ほんやのほん

猫という生き物との不思議な暮らし
『退屈をあげる』

今回は、猫が主役です。
いぬ派の皆様、しばしご勘弁を。

猫と暮らしたことのある人なら誰もがウンウンとうなずける、猫という生き物との不思議な暮らし。気ままで、甘ったれで、いたずらっ子で孤独で哲学的な愛らしい小さな命。出会いは突然に、そして、別れもまたある日いきなりやって来るのです。

著者の坂本千明さんは、イラストレーターで紙版画家。
『退屈をあげる』に登場する白黒のハチワレ(額の部分が漢字の「八」のように割れている柄をもつ猫のこと)との出会いが、紙版画の世界への扉を大きく開いたそうです。

「ごはんたべて/ねて
うんちして/くり返し」
死にかけていた主人公(本では名前が出てきませんが、坂本千明ファンはそれが「楳(うめ)」だと知っています)は、「冬のつめたい雨の日」に、「人」、つまり千明さんに抱き上げられて「家猫」になります。

甘噛(が)みを知らず、ねこじゃらしにも興味をもたない「あたし」は、警戒しながらも人との暮らしになじんでゆく。
「ごはんたべて/ねて/うんちして/くり返し」という毎日は「とても退屈だった」けれど、「こわい外の世界に戻るのは もうまっぴらだった」から、澄ました顔をしながらも、坂本家に居場所を見つけたのでしょう。

やがて「あたし」は病気になりますが、家に帰ってきて心底安堵(あんど)します。それからちび猫2匹が仲間に加わって、極上の退屈を味わえなくなった「あたし」ですが、次第に彼らとも打ち解けます。
そして「あたし」は唐突に死んでしまいます。
年を取ったには早すぎる。病気だったのでしょう。彼女はそれから、空の上でも慣れ親しんだ「愛しい退屈」とともに在るのです。

あらすじはたったこれだけです。でも、坂本さんの紙版画が、ハチワレの暮らしやしぐさ、ちび猫たちとの関係性、「あたし」の安らぎや孤独や寂しさを、文章以上に語ってくれています。眼の開け具合、耳の角度、おしりのカーブ、ひげや、口以上に雄弁なしっぽと、前脚のひっこめ加減。
単に「カワイイ」という言葉では形容できない、猫という存在への愛おしさ、まなざしが、くっきりとした版画の線と、無限に広がるモノクロームの諧調からあふれてくるようです。

そうそう、猫ってそうなの
あとがきによると、千明さんが猫と暮らしたのは初めてだったそうです。とにかく衰弱していたのを連れてきてはじまった生活だったそうですが、インフルエンザに倒れて寝ていたときに、「熱で朦朧(もうろう)としている私の眼前で寝息をたてる猫から、かすかに甘ったるい香りがした。溶けかけて今にも消えてしまいそうな砂糖菓子のような香り。目の前にいるのにその存在はひどく曖昧(あいまい)で、幻のようだと思った」という一文を読んだとき、私の心に去来するものがありました。そうそう、猫ってそうなの。弱っている人間のそばで、甘い息(ときに魚くさい息)を吐いて、こちらを緩ませるのよね……。

詩人の長田弘が、「けっしてことばにできない思いが、ここにあると指さすのが、ことばだ」というフレーズを『詩ふたつ』のなかで残していますが、猫という存在もまた、そのようなものなのかもしれません。

やはり詩人の松本秀文さんは、詩集『「猫」と云うトンネル』で、人間という理不尽な生き物のレーゾンデートル(存在理由)を、そして作家の保坂和志さんは小説『ハレルヤ』で、人間を縛りつける言葉の不自由さを、どちらも「猫」を通して描き出そうとしています。

何はともあれ、『退屈をあげる』のひっそりと美しいページをめくってみてください。
(文・八木寧子 撮影・猪俣博史)

猫という生き物との不思議な暮らし<br>『退屈をあげる』

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PROFILE

八木寧子(やぎ・やすこ)

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湘南蔦屋書店・人文コンシェルジュ。新聞社、出版社勤務などを経て現在は書店勤務のかたわら文芸誌や書評紙に書評や文芸評論を執筆。ライターデビューは「週刊朝日」の「デキゴトロジー」。日本酒と活字とゴルフ番組をこよなく愛するオヤジ女子。趣味は謡曲。

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