鎌倉から、ものがたり。

古民家カフェで続く、朝の掃除とあいさつ 「甘夏民家/雨ニモマケズ」(後編)

>>「甘夏民家/雨ニモマケズ」前編から続きます

 鎌倉・長谷の歴史的な街区にあるシェアハウス「甘夏民家」のリビングルームは、週末にはカフェ「雨ニモマケズ」として、外からのお客さんを迎える空間になる。オーナーの横山亨さん(45)、孫鎬廷(ソン・ホジョン)さん(44)夫妻が淹(い)れてくれる薫り高いコーヒーと、ホームメイドのヴィーガンスイーツの味わいが、心地よい木造の空間によく似合う。

すぐ隣は鎌倉最古の神社といわれる「甘縄神明宮」。右隣の公園の向こうには、鎌倉のみならず神奈川県下で最も華麗といわれた洋館「旧諸戸邸」。そんな界隈の文化的な雰囲気を映すカフェには、ご近所の常連も多い。

横山さんと孫さんが、築80年になるこの家を購入したのは2014年。そこから2年という月日をかけてリノベートを行い、シェアハウスとカフェをスタートさせた。放っておけば取り壊されるかもしれない木造建築を、改装で快適性を高めながら、よりよい形で次代に伝えたい。そんな思いではじめたことだったが、最初から周囲に歓迎されたわけではなかった。

「歴史的な場所によそ者が入ってきて、しかも人の出入りの多いシェアハウスやカフェにします、となれば、警戒されるのは当たり前ですよね」(孫さん)

毎朝、敷地の周囲を掃除して、通りで出会った人には必ずあいさつをした。それ以外に、自分たちの気持ちを伝える方法が見つからず、必死の思いだったという。

「オープンまでの2年間は、自分たちがやろうとしていることに自信が持てなくなる時もあり、精神的にも、肉体的にも、もちろん経済的にも、本当に大変でした」

苦労話を語りながらも、孫さんはカラッと笑う。心が折れそうになったとき、偶然目にした「雨ニモマケズ」という言葉に励まされ、それをそのままカフェの名前にした。

16年、カフェオープンに先駆けて、ご近所の人たちを招待したら、思いがけず、たくさん集まってくれた。「ここまで本気でやるとは思っていなかった。全力でサポートするよ」と、界隈の有力者が手を差し出してくれたときは、思わず涙が出た。

孫さんは最近、カフェを開いて本当によかったと思うことがある。それは、会社員時代には出会えなかった人々と知り合い、本音で話せることだという。

ソウル育ちの孫さんは、02年に留学生として来日。バックパッカーだった大学生時代に、インドで知り合った横山さんと日本で再会し、すぐに結婚、そのまま日本で暮らすことになった。外資系化粧品会社への就職も決まり、仕事とともに新しい生活を前向きに進めていたが、日常の中で、外国人に対する偏見や差別的な言動に傷つくことも多々あった。

「私の痛みは誰にもわかってもらえない、と心を閉ざすこともありました。でも、カフェを開いて自分の考えが変わったのです。カフェでは一見、何ひとつ不自由のなさそうな方が、ぽろっとこぼされる胸の内に触れることがあります。そんなお話を聞くたびに、人はそれぞれの苦しみや悲しみ、痛みを抱えているのだ、ということがわかりました。その心情は、他人にはとうてい推しはかれないものですが、それでも理解はできる。自分の悲しみがあるから、相手の痛みもわかる。そのことは、私の人生を救う大きな気づきでもありました」

「甘夏民家」のすぐ裏手には、川端康成が『山の音』で描いたイチョウの古木がある。その先は、清涼で、どこか畏れ多い「気」がただよう甘縄神明宮。孫さんは続ける。

「ここにいると『住まわせていただいている』という気持ちが自然と湧き上がってきます。同時に、この世界はみんなが違って当たり前なのだから、窮屈にならず、伸び伸びと生きていければ、とより強く思うようになりました」

今もふたりは周囲の掃除を続け、庭と家の手入れに余念がない。よみがえった古民家のカフェでは、国籍も年齢も性別も関係なく、人々がおいしいコーヒーを分かち合う。そのことの幸せを感じさせてくれる場所だ。

甘夏民家/雨ニモマケズ
神奈川県鎌倉市長谷1−11−35

>>フォトギャラリーはこちら ※写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます。

<鎌倉から、ものがたり。>バックナンバー

PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

“旅する大家”の古民家カフェ「甘夏民家/雨ニモマケズ」(前編)

トップへ戻る

築131年の蔵で、最先端のものづくり。「ファブラボ鎌倉」

RECOMMENDおすすめの記事