこそが界隈の魅力なのだが、今はそんな路地を拡張し、効率のいい建物を建てようとするプレッシャーも大きい。

「便利、安全、快適の価値は否定しません。ただし、それを名目にして、文化を軽んじることに、強い危機感を覚えます。少しずつでも、対抗できることは対抗していかねば、という思いが僕にはありますね」

1杯のコーヒーを費消するか、心に残る時間にするか。鎌倉を訪れる際には、ぜひ、後者を選択してほしい。

CAFÉ bee
神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目7−22

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

写真家・十文字美信さん自ら焙煎。『時間』を味わう「CAFÉ bee」

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