朝川渡る

水曜日の青山くん(3)柚子胡椒

 

>>水曜日の青山くん(2)黄身の味噌漬けからつづく

 飛び上がるほどびっくりしている全子(みなこ)に、黒木はひどく落ち着いた口調で「突然申し訳ありません」と詫びた。紳士なものいいに、もしかしたら自分が思うほど若くはないかもしれないと全子は思った。
 要件は、毎月発行の会報紙「太陽マルシェ新聞」の読者座談会に出てもらえないかという話だった。

「詳しいことは編集部のものがご説明しますが、その前に面識のある僕から一本お電話をと思いまして」
「私なんかが、何を話せばいいのかしら」
「うちの食品を使った料理のことをお願いします。横山さんはいつも、本当に楽しそうにレシピのことを聞いてくださるし、すぐ実践するでしょう。凝ったものでなく、素材の旨味を活かすシンプルな料理が毎日の食卓を彩るというようなお話で。適任と思う組合員の方を地区ごとに、宅配担当が推薦するのですが、僭越ながら僕が推させてもらいました」
「まあ……」

 晴れがましい場への突然の誘いに戸惑うが、悪い気はしない。私でお役に立つなら、と答え、ひとしきり時間や場所の説明をきいた。電話で話すのは初めてなのに、沈黙が全く気にならない不思議な心地よさが彼の会話のトーンにはある。

「黒木さん……っておっしゃるのね、ところでね黒木さん。この間言ってた青トマトのぬか漬けって何時間漬けたら食べごろ? それと、これはちょっとだけ言いにくいんだけど。里芋の柚子胡椒(こしょう)あえを作って気づいたんだけど、おたくの柚子胡椒、保存料がはいってない?」
「トマトは数時間漬ければオッケーです。それと柚子胡椒は、ごめんなさい。関東地方では九州ほど消費されず、短期間にチューブ1本を使い切れない方が多いので、マルシェでは保存料を加えています。でも柚子と青唐辛子は有機ですよ」
「うーん。うちは息子が大きいし、海外に行っちゃってて今は夫婦二人だからもうそれほどこだわらなくてもいいんだけど、保存料はねえ。ちょっと残念だわ」
「自分で売っといてあれですが、じつは僕も保存料が気になるので柚子胡椒は手作りして、冷凍保存しています。フープロ使うと早いし、すりおろした柚子って冷凍できるんですよ」

 話が止まらない。自分よりずっと若いけれど、私の知りたいことをたくさん知っている。
「横山さん。今度、僕の柚子胡椒をお持ちしましょうか」

 ふっと見えない何かが緩んだ。おしゃべりが永遠に続けばいいと願った全子の口から、自分でも思ってもみない言葉が出た。
「だったらそれを使って、うちで料理してくださらない?」
「いいですね。配達が完了してからになりますから、17時ころになりますが。それでよければ。梅ジュースのお礼です。毎年夏は横山さんのジュースに元気もらいましたから」

 新しい靴下を。いや、洒落た部屋着を買おう。ダイニングも片付けなくちゃ。その前に、なにはともあれよっこさんにラインで報告しておこう。みっちゃん、なかなかやるわねと、意味深な顔で言われそうだ。
 自宅のキッチンに男が入る。勝手口のある大きな一軒家にも配達するであろう生協の”青山くん”にとってそれは日常的なことかもしれないが、全子には非日常の特別な出来事だ。

 約束の水曜日が近づくにつれ、コップの茶渋や食器棚のガラスの曇りとともに、白髪や肌のくすみも気になりだす自分に、自分で驚いていた。

>>第4話へつづく

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PROFILE

  • 央橙々

    小説『セカンド・ラッシュ』(『サンキュ!』ベネッセコーポレーション)にて作家デビュー。

  • 井上佐由紀(写真)

    1974年福岡県柳川市出身。東京都在住。写真家。九州産業大学芸術学部卒業。写真スタジオ、アシスタントを経て独立。現在はライフワークとして生まれたばかりの赤子の目を撮影しています。うどんとコーヒーがすき。
    コレクション:フランス国立図書館、サンフランシスコ近代美術館
    http://inouesayuki.com/ph/

水曜日の青山くん(2)黄身の味噌漬け

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